8.プレンティン・ネウィード、あるいはキャス・パリューグ
本文中に差別的な用語が出てきますが、作者に知的・精神障害者を貶める等の意図は無く、飽くまで時代に即したひとつの表記方法としての記述です。
ご理解・ご了承よろしくお願い致します。
アムルフの村に着いてから数日。村の仮宿となる穀倉庫横の納屋に居着いてから、いつものように簡単な薬を作って過ごした。納屋と言っても村の農業に関する道具をひとところに纏めるためのそこそこ大きなもので、その半二階はちょっとした作業をするのに困らない広さがある。それで、背の低い台を引っ張り込んで薬草の下処理に勤しんでいるのだ。
村の内外を歩き回っていくらか薬草を収穫できたおかげで、切り傷に効く薬をいくらか作り足すことができた。隣がオーツ麦の穀倉庫なので、精製する上で不要になった外皮も沢山分けてもらえたのは大きな収穫だ。
オーツ麦の外皮はそれそのものだけで、宿便の解消や消化に良い薬になる。麦のような香ばしい匂いがあるので、カモミールやリンデンの葉と一緒にお茶として飲むのが良い。
摘んできた薬草は下処理をして、干しやすいように根本で括り、逆さ吊りの薬草の束をいくつも作る。それを、屋根の梁に張ったロープに引っ掛けて干した。
わたしが薬を作り、あるいは採集のために村や周辺をうろついている間、連れの吟遊詩人は詩を変え場所を変え、村でケルズダントを披露したり、しなかったりしていた。
一度だけ村の中で見かけたとき、メァラの踊る傍らで、彼が外套を目深に被りハープを演奏しているのを見かけた――彼女の踊りは、あの夜、星空の下で見かけたものなのだろう。鋳掛業だけでなく、演奏や踊りのような見世物も興行しているらしい。
毎日路傍に立つわけではないのね、と訊ねたら、彼は困ったように笑って「こんな小さな村で無いとは思うけれど、あまり目立って私の正体に勘づく者に見つかったらことだからね」と言った。それで、この村に入って彼女と行動を共にしているらしいことに合点がいった。
彼女の陽気で親しみやすい踊りは人目を引くから、注目が逸れて良い隠れ蓑になるのだろう。初日の興行以降、唄はほとんど歌っていないと言っていた。
ホリーヘッドは田舎なりに賑わった町であったけれど、ここは行商人すらそう多くない村だ。昔からここで暮らす人々が、これからもここで暮らしていくような決して広くはない村。以前立ち寄ったバンガーのように、巡礼者が入れ代わり立ち代わり来て去っていくわけでもない。
そこに旅の興行があれば、否応なしに注目を集めるものだ。前の町でそこそこ稼いだ今、目立つことは極力、控えたいのだろう。
(そもそも、わたしの家に来たのだって、人目を避けて一夜を過ごすためだったのだものね)
手近に生えていたマートルの低木から、白い花と瑞々しく緑に茂る葉をいくらか摘み取りながら考えた。小さな花弁の真ん中からは、猫のひげのように長い雄しべが放射状に伸びている。
薬草の採集という、見分けに慣れてしまえば単調な作業は、暇を持て余した頭がついつい余計なことを考えたがるものだ。
新たな土地を訪れて薬草の自生を調べるのは、旅に出てまだ半月と経っていないながら身に付いた癖のようなものだった。
いつまで滞在するかもわからない村でさえ、薬を売れば品は減る。減った薬を補充するには、材料を集めなければならない。
ここにはどんな薬草が自生していて、どれほど採取できるか。そういったことを頭に入れておかなければ、補充するより前に少ない手持ちの薬や薬草が切れてしまうのだ。
旅歩きの身となると、常に同じ薬草が一定量手に入るわけではなく、季節によって変わる植生が、更には地域によっても変わる。だから必要なものが無ければ似た効能の薬草を探し、正しく採取して組み合わせる必要があるのだ。
同じ効能を持つからと言って、調合の同じ組み合わせで効果が十全に発揮されるかと言えば、それはまた違うから。
