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ヒラエスの魔女の唄  作者: 待雪天音
嘆きと祈りのクッチ
21/41

閑話:斯くて古木は標を語りき




「魔女にお気をつけ。魔女がお前さんの大切なものを奪い去ってしまうよ」


 建物の間の狭い路地で、古びたテーブルに掛けた老婆が囁く。生きてきた年月の重みを知らしめる嗄れ声が、ゆっくりと言葉を噛みしめるように忠告を繰り出した。


 テーブルの上には、数重の円と簡素な模様の描かれた布。その上に、指ほどの長さの研磨された枝がいくつか転がっている。


 枝の表面は一部だけが平らに削られ、そこに線を組み合わせただけの奇妙な模様が焼印で刻まれていた。


 縦の棒に斜線が二本のもの。あるいは斜線ではなく横線が四本出ているもの。縦の棒に横線が五本、左右に突き抜けているものもある。


 ――あぁ、どうしてこの道を選んでしまったのかしら。


 あるいは、この町をさっさと去ってしまわなかったのか。


 面倒な押し売り露天の店主に捕まってしまったときのような憂鬱さを覚えながら、わたしは今日、目覚めてからこれまでに起きた出来事を束の間、思い返した。




 ▽ ▲ ▽




 日の出と共に目覚めた、その日の始まりは実に爽快な気分だった。寝具のない場所で眠ったせいで身体は少し痛かったけれど、野宿することを思えば、屋根があり、四方を壁に囲まれた場所で眠れることはそれだけで安心感を与えてくれるものだ。


 ゆうべ使ったままで放置されていた布巾と椀を川辺まで洗いに出て、ついでに水を汲んでくる。クウィヴァン教会へ戻って来る頃には、まだ眠っていたエディも起き出していた。


 毛布の代わりに使った薄い生地の外套は綺麗に畳まれて、脇に避けていた椅子が元通りに並べられている。テーブルが無いので椅子に腰掛けて、手荷物からリンゴをふたつ取り出した。ひとりひとつずつ。これが今朝の朝食だ。


 涼しさの去っていく早朝に、冷たいリンゴをシャクシャクと齧りながらニ、三、言葉を交わして朝食を終えたのが、日が完全に顔を出して少しの頃のこと。


 顔を洗って、口を濯いで、すぐに教会を発ったのは、教会の管理人の家に借りた鍋を返しに行く用事があったからだ。


「このまま、西のホリーヘッドへ向かうの?」


 わたしが尋ねると、隣で足を止めたエディが鞄から地図を取り出す。


「次はホリーヘッドまで大きな町もないし、一度アベルフラウに戻って資金を作っておいた方がいいかもしれない」


「そうね。昨日は進めるだけ進んだから、ろくに町も見て回っていないし」


 旅の物資はバンガーを出るときに補給してきたけれど、おかげで村に入ったときに薬で換金した金子はあまり残っていなかった。またいくらか薬を売って稼いでおいた方が良いだろう。彼も、ここ二日ほどまともに歌っていないようなので、のびのびと声を出せる場が欲しいようだ。


「ついでに、この辺りの史跡について聞いてみてもいいかな。せっかくアングルシーまで来たのに、いまだひとつもお目にかかれていないから」


 そも、この島へ針路をとったのも、彼がそこに歴史的ロマンとやらを見いだしたからだ。わたしには芸術的な情緒や感傷といったものはよくわからないけれど、それが彼の旅の核であるのなら、わたしに否定する理由はなかった。


