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ヒラエスの魔女の唄  作者: 待雪天音
リンディーロンの子守唄
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6.眠れぬ夜には昔語りを




 しばらく馬を走らせては休み、また走らせては休むを繰り返して、今日はアムルフの村の手前で野営をすることになった。


 日の入りまではもう少しあったけれど、アングルシー島最北の路傍は、一歩間違えば波の打ち付ける岩場から真っ逆さまに転げ落ちる事態を招きかねない。


 それで、日が落ちる前に村から外れた民家の傍らに馬車を停めさせてもらうことにしたのだ。


 夕食は昼間に釣った茶マスを串焼きにしたものと野草を入れたスープ――カウルと呼べるほどの材料は無かったので、これは本当にスープだった――、それから、民家の住人に茶マスと物々交換でもらった熟れかけのプラムを分け合って食べた。


 食器の片付けは奥さんとお姉さん。火の処理や調整はお姉さんの旦那さんがして、その間に姪っ子甥っ子はメァラと一緒に積み上がった荷から毛布を引っ張り出す。寝支度なのだろう。それぞれが自分の役割を理解していて、無駄のない動きはさながら勤勉なアリのようだった。


 手持ち無沙汰なわたしたちは彼女たちの分も水を汲みに行った。ついでに拾った木の枝で歯を磨いて戻ってきた頃には、馬車の内と外に毛布の群れが出来上がっていた。


「毛布、アタシたちの分しかないからさ。グウェンはアタシといっしょで、エディはアニキといっしょね」


 メァラが言うには、馬車が小さすぎて全員は寝られないので、体力のある男は外で、女こどもだけが馬車の中で寝るのだそうだ。


 野宿に抵抗はないけれど、幌張りでも屋根のある場所で眠れるなら有り難いものだと、お言葉に甘えることにした。


 日の落ちる直前、昼間に摘んだヒトヨタケの壷を覗くと、折り重なった傘は既に真っ黒に染まっていた。傘の開ききった成菌は黒くなるのもあっという間だ。これなら明日の今頃にはほとんど液状化しているだろう。


 満足したわたしは、野草を摘んだときにいくらか一緒に採集した薬草を選り分けて眠りにつくまでの時間を潰した。


 そうしなければ、昼間、頭の端によぎった疑問を考えずにはいられなかったのだ。




 ▽ ▲ ▽




 案の定、と言おうか。することのなくなったわたしは、始終、母がレシピを文字として残した理由について考え続けていた。


 薬草の仕分けが終わってしばらくは、メァラたちと他愛のない世間話をすることで間をつないだものの、皆が(とこ)についてからはそうもいかなくなった。


 月はまだ中天にも届いていないだろう。密やかな寝息と、外の木々のざわめきや、虫の音や、ときおり強く吹き付けた風が車体の木枠を軋ませる音が耳を満たしていた。


 ぱっちりと開いた目が映すのは、輪郭を捉えられない闇だ。わたしは幌を見上げているはずなのに、夜の帳に覆われた暗い色のそれは、縫い目どころか質感すらもわからない。


 視界が塞がれているせいで、耳と皮膚の感覚はより鋭敏になっていた。だから、隣で眠っている筈のメァラからふっと寝息が聞こえなくなったことにも、彼女が身じろぐふりをして毛布から抜け出たことにも、すぐに気づいた。


 じっと闇を見据えていると、目はその暗さに馴染んでいく。微かな明かりも遮る幌を持ち上げて、彼女は足音を忍ばせながら馬車を出た。


 花を摘みに(・・・・・)行ったのかしら。一番考えうることが真っ先に頭をよぎったけれど、それからしばらく待ってみても、彼女は戻ってこなかった。


 寝返りを打つふりをして、隣の床をざらりと撫でる。人の温もりは消え失せて、今はそこに夏特有の生ぬるい空気が横たわっているばかりだ。


 わたしは逡巡してから、メァラがそうしたように忍び足で馬車を這い出た。


 馬車から少し離れたところでは、燻る熾火を前に火の番をする親父さんが居た。大きな火のまま焚き火を焚いていると、稀に物盗りを引き寄せてしまう。けれど完全に火を消すと獣が寄ってくる恐れがあるので、こうして交替で番をしているのだそうだ。