山奥の小屋で暮らしていた頃は、そんな心配はしなくても良かった。家を取り囲む広大な森は幼い頃から育ったわたしの庭で、本来の持ち主である領主やその手下の兵士たちが野狩りをする時期以外は、自由に出歩けたから。
薬草は生命力の強いものが多く、取り過ぎなければ一季節ごとに根を伸ばし、よく生える。枯れない泉を汲むが如く、およそ季節に沿ったものならば、そこにあるものは好きなときに好きなだけ摘むことができた。
必要以上の乱獲はしない。ただ、週に一度、コンウィ近くの村で売れるだけの薬を作る必要はあったし、乞われれば多めに作って次の市に持っていくこともあったから、時おり収穫場所を変えつつ充分な量を摘み取った。その代わり、種が生ればそれをしっかり蒔いて根付かせることも忘れなかった。
必要なだけ薬草を摘むことができるという恵まれた環境を、当たり前のように享受していたことに気付かなかった。
薬草を摘む時間が限られる今こそ、余計にそう思う。お金も、地位も、自由も無きに等しい生活だったけれど、薬を作るという一点においては、そう。恵まれていたのだ。
(バンガーで作った薬も十分の一税で納めて、ホリーヘッドでいくらか売ったらほとんど残らなかった。この村をいつ発つかはわからないけれど、せめて日持ちする薬だけでも作れる時に作っておかないと)
十分の一税とは、教会から施しを受けた者が、その施しの十分の一に相当する財産を納める教会の制度だ。わたしは身一つで旅をしているので、修道院の庭からいただいた薬草から、作った薬のわずかばかりを納めたのである。
おいそれと野辺に生えていないような薬草もあり、大変重宝したものだが、遠慮もあってあまり多くを頂くことは憚られた。だからいくらか薬を作ってしまえば、材料は大して残らなかった。
(フェンネルに……クマツヅラはここにも生えているわね。いくらか失敬しておこう。後は……)
あ、と思わず声を上げて、外縁の建物沿いに密集する植物へ目を留めた。三フィートほどもある草丈の三分の二を、淡緑色の細長い葉が覆ったソープワートだ。茎の先端の方には五弁の小さな花が身を寄せ合うようにして群れている。愛らしい薄桃色の花季は今が盛りの薬草だった。
この植物から採れる薬液は、少量内服すると去痰や下剤にもなり、湿疹や腫れもの、痛風やリウマチにも効果がある植物だ。けれどそれよりも、もっと普遍的で大衆的な――つまり日常生活においてとても役立つ使い方がある。
名前からも察せられるだろうけれど、この植物の葉や根をよく揉んでお湯で煮出すと、泡の出る洗浄液になるのだ。
小屋にいた頃は灰を洗浄薬代わりにしていたので、無用の長物だったけれど、竈も満足に使うことのない今となっては大変ありがたい薬草だった。
(なんだかんだ、水浴びがてら服ごと水場に飛び込む以外、服を洗う機会もなかったものね)
この辺りで一度、きちんと衣服を洗っておきたい。一張羅どころか、着たきりスズメで替えの服もない今となっては、この服を長く着続けるためにも手入れが大切だ。
ここが他人の庭ではないことを再三確認してから、わたしはソープワートを丁寧に根から引き抜いた。
身長の半分以上もある植物なので、よく土を落としてから三等分に茎を折る。布で包んで籠の中に押し込むと、ここに至るまで摘んで歩いた薬草の匂いが籠の中から立ち上った。
夏の温度に蒸されて、薬草たちが自己主張をしている。早く干して、オイルに浸して、煮出して、砕いて、すりおろして使っておくれ。
(……なんて。処理をしようにも満足な器具もないから、できる処理は限られるのだけど)
そろそろ一度、今日の仮宿まで帰ろうか。そこそこ満たされた荷物籠に布を掛けてから、両腕で抱えなおした頃だった。
もうすぐ村の外縁を一周するというとき、村の南に当たる内陸方向へ続く丘の上に、立派な大樹を見つけて視線を奪われた。