 それでいいわ、と短く返して、わたしたちは再び歩きだす。道中、花期の終わりかけたジギタリスの花が群生していたので、それを摘みながらアベルフラウへと向かった。


 町に着いたのは、日が朝と昼の間をゆっくりと漂う頃だった。


「……ところで、この辺りの史跡と言っていたけれど、目的地の宛はあるの?」


 それまで気に留めていなかったことがふと気になって、町に入ってすぐ、エディに問うた。彼はうぅん、と曖昧に唸って、小脇に挟んでいた地図をもう一度広げる。


「この町の北の方にひとつ、ドルメンがある筈なんだ。ただ、詳しい位置がよくわからなくて」


 そう言いながら、地図上のアベルフラウの町を指す。見れば、アングルシー島の各所にインクで丸が描かれていた。その辺りが彼の言う“ドルメン”の場所なのだろう。


「ドルメン、ドルメン……?」


 けれど、わたしは珍しく聞き覚えのない言葉に、彼の目的地らしいその単語を繰り返す。少なくとも、コンウィ近くの村に顔を出していた頃には聞かなかった単語だ。


「あぁ、そうか、グウェンの住んでいた辺りには無かったのだったかな。支石墓、と呼ばれるものだよ。太古の昔に建てられた、石柱で巨大な天井岩を支えた巨石墓なんだ」


「お墓なの?」


「そう言われているけれど、用途はよくわかっていない。何かの目印だとか、儀式に使われた特別な場所だったんじゃないかとか、学者たちの間でそんな憶測がある程度だよ」


 墓碑そのものも、ある意味では儀式に使われるものの一部だ。人が死に、魂が次の生へと向かうための束の間の眠りを受け入れる(しるし)なのだから。


 とは言え、学者様がたにもよくわからないものを、わたしが理解できようはずもない。「そう」と短く相づちを返したとき、近くを通りかかった町人に声を掛けられた。


 仕入れてきたのか、それとも売り歩いている最中なのか、作物の乗った大きな荷車を引いている男性だ。


「あんたら、タ・ニュイッズに行くのかい?」


「タ・ニュイッズ? それがここの近くのドルメンの名前ですか?」


「ここいらで北の方のドルメンって言やぁ、タ・ニュイッズしかねぇよ。近いってほどでもねぇがなぁ。ちょいとかかるが、なぁに、今から行けばゆっくり歩いても、お天道さんがてっぺんに来るまでには着くだろうさ」


 エディが尋ね返せば、男はきっぷの良い笑顔でそう言った。史跡の詳しい場所や行き方を尋ねると、“真っ直ぐ直線で向かうと目印が無いので、海沿いに小さく半島になっている場所から街道沿いに進むと良い”と教えられる。


 思わぬところで早々に情報が手に入ってしまった。ふたり揃って礼を告げると、男性は町の中心の方へ去って行った。


 町人の後ろ姿を見送ってから、呆気に取られたまま、連れを横目に見上げる。


「運が良かったようね」


「きみの日頃の行いのおこぼれかな」


 そこは自分の行いの賜物だ、と言わない辺りが妙なところで謙虚な男だ。


「それじゃあ、目的地への道も聞けたことだし、私は町を出る前に少し歌を唄ってくるよ」


「ええ。わたしもまた薬を売ってくるわ。用事が済んだらここに集合ということでいいかしら」


「うん」


「遅くても、日が中天に来るまでには合流しましょう」


 そこまで取り決めると、わたしたちは町の入り口で別れてそれぞれの用事を済ませに向かった。


 彼は町の中心の方に。わたしは町の路地裏に。


 なぜ路地裏に、と聞く人が聞けば訝しがられるだろうけれど、仮にもここは嘗て、ウェールズ北西部(グウィネズ)がひとつの国だった頃、首都として栄えた町だ。今でこそ、ウェールズの端の田舎町といった風情ではあるものの、しっかりした店で商品を買い取ってもらうには、それなりの質や取引証明書が必要になるだろう。


 質は決して悪くはないはずだけれど、小さな村で物々交換をして生計を立てていただけの小娘の薬を、正規の値段で買い取ってくれるわけがない。……となれば、残るは表で商売ができないようなもぐり(・・・)の薬種屋か、店舗を構えられずに道の脇で露店を開いている露店商に買い取ってもらうしかないだろう。


 せめて市場の開かれる時間であれば、幾らか支払って自分の品も市場の露店に並べてもらえたものを。朝市には少し遅い時間に着いてしまったので、他にやりようもない。


(精々、買い叩かれないように精一杯値を釣り上げなくちゃね)


 相棒の籠をしっかりと抱えなおして、わたしは迷路のような路地裏を練り歩いた。




 ▽ ▲ ▽




 結論から言おう。良い金額とはいかないものの、わたしの持ち込んだ薬や薬草はひとまず妥協できる値段で買い取ってもらえた。


 本土とはそれほど距離の無いアングルシー島だけれど、やはり薬草の種類には多かれ少なかれ差異が出る。表通りに商店を構えている薬種屋とは違って、安定して仕入れられないような露天商は、この辺りで取れない薬草やそれらから作られる薬を欲しがるものだ。……相場の値がつく薬を買えないような人々に、もう少し落とした値段で売り付けるために。