 熾火を囲むようにして、わたしの連れはメァラのお義兄(にい)さんと背中合わせに眠っていた。


「メァラなら向こうの川辺、行ってたぞ。あいつのこった。多分、興奮して目が冴えちまったんだな」


 親父さんがこちらを一瞥して言った。わたしが彼女を追って馬車を抜け出てきたことを見抜いているようだ。


「興奮して……? そんなにアムルフへ行くのが楽しみなんですか」


「違ぇ、違ぇ。ありゃあ、あんたらと旅ができるのを楽しんでんだ。なんせ俺らはこんな暮らしの流れ者だからよ。小っせぇ頃から同じ年頃の友達なんか居なかったからな」


 控えめに笑う親父さんの顔を見つめて、一瞬、それはどちらの意味でだろうか、と詮ないことを考えた。


 単に流れ者であるから一期一会であるという意味ならまだいいだろう。けれど、彼らのような流民を厭い、閉め出したがる排他的な人々が居ることも、昨日のやり取りで知ってしまった。


 温かく迎え入れてくれる人々と同じくらい、外界からの異物を受け入れ難く思っている同胞も居るのだ。


 斯くいう、イングランド人に禍根を持つわたしだって、人のことは言えないのだから。


 礼を言って、わたしは親父さんの教えてくれた川辺へ向かった。月と星の明かりしかない中、見知らぬ土地を歩くのは不便だったけれど、いくらも行かない内に松明を手にした人影がぴょんぴょんと飛び跳ねているのを見つけた。


 それが踊りだと気づいたのは、木々や草葉や、川のさざめきに合わせて軽快に地を踏む彼女の動きの規則性を認めたからだ。わたしは呼びかけようとして喉の奥につかえた名前をそのまま飲み込み、しばらく彼女の踊りを眺めていた。


 ウェールズではあまり見ない踊りだった。小刻みに足を蹴るように動かして地を踏み鳴らす踊り方は、五月祭で布を振り回しながらスキップするようなモリスダンスとも違い、もっと軽快で力強い。その様に、わたしはほんの僅かなあいだ見入っていた。


 ……踊りはそう長くは続かなかった。彼女が、松明を持っていない方の手でスカートを摘んで翻したとき、くるりと回ったその視界にわたしを捉えたせいだ。


「グウェン。なんだ、アンタも起きてたのかい。居るんなら声掛けとくれよ」


「熱心に踊っているようだったから。邪魔しては悪いかと思って」


「あぁ、まぁ、ちょっと寝付けなくてさ。アンタも?」


 ええ、と返してから、わたしは言い訳のように付け足した。「あまり多くの人の居るところで眠ったことがないから、慣れなくて」


 わたしの弁明に、彼女は声を上げて笑った。本当よ、と念を押したことで、かえって嘘くさく聞こえたかもしれない。


「親父さんにも奥さんにも、お姉さんお義兄さんたちにも、気に掛けてもらって申し訳ないくらいだわ」


 馬車に招き入れてくれるだけでも助かったのに、そのうえ食事を共にと誘ってもらい、寝床まで貸してくれた。いつもより少し減っただろう食事の取り分にも、普段より狭くて窮屈な寝床にも、誰も文句は言わなかった。