明るい緑の葉が生い茂る灌木に、小さな白い花のようなものが密集している。あれは間違いなく、エルダーの木だ。
花も、実も、根も、葉も、あらゆる薬になる長老樹。長く生きたエルダーの木には妖精が宿ると言われ、妖精にうまく気に入られれば様々な知恵を授けてくれる、なんて言い伝えもあるほど、人々に大切にされる木だった。
この服を薄藍に染めたのも、あれと同じ木の実だ。とはいえ、今は木の実の季節ではないから、濃い紫紺色のエルダーベリーは当然ながら生っていない。
代わりにまだ瑞々しく開いているエルダーフラワーは、お茶にすると風の病や腹痛によく効く良薬だった。
うずうずと手が動き、居ても立ってもいられずに木の立つ方へ足が向かう。少しだけ。ほんの少しだけ、可能ならばいただけまいか。
そんなわたしの希望は、小高い丘を登るにつれただただ圧倒に塗り潰された。
「これは……」
はじめに見えたのは、エルダーの木を取り囲むように植えられた薬草群だった。それらの薬草たちが間近に見えてくると、次いで小さな庭と入り交じる畑、その向こうに、嘗てわたしが住んでいたような石積みの小屋が姿を現す。
明らかなる他人の所有物だ。それで、俄に浮き立った心は半分ほど落胆した。あわよくばエルダーフラワーを収穫したいと考えていたのだが、これでは花を摘ませてもらえるとも期待できない。
けれど他人の庭となれば、また別の好奇心が湧き上がっても来た。
庭を見れば、一見不規則なように見えて規則性のある植栽がなされている。キャベツの畝を中心にして、ミント類とセージ、ソラマメが植えられているのだ。虫除けや、育成の促進に際立った植え方だった。
薬草や可食植物の知識がなければ、食材と薬草を混ぜて植えるようなことはしないだろう。それで、わたしはその小屋の主がどのような人物か気になった。
「もし。もし」
充分に小屋に近付いてから声を上げる。返事はない。それで、今度は庭に踏み込んで訪いを告げた。
「すみません、どなたかいらっしゃいませんか」
先ほどより声を張り上げたのに、やはり返事はなかった。どうやら留守のようだ。肩を落として、きびすを返す。その視界の端を、まるまると膨らんだ何かの花蕾が掠めた。家の裏手にひっそりと生えているそれはどこかで見た気がするけれど、遠目に霞む輪郭からは、それが何の植物かを正確に読み取ることはできない。
仕方なく、渋々と来た道を辿る。アムルフの村から少し離れた丘の上の小屋は、この心に好奇心だけを植え付けて、静かにわたしの背中を見送った。
▽ ▲ ▽
村の墓地ちかくに足を踏み込んだところで、びぇえん、とこどもの泣き声が聞こえて足を止めた。耳に届く声は小さいが、ぎゃんぎゃんと身も世もなく泣き喚いているようだ。
場所が場所なので人ではないものだったらどうしようか――なんて考えは一瞬にして散った。この辺りは静かだけれど開けた場所なので、こどもが探検でもして遊んでいるのだろう。
それでうっかり遊び相手と喧嘩をしたか、転んで怪我でもこさえたのか。どちらにしろこれほど泣いているのなら、放っておくのも良くないように思えて、声のする方へ進路を変えた。
前者なら仲裁を。後者なら、それこそわたしは適任だ。
日が長くなってのびのびと茂った枝葉を掻き分ける。雨季にたっぷりと水を吸った木々は、今が盛りの季節だ。ほんの数日見ないうちに、苔ほども短かった草丈は膝を覆うほどに伸びる。
けれどしばらく歩き回って見つけたのは、そのような雑木林にも覆えないほどに大柄な男の背中だった。
「あの」
訝りを込めた声で呼びかける。踏み均した草地にしゃがんでいた男は、驚きに飛び上がるような格好で立ち上がった。彼の片手に握られたスコップから土が飛ぶ。その更に向こうに、尻もちをついて鼻を垂らしながら泣いている小さな男の子の姿があった。どうやら、泣き声の主はこの大柄な男の陰に隠れていたらしい。
こどもを泣かせる不審者かと思ったが、汚れた男の子の膝に血が滲んでいるのを見て、泣き声が聞こえたときに立てた予想が当たっていたことを知った。