 潤うほどもない懐が少しだけ暖かくなったことに気を良くして、わたしはエディと別れた町の入り口へと急いだ。


 店を探し歩いたせいで、既に結構な時間が過ぎていた。日はもう少しで中天に差し掛かるところだ。


 初めて来た町で土地勘などある筈もなく、とかく誰かに道を聞くためにも、大きな通りに出ようと足を急がせる。ひとつのことに必死になるとその他のことが疎かになるのはままあることで、この時のわたしも例に漏れずそうだった。


 風の音も、小鳥の鳴き声も、まばらに聞こえる町のざわめきも意識の外に追い出していたと言うのに、その声だけが嫌に鮮明にわたしの心へ入り込んできたのだ。


 それで、わたしの意識はそちらへ逸れた。


「お前さん、不思議な匂いがするねぇ。数奇な運命をお持ちのようだ」


 普段なら、聞き逃していただろう。それは掠れ、嗄れた老婆の声だった。


 決して大きくはないし、名前を呼ばれたわけでもないのに、何故だか自分が呼びかけられたのだと、はっきりと理解して足を止める。


 辺りを見回すと、白い漆喰の家々の間に、人ひとりと半分の隙間があった。そこにぴったりと嵌まるように古びたテーブルが置かれ、小柄な老婆がちょこんと座っている。


 うっすらと浮かんだ笑みに覗く瞳は、白濁していてあまりよく見えていないようだった。そうした見た目に反して、その視線は真っ直ぐにわたしの方を向いていた。


「わたし、ですか」


 怪訝な声で試しに尋ねると、老婆は迷うことなく「あぁ、お前さんさ」とおもむろに頷いた。突然かけられた声に、警戒半分、興味半分で老婆へ近づく。


 彼女の着いたテーブルの上には、数重の円と簡素な模様の描かれた布。その上に、指ほどの長さの研磨された枝がいくつか転がっている。


 枝の表面は一部だけが平らに削られ、そこに線を組み合わせただけの奇妙な模様が焼印で刻まれていた。


 見覚えのない小物に、興味を惹かれてもう一歩足を進める。


「オガムスティックが珍しいかい」と老婆が尋ねた。


「オガムスティック?」


「オガム文字を刻んだ木の枝だよ。遠い昔に、ドルイドたちが使っていた文字さ」


 ドルイドとは、気の遠くなるほど昔、嘗て北西の島国からウェールズ(カムリ)へと渡ってきたケルト民族の最高指導者のことだ。彼らの文化は宗教社会で、ドルイドは自然信仰の上で季節ごとの儀式や祭礼を行い、知識を蓄え、民に法や教養を(そら)んじたと言われている。


 その人々が土着して、“我ら(カムリ)”と名乗るようになった。それが、ウェールズ人の古い祖先だと、昔、母が言っていた。


「この文字には、それぞれの持つ意味があってねぇ。文字の示す意味と、象徴する植物の性質で占うんだよ。オガムスティックはそのための道具さ」


「あぁ、占い……それがご老人の生業なんですね」


 膨らんでいた興味が少しばかり萎むのを感じた。超自然的な力のすべてを否定するわけではないけれど、こと、神の領域に掛かるような業に関しては、どうにも信用できない節がある。


 神様が人に手を貸してくれることなど無いように、占いなどという未だ見ぬ先を見通す力を、言ってしまえば、わたしは信じていないのだ。


 不確定な力に縋るのは、母を病で亡くしたときにやめた。祈っても泣いても、奇跡はそうそう起きてはくれない。信じられるのは、己の知識と先人たちの知恵だけだ。


 目の前のご老人を否定するつもりはないけれど、許容と受容はまた別のものである。


「ごめんなさい、ご老人。わたし、やっとものを食べられるほどのお金しか持っていないのよ」


「お代は要らないよ。この(ばば)が、お前さんに興を惹かれただけだからね」


 遠回しに断って立ち去ろうとすると、老婆は後ろ髪を引くように、かちゃり、かちゃりとオガムスティックを皺くちゃの指先で弄んだ。どれが木の枝かわからないような、年季の入った指先だった。