 今日、初めて会ったよそ者が受けるには、過分な親切だ。


 それを丁寧に感謝を交えて伝えると、メァラは胸を張って頷いた。そうだろう、そうだろうと満面の笑みが同調を示す。


「みんな気のいい人たちだったろ。見なれない人にはヒトミシリしちゃうんだけど、なじむとケッコウ、明るくて人なつっこい人たちなんだ」


「ええ。あなたにそっくりできっぱりとした、親切な人たちばかり。……本当に家族が好きなのね」


「ホントに、いい人たちなんだ、あの人たち」


 二度目に同調したとき、彼女の声の調子が自慢するそれから、噛みしめるようなそれに変わった。それでわたしは、目を凝らして彼女を見つめる。


 口ぶりが、気安かったものから、どこか一歩引いたものに変わったような気がしたのだ。


「あの人たちだなんて、まるで他人のことみたいに言うのね」


 馬鹿正直にそう訊ねてしまったのは、あの妙なところで遠慮するくせに、厚顔にもずけずけと踏み込んでくる男と行動を共にしていた弊害だろうか。


 薬を買っていくお客様相手にはきつく締めていた口の箍が、このとき、メァラの前ではつい緩んでしまった。


「うん。他人なんだよ。ホントはさ」


 自分が踏み込んだことを聞いたと気づいたのは、彼女が少しだけ遠くを見る目をして、そう答えた後だった。


「えっ?」


「アタシ、拾われっ子なの。十九年前って言ってたかな……赤ン坊のときに海辺で拾われたらしくてさ。オヤジたちのホントのこどもじゃないんだ」


 なんでもないことのように、彼女は俄には信じ難い身の上を一言、二言で語り聞かせた。


「それは……立ち入ったことを聞いたわね。ごめんなさい」


「いいって、いいって。話したのはアタシだし。オヤジからこのこと聞いたの、もう何年も前のことだし、自分でもなっとくしてんだよ。オヤジたちはちゃんとアタシを自分たちのこどものひとりとして育ててくれたの、アタシもわかってるからさ」


 それはそうだろう。あのように無遠慮に頭をはたいたり、それに対して文句を言ったり、声を揃えて歓迎してくれたり、そんなこと、心の通っていない上辺だけの親子関係では成り立たないことだ。


 だからこそわたしも、彼女たちの間に血の繋がりが無いなんて露ほども思わなかった。


「昨日は町中であんなタンカ切っちゃったけどさ、ホントはアタシに昔の王族の血なんてながれてないの」


 知ってる? と続く言葉に、メァラは言った。北の島(アイルランド)から渡って来た“歩く人々”の多くは、貴族や豪族が土地を追われて放浪者(ノマド)となった人たちなのだ、と。


 北の島国の中で、大まかに分かたれたよっつの小王国――つまり、レンスター、マンスター、アルスター、それからコナハト――は、長い歴史の中でそれぞれが対立したり手を結び合ったりと、その在り様を変えてきたらしい。


 時には何世紀も昔から侵攻していたイングランド人と同盟を組み、対立する小王国と競り合いを続ける中で、イングランド人貴族が一部地域の覇権を掴むこともあったと言う。それに反発した現地の権力者たちが、その地位から追い落とされることも勿論あったそうだ。


 政争や、戦争や、あるいはもっと別の理由で土地を奪われ、尚も意思を曲げられなかった人々の成れの果て。


 生まれた土地を離れた高貴な流民が、何代もさすらって命を繋いできたその末裔が、メァラの家族たちなのだと、彼女は言った。そして、「本当はアタシがその末裔を名乗る資格はないんだよ」とも。


「けど、オヤジたちはアタシにも、姉ちゃんや義兄ちゃんたちと同じように氏族の名を名乗ることをゆるしてくれる。それがヨソモノって爪はじきにされる“歩く人々(ロフト・シュール)”の唯一の誇りなのに、それをアタシにも許してくれんだ」


 それは単純に親父さんたちの懐が広いというのもあるのだろう。けれど、彼女が口にした「唯一の誇り」だという言葉には、ほんの少し首を傾げる。


 相変わらずインクで塗り込めたような空を見上げるメァラは、わたしのそんな様子に気づかない。


 気づかないまま、話の緒を結んだ。


「だから、アタシはオヤジたちの誇りにドロをかけないようにセイシンセイイ生きてくって決めたんだ」


「……そうかしら」


「ん?」


「いいえ」


 呟きがよく聞こえなかったらしいメァラに首を振ると、彼女は怪訝な顔をした。けれど、それも一瞬のこと。


 次には、「ちょっと疲れたから眠気がもどってきたよ。かえろっか」と馬車への道を取って返した。相槌を打って彼女の後に続きながら、わたしは一度だけ、夜空にまたたく星々を振り仰ぐ。


 前に半島状の小さな教会で見た、あの目が覚めるような星空とは違い、内陸から見る星は柔らかく岐路を照らしていた。彼ら――メァラの家族たちの誇りは、この星々のようなものではないかしら、と、そんな考えが頭をよぎる。


(彼女のお父様が、お母様が、家族たちが、本当に誇りにしているのは……)


 受け継がれる名ではなく――もちろんそれも大切で譲れないものだろうけれど――、彼女を含めた、この家族たちそのものなのではないかしら。少なくともわたしは、そんな感慨を抱いた。それを彼女に伝えようとは思わないけれど。


 彼ら家族同士の本音はきっと、メァラ自身が感じ、気付くべきことだ。わたしはわたしの所感と彼女の生い立ちの一片を心に納め、あの小ぢんまりとした幌馬車へと戻って行った。




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