「あ、あの、おいら、違んだ。穴ぁ掘っでたら、泣きごえきごえで」
「ええ。わたしも同じです。ちょっと、場所を譲っていただけませんか」
おどおどとした男がつかえながら弁解するのにもどかしくなって、彼が慌てて飛び退くのと入れ替わるように男の子の前へ膝をついた。
「転んで膝を怪我してしまったの?」
「んっ、ぅんっ、きょ、みんな、あそべなぐっで、ひとりっで、おはかのまわり、たんけんしてたっ、の」
「うん」
「おはかの石っ、のぼってあそんでたら、すべって、おはかにひざ、ぶつ、けてっ……そのまま、ごろんじゃっだぁあああ」
状況を聞きながらも、わたしは籠の中から水の入った革袋と薬壷を取り出した。汚れた患部を水ですすいで綺麗にする。
ごつごつした墓石で擦りむいたせいだろう、薄皮が幾重にもめくれ、擦過傷になっていた。これはギャン泣きも已むなし、だ。
とは言え、自業自得であることもまた事実。
「そんなバチ当たりなことをするからよ。きっとご先祖様たちが怒ったのね。ここはあなたのご先祖様や、そのお友達だったかもしれない人たちが静かに眠っているところなのだから」
「ひっ」
「あなただって、気持ちよく眠っていたところを無理に起こされたら嫌でしょう?」
「うっ、ん」
「だったら、きちんとごめんなさいをしなさいな。ほら、すごく染みるからしっかり歯を食いしばりなさい」
残り少なくなってきたノコギリソウとオトギリソウを煎じた傷薬を、薬匙で少量掬って指で塗り込める。びゃっ、とまた動物が威嚇するような声を上げて、男の子が泣き喚いた。
教会の鐘の音のような泣き声を上げながらも、しゃくり上げる合間に男の子は「ごめんなさぁい」と律儀に謝罪する。小さなこどもの純粋さに思わず苦笑した。
擦過傷なら布は当てない方がいいだろう。すぐに瘡蓋になるだろうから。布を当てるとかえって張り付いてしまうので、剥がすときにまた傷が開いてしまう。
「はい、手当てはおしまい。しばらく痛むけれど、じきに血は止まるわ。さ、こんな危ないところで遊んでないで、広場で遊んでいらっしゃいな」
「うんっ、おねえちゃんありがと!」
まだ目の周りを真っ赤に腫らして、べしょべしょな顔を袖で拭った男の子は、ひょこひょこと怪我をした足を庇うように村の中心地へと駆けて行った。
それまでわたしと男の子のやり取りを呆然と見下ろしていた大男は、わたしがなんと声を掛けるべきか逡巡していると、
「おめぇさん、人魚なのか?」
彼は野暮ったい口ぶりで突拍子もないことを吐き出した。
▽ ▲ ▽
泣き喚くこどもを前におどおどと狼狽えていた大男は、「人魚はすんげぇ薬のこと、いっぱい知ってんだぁ」と朗らかに笑った。
確かに、いくつか聞いたことのある昔話を紐解けば、人魚と呼ばれる空想上のその生き物は、人よりも優れた薬草知識を持っていると言う。
病に倒れた恋人の女性を救うため、薬草を探そうとする男に、「あなたはヨモギを摘まずに、愛しい人を己の腕の中で死なせてしまうの?」と助言を投げかけたという人魚の話は、寝物語に何度も聞かされたものだ。海に住まうものが陸の草花について人よりもよく知っているというのは、何度聞いても妙な話である。
けれど所詮は、実在するのかも定かではない生き物にまつわる話だ。わたしがただの人間だと答えると、大男は少しだけ残念そうに「そっかぁ」と間延びした返事をこぼした。
「おいらのおっかぁはな、人魚だったんだっでな、じっちゃとばっちゃが言ってた。おっかぁもすこだま薬のこと知っとったもんで、おめぇさんもそうだど思ったんだぁ」
そう、と納得する傍らで、ずいぶんこどもじみたことを信じているのだなと奇妙な感覚に陥った。居心地の悪い、どこか自分の知らない不思議な世界に迷い込んでしまったような感覚だ。