 彼女の声のように、木の枝のぶつかる音が耳について仕方ない。それで思わず、足が縫い付けられる。


 その瞬間を待っていたとばかりに、彼女は間髪入れず、信じられない言葉を口にした。


「タ・ニュイッズに行くならお気をつけ。島の沿岸を伝って行くなら尚お気をつけ。南西の小高い丘になっている岩礁地帯には、地底の遺跡が眠っているからね」


「どうして……」


「あすこは魔女の石室だよ。お前さんみたいな娘さんは、()てられてしまうかもしれないからねぇ」


 なぜ、とわたしが問うたのは、気をつけろと言われた理由に対してではない。なぜ、わたしがこれから向かう場所を、通る道を、彼女が知っているのかということだ。それにも関わらず、老婆は眉ひとつ動かすことなくとうとうとわたしに忠告を説いた。


 魔女の石室。その言葉が頭の中でぐるぐると回る。そう口にした彼女こそが魔女のようだった。


 怪しげな妖術を使い、人に呪いを掛けてしまう、昔話の怖い魔女。口元に浮かぶ薄い笑みが、その奇矯な言動を助長していた。


(……馬鹿馬鹿しい)


 自分の妄想が愚かしく思えて頭を振る。まじないや占いの類いが、それほどに人知を超えた力を持つわけもないのに。


(きっと、あの町の入り口で会った人みたいに、どこかでわたしたちの話を聞いたんでしょう)


 自分の中で辻褄を合わせるためにそう結論付けて、わたしは空を見上げた。急に日の位置が気になったのだ。見れば、初夏の燦々とした太陽はもうすぐ中天にたどり着く頃だった。


 そろそろ戻らなければ。彼を待たせてしまっているかもしれない。そう考えて、老婆にひとつ会釈をしてから踵を返した。


「いいかい、魔女にお気をつけ。魔女がお前さんの大切なものを奪い去ろうとしているよ」


 大きな通りの方へ踏み出した背中に、再び予言じみた声が投げられる。思わず足を止めて振り返ると、テーブルの上には四本のスティックだけが残されていた。


 縦の棒に横線が四本、右に出ているもの。縦の棒に横線が五本、左右に突き抜けているもの。それから、縦の棒に斜線が二本入っているもの。


 順に並んだ三本のスティックから離れたところに、もう一本避けられているけれど、ここからではよく見えない。


 見えたところで、オガム文字というものを知らないわたしには、その結果を読み解くこともできないけれど。


「家族も、家も、失くなったわ。この上わたしが持っているのは、短い人生で得た知識と、この身ひとつだけです」


 言外に大切なものなどもう無いのだと伝えると、老婆は「はて」とおかしなものでも見たように小首を傾げた。占い結果にそぐわないとでも言いたいのだろうか。


 占いを信じないわたしは、結果に頓着する理由もない。けれどこの不思議な雰囲気を持つ老婆がわざわざ呼び止めて忠告したからには、恐らく、彼女なりの理由があるのだろう。


 それは心に留めておこう、と思った。いつか、自分の手に負えない何かが起きたとき、振り返って、このことだったのかもしれないと思える程度には。


「ご老人」


「なんだい、娘さん」


「占いついでに、ひとつ、ご助言をいただいても良いでしょうか」


「ああ、良いとも。この耄碌(もうろく)した婆に、何が言えるともわからんがね」


 少なくとも、わたしの何倍もの人生を生きているだろう彼女に、何ひとつ答えられないなどということはないでしょう、と胸の内で返した。


 それから何食わぬ顔で、


「わたしはこれから、どこを目指せばいいと思います?」


 もののついでのようにそう尋ねた。


 勿論、目下はこのあと、エディと共に北のドルメンへ向かうだろう。それから西のホリーヘッド(カエルガビ)へ。そしてアングルシー島(アニス・モーン)を北へ向かいながら、東南へぐるりとウェールズ本土に抜けるのだ。


 けれど、聞きたいのはそのようなことではない。もっと、自分の根底の、心の有り様だった。何せ今は、わたしを括り止める人も、家も、何もないのだから。


 逡巡の後、ひび割れた唇をゆっくりと開いて遠見の魔女は言う。


「お前さんのヒラエスの定めるままに」


「そう。……ありがとうございました」


 結局は、自分の心持ち次第なのだ。そのように納得して、わたしは籠から取り出した小壷をテーブルに置いた。


「これはなんだい?」


「眼鏡の薬草、と呼ばれるハーブで作った薬です。どれほど効くかわかりませんが、目のお加減が、あまりよろしくないようなので。この煎じ薬を白湯に溶かして飲んでみてください」


 相談料のつもりで差し出した薬だった。ところが老婆は、それをわたしの手の上から包み込み、ごく弱い力で押し戻す。


 どうして、と問う前に、老婆は笑みを僅かばかり深めた。


「言ったろう。これは、お前さんに興を惹かれた婆の気まぐれだと。それに、案外とこの目は不自由していないからねぇ」


「けれど、それほど白くなってしまっては、あまり物が見えないのではないですか」


「あぁ、見えないね。けれど、見えるものが見えなくなるということは、これまで見えなかったものが見えるようになるということでもある」


「見えなかったものが、見えるように?」


「お前さんにも、いずれわかるさ」


 だから、それは仕舞っておくといい。老婆はそう言って、わたしから手を離した。


 受け取るまいという彼女の意思は固いようで、仕方なし、わたしは一度テーブルに出したものを、不格好にも籠の中へ戻すことになった。


 頭を下げる。さっきの会釈よりも、もう少し深く。相変わらず占いという不確定的なものを信じてはいないけれど、先人の言葉には含蓄があるので侮れない。


 これがわたしの敬意の形だ。


 今度こそ、大きな通りへと爪先を向ける。老婆は、もう二度とわたしを呼び止めなかった。




 ▽ ▲ ▽




 人通りのすっかりなくなった路地裏、その建物と建物の隙間に、小さなテーブルと小さな老婆の姿があった。


 老婆は最後に占ったオガムの占相を見下ろしながら、並ぶスティックを慎重な手付きでなぞった。


 感覚の鈍くなった指先が、長年触れて浅くなった焼き印の凹凸を感じ取る。


「サイル、イーㇵアに……ゴート」


 それぞれ、ヤナギとイチイ、それからキヅタを示すオガム文字だ。


 三本のスプレッドは、過去、現在、未来を示し、一本だけ除けた四本目のスティックは、娘にとっての重要な鍵となるものを表していた。それらを一本一本手にとっては、よく見えもしないのにまじまじと見つめ、手元の布袋に仕舞っていく。


「ヤナギは水をよく吸い、知識を表す植物だ。お前さんはこれまでの人生で、存分に今の道へ繋がる知識を吸収してきたんだろう。一方で、変化のないものには進化もまた無い。どんなに吸収したって、前に進めなけりゃあ意味がないんだ。イチイは移行と終わりの途だよ。じきにお前さんには、大きな変化が訪れるだろうね。

 ――けど、それを決して恐れてはならん。キヅタは成長と発展の徴だ。大丈夫、お前さんが正しく己の心に従えば、何もかも、万事うまく行くだろうさ」


 だが、と老婆は手元の布袋にスティックを仕舞う手を止めた。キヅタはまた、多く何かに寄生して伸びる植物でもある。絡みつく支柱が無ければ、柔い茎は地を這うだけなのだから。


 老婆は最後のスティックを手にとった。


 縦軸に左へ横棒が四本。オガムはコル――創造と知恵、芸術性を示すハシバミの木だ。あの不思議な娘の成長の鍵となりうる添え木は、如何ほどのものであるのか。


 ぼんやりと光を認識するだけの白濁した瞳に、あらゆる想像の影が横切った。




 ▽ ▲ ▽




「これが、タ・ニュイッズ……」


 開けた野の真ん中に建つ、荒々しくも堂々たる支石墓を前にして、隣の男はあんぐりと口を開けた。


 縦は背の高い大人ほどの高さながら、横に長い厚みのある岩が、四つの太い支柱岩によって支えられている。天井岩は一番厚いところで小さなこどもの身長ほどあるのではないだろうか。


 どれも研磨されていない歪な表面で、不揃いに切り出した岩をそのまま組み上げたような巨石墓だった。


 今の人々でさえ、これほどの一枚岩を運ぶのは大変だというのに、昔の人々はどうやってこのドルメンを組み上げたのだろうか。そんな、凡庸ながらも敬意を含んだ感想が胸に浮かぶ。