先ほどから会話の合間合間に、男の視線が虚空を彷徨い、まるで羽虫にでもたかられたかのように時おり首を振っている。挙動不審な動きと、雲を掴むかのような言動。彼はもしかすると、白痴なのかもしれない。
パサついた藁色の髪の間から覗くつぶらな栗色の瞳が、きょときょととせわしなく辺りを見回していた。
あまり見ているのも失礼だろう。わたしはちらちらと観察していた視線を籠の中に落とす。薬壷と道具を片付けて早いところ立ち去ろう――そう思ったところで、傷薬が底を尽きかけていることに気づいた。
残り僅かだとわかっていたけれど、早いところ薬草を探して新たな薬を作らなければ。
「オトギリソウ……この辺りに生えていたかしら……」
独りごちたつもりだった。けれど、いまだわたしのそばに突っ立って動こうとしなかった大男が、それにぴくりと反応を見せる。
「オトギリソウ、ほしいのが? そんだら、おいらん家くるといい。夏至のきせつは終わっちまったけんど、庭のオトギリソウなぁ、まだ花ぁついてっがら」
「……、わけてくれるの?」
「んだ」
鷹揚に頷く大男に、わたしは逡巡してから礼を言って案内を頼んだ。
どうやら来た道をそっくりそのまま辿っているらしいと気付いたのは、村を出て、前方に内陸の丘とあの立派なエルダーの木が見えた頃だった。
どこに寄るそぶりもなく、迷わず真っ直ぐエルダーの丘へ向かって行く大男の背中を見て、もしやという憶測が確信に変わる。
「あのエルダーの木のそばにある家は、あなたの家だったのね」
「んだ。おめぇさん、見たことねんだども、おいらのごど知っでだんだか?」
「いいえ。ただ、あの立派なエルダーが村の外から見えたから、さっき気になってお宅を訪ねたの。留守だったようだけど」
「そっかぁ。ごめんなぁ。おいら、仕事に出とったもんでなぁ」
仕事というのは、今も彼の片手に握られているスコップと関係があるのだろうか。墓地でスコップを手に行う仕事など、考えるまでもなくひとつだ。
遺体を埋葬するための、墓穴を掘る墓掘人。生きたまま墓穴に入るという所業から、嫌厭する人も多い生業だ。だから、そういう職に就いている人は大抵、地位の低い者の中でも最底辺の生活をする人だった。
こういった辺境の村では本来、村人が持ち回りで墓穴を掘るものだけれど、慣れない人が掘ったり埋めたりすると、悪天候の折に遺体が土から浮き上がってきたりするとも聞く。きちんと仕事として請け負う人が居るというのは、個人的には良いことだと思うのだけれど。
彼の仕事を思えば、庭先に様々な薬草が植わっていることにも納得できた。
死にまつわる仕事に従事する者は、それだけ死が身近になる。病で亡くなった人を埋葬するのなら、同じ病を遺体ごと引き受けてしまう可能性もあるからだ。
知恵のある者なら、お守り程度にも病の予防になる草花を懐に忍ばせて墓穴を掘るだろう。彼の言動から、母親が薬草の知識を持っていたとあれば尚更、薬草や栄養の豊富な野菜を育てていることにも頷ける。
「お仕事の邪魔をしてしまったかしら。ごめんなさい、わたしがオトギリソウを分けてほしいなんて言ったから」
「おめぇさんがあすこ通りがかったんは、おいらが仕事終わっだ帰りだぁ。気にすっごどはね」
軽い訛りを含みながらも、わたしの懸念を払うように大男が言う。ちら、と横目で盗み見たスコップが土で汚れていたので、気を使った嘘ではないのだろう。
「そう言ってもらえると助かります。あぁ、えぇと、そういえば名乗っていなかったわね。わたしはグウェンといいます。あなたは……」
名を尋ねようとしたところで、ふと、墓掘人という生業から、先日耳にした村の奥さんがたの噂話を思い出した。
――『死人が出て喜ぶのは、棺桶屋とプレンティン・ネウィードだけさ』
――『違いないね。いっそ本当に、あいつが呪いでも掛けてるんじゃないかい? あのキャス・パリューグ。最近じゃ墓穴掘りの仕事が主な収入だろ。仕事を増やすために、こう……』
隣を歩く大男が、あの話のように仕事を得るため人の命を奪おうとするような人物にはとても見えないけれど、ひとつの村に墓掘人がそう何人も居るとは思えない。きっと彼女たちの噂していた“プレンティン・ネウィード”――はたまた“キャス・パリューグ”とは、彼のことなんだろう。
その、少なからず敬遠や、嫌煙や、侮蔑を含んだ呼び名を口にして良いものか迷ったとき、彼は「ゴゥワー」と一言呟いた。
ゴゥワー。「純粋な」という意味のウェールズ人名だ。
「おじぃとおばぁさ付けてくれた名前だ」
「そう、素敵な名前を頂いたのね。ゴゥワーさん。わたしは人魚ではなく、流れの……えぇと、旅の薬師をしているの。よろしく」
「くすし?」
「あなたの庭に植わっているような薬草で、薬を作って売る人のことよ」
「ははぁ」
理解しているとは言い難い様子で、ゴゥワーさんは曖昧な相づちを打った。きっとこの村には、きちんとした薬屋が無いせいでピンとこないのだろう。ひなびた村々の民間で医療や製薬に携わるのは、ほとんどが修道士や修道女たちだから。
そんなふうに些細な話をしていると、あっという間に彼の家の庭先へ着いた。
立派なエルダーの木と、それを取り囲む薬草の植栽。野菜の育つ畝。先ほど訪れた時と何ひとつ変わらない景観の石積みの小屋が、そこにあった。
「お野菜はおいらのおまんまになるからやれねんだども、庭に生えてる草は好きなだけ持っでぐどいい」
「ありがとうございます。あ、でも、お礼に差し上げられるものがあまり無いのだけれど……。わたしがアムルフで摘んだような薬草は、あなたもさんざっぱら摘み飽きているでしょうし」
彼に誘われたとき、足りない薬草をほんの少し分けてもらうつもりで着いてきた。けれど、こんなにも豊かな薬草の育つ庭で、欲しいだけの収穫を許されると欲深くもなると言うもので。
最初に訪れた時に目移りした種々の薬草を摘む許可を得た今、ゴゥワーさんへの見返りに足る元手の心許なさが最大の気掛かりだった。
彼はぽけ、と何を言われたかわからない様子で暫く首を傾げていたけれど、やがて口元を指先でさすりながら、おっかなびっくり言った。
「グウェンさんさ、薬を作る人だっで、さっき言ったべや? んだば、薬の作り方さ、すこだま知っとるんだべ?」
「まぁ、多少は、ええ。そうね」
「そしたら、おいらに作り方ぁ、教えでたんせ?」
「そんなことで良いんですか?」
ゴゥワーさんは、尋ね返したわたしに「んだ」と朗らかに笑って頷いた。
「じっちゃどばっちゃが居ねぐなってがら、薬草のごど教えでくれる人は誰も居ね。んだんて、困ってら人のために薬作ってあげられる方法おべでゃんだぁ」
「そう、ね……わたしに教えられる範囲であれば……ええ、わかりました」
本来なら薬の製法なんてものは個々の薬師ごとに秘匿するものだけれど、わたしもこの村にそう長く留まるわけではない。多少薬の製法を伝えたところで、こちらの商売の妨げになることもないだろう。
わたしは彼に決して薬の製法を口外しないように言い含めて、薬草七オンスにつきひとつ、簡単な薬の製法を教えることにした。
ここでの「白痴」はいわゆる、知能障害や精神障害の総称的なものとして使っています。
本来は重度の精神障害の古い蔑称ですが、中世におけるこういった障害を「狂気」「狂人」「悪魔憑き」などと呼んでいたため、執筆に当たり「何かそこまで重い呼称も違和感があるな…?」と考えた末のこの表記でした。
ご気分を害された方は申し訳ございません。
また、ゴゥワーの口調の訛りはどこか1地域の方言を当てているのではなく、東北中心に複数県や地域の訛りを、標準語圏でもなんとなく察せられる範囲の単語で使っております(ちょっと無理そうなのはルビに標準語を振っています)。
「この訛りはこの地域のもんじゃないぞ」、「この文章の訛り方おかしいぞ」というものがございましても、わちゃっと混ぜこぜしてるだけなのでご了承下さいませ。