「見事ね……」


 ただただその一言に尽きて、わたしはエディを一瞥した。彼は声を掛けられたことで、ようやく魅入られていた意識を取り戻したように頷いた。


「どっしりとした重厚感もそうだけど、何と言うのかな……この四つの支石の中に、人の祈りや、念や、厳かな願いが込められているのだと思うと、感嘆せずにはいられないよ」


 そう言って、彼は恐る恐ると支石のひとつに触れた。まるで、そうすることによって、嘗てこのドルメンを作り、崇め、祀った人々の心に触れようとするように。


 まだ半分口を開けたまま、天井岩を見上げる彼の顔は、茫洋としていて夢と現の間を彷徨っているようだ。


 不安定な外観の上で不思議と安定するこの支石墓を、よく無防備に触れられるものだなと、一歩引いたところから彼の背中を見つめ、思う。


 わたしとは違う角度からものを見るこの男にしか、見えないものがあるのだろう。


 彼は、しばらくそうして岩に触れ、じっとタ・ニュイッズのドルメンを見つめていた。やがて日の光が一番強くなる頃、深く息を吐き出してこちらへ振り返る。


「私の寄り道に付き合ってくれてありがとう。行こうか」


「もういいの?」


「うん。本当は、明け方の姿も、夜の出で立ちも見てみたいけれど、ここで一晩を明かすわけにはいかないからね」


 辺りには民家ひとつ見当たらない。街道の左右に、ぐるりと一面の牧草地が広がるばかりだ。


「そうね。せめて屋根と壁のあるところで眠らないと、こんな場所では野盗に襲われてもおかしくないわ」


「あと、雨に降られたりね。雨季は去っても、この島の天気は気まぐれだそうだから」


「そうよ、あなたの足取りみたいにね」


 彼が隣に並ぶ。それを待つともなしに、わたしたちはまた、西への道を歩きだした。


 一度だけ、無骨なドルメンを振り返る。墓と言うからには死を連想させるその巨石建造物に、彼の言うようなロマンは感じられない。


 ただ、旅人を見送る一抹の寂寥と、崇高な眠りの門が佇んでいるだけだった。




DIWEDD(おしまい)


余計なシーンを盛り込みすぎたことは作者も自覚している。


英国全域に言えることなんですが、ウェールズも例に漏れずメンヒル(立石)やドルメン(支石墓)が多いので、この辺で何か出しときたいな、でも本編に直接絡ませる程でもないかもな、と思ってドルメンを見に行く話を書こうとしました。

書こうとしました(大事なことなので2回ry)

以下、あとがきという名の言い訳。



▽何かドルメン見に行くだけじゃ味気ないな、そうだルーンストーンの占いとか盛り込んだらどうかしら?と思ったのがそもそもの間違いですね。

主題(支石墓)が副題(占い)に食われました。


▽そもそも下地はケルトだけどイングランド文化の流入したウェールズにルーンストーンの存在は如何ほどか?と少し調べてみたところ、ウェールズ及びアイルランド系ケルトはルーン文字よりもオガム文字の方が文化として強かったようで、ならばオガムで占いを、とどんどん方向性が当初予定していたものとは違う所に不時着しました。

(因みにイングランドでは7世紀だか8世紀だか辺りまでは一部でルーン文字が取り入れられていたようです)


▽作者、占いは学生の頃に興味本位でタロットをちょこっと齧ったくらいなので、所謂リーディングはド素人でド適当です悪しからず。


▽アングルシーで有名な史跡というと、Bryn celli dduとかその辺だと思うんですが、あれ、緩やかな塚で地中に埋まってたせいで発掘作業が本格的になったのが20世紀に入ってからなんですよね。

グウェンたちの時代には、多分まだ存在すら認知されてなさそうだなぁと、今回は支石墓の方に焦点を当ててみました。

因みに老婆の言った「魔女の石室」というのは、Barclodiad y Gawresという、こちらも塚のことです。位置的にはタ・ニュイッズの南西海沿いにある史跡。

名前の本来の意味は昔話に由縁する「巨人のエプロン」らしいんですけど、塚の中に大量の動物の骨と長く火の焚かれた痕跡が残っていたそうで、この痕跡は魔女の醸造物とか魔女のシチューとか呼ばれてたみたいです。

本当に魔女的なものがやべーものを作っていたのか、はたまた塚に埋葬された何者かの副葬物だったのか、うーん、想像膨らむロマン。


それでは、ここまで読んでいただきありがとうございました!

また「ヒラエス」3作目でお会いできたらいいなぁと思いつつ。

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