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ヒラエスの魔女の唄  作者: 待雪天音
嘆きと祈りのクッチ
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4.渡らずの渡し舟




 朝食もそこそこに、夜明けからそう時間の経たない頃に宿を引き払って、わたしたちは女子修道院へと向かった。エディには門の前で待ってもらって、わたしだけが昨日くぐった敷地に足を踏み入れる。


 建物の正面扉を力を込めて叩くと、随分と待った後で慌ただしく扉が開かれた。対応に出たのは、わたしと同じくらいの歳若い修道女だった。


「どなた様でしょうか」


「昨日、シスター・マーガレットのお慈悲で薬草の施しを受けた薬師です。十分の一税として、薬を納めに来ました」


「あ……あ、そうでしたか。薬草の種類と量は如何ほどで?」


「こちらの布に書き留めてあります。こちらが納める分の薬ですが、分量に不足がないかご確認を……」


「いいえ、シスター・マーガレットが施しをなさったというのなら大丈夫でしょう。それではこの分で十分の一税としてお受け取り致します」


 身が入っていない、と言うのだろうか。心ここにあらずなシスターの対応に、怪訝に思って彼女の背後へ視線を投げる。


 人影はないものの、天井の高く広い石廊は、奥の方でさんざめくようなざわめきが反響していた。


「何か、あったんですか」


「いえ! とんでもありません!」


「……そうですか」


 試しに問えば、シスターは間髪入れず否定した。この反応では、何かありましたと肯定しているようなものなのに。


 気にはなったものの、自分はもうすぐこの村を発つ身だ。下手に首を突っ込む必要もないだろうと頭の外に追いやることにした。


 腑に落ちない気持ちで門まで戻ると、すぐに彼が隣に寄り添う。


「薬は無事に渡せた?」


「ええ。一応は」


「一応?」


「なんだか、ざわざわしてて忙しないようだったわ。何があったかは知らないけれど」


「なるほど」


 よくわからない納得を返す連れに、わたしは「行きましょう」と北西への道を指差す。これでようやく、メナイ海峡を渡る準備ができた。


 気持ちを入れ替えて、少しだけ残った引っ掛かりを、修道女の反応と一緒に思考の外へ追い出す。


 だというのに、一度抱いた疑問の答えは思わぬところでもたらされることとなった。




 ▽ ▲ ▽




「検問と封鎖? どういうことなの」


 昨日より強めの潮風に嬲られながら、わたしのうわずった声が目の前の名前も知らない男の人を詰問する。やっと旅を進められると思った矢先に、先の言葉で足止めされたのだ。責めるような色が混じったことにはご容赦願いたい。


 アングルシー島への渡し舟係留所は、わたしたちの知らない間に大変な事態になっていた。


「詳しく教えてもらえるかな」


「へぇ。なんでも昨日の晩、女子修道院の視察にいらっしゃった大司教様が、夕飯の後に倒れちまったとかなんとかで。夜のうちから村への出入りが制限されたんでさぁ」


 寝耳に水の物騒な話に、わたしとエディは互いに顔を見合わせる。メナイ海峡を挟んだこちら側では、朝からときおり訪れる渡し舟目的の客に、船頭たちが同じようなことを繰り返し説明しているようだった。


「食あたりなのか毒でも盛られたのかはわかりやせんが、えらいおおごとには違いないでしょう。だもんで、大司教様がご回復されるか、犯人が見つかるまでは村の周りに見張りを立てて、怪しい奴が居ないか検問を敷くことになったってぇこってす」


「困ったわね。もう一日……もしかしたら、もう何晩か宿屋のお世話になる羽目になりそうよ」


 どうする? と意見を仰ぐ意味を込めてエディを見上げる。彼はしばらく悩んでから、「ひとまず、もう一晩だけ宿をとって、長引きそうなら他の民家にご厄介になれるところを探そうか」と提案した。


 そもそも彼が言うことには、このご時世、宿というもの自体がそう多くはないのだそうだ。大きな都市や町には商人や旅人も多く立ち寄るので、最低一軒はあるらしいが、この規模の村に宿があること自体珍しいらしい。ここには大聖堂があるので、巡礼者のための配慮なのだろうということだった。


 では、宿のない町や村ではどのように雨風を凌ぐのかと言えば、農民の家に泊めてもらったり、厩や倉庫の隅を寝床として借りたりするのが旅人の常識らしい。彼がわたしの家に泊まった一夜目、椅子に座ってうとうとすることを「慣れているから」と言ったことに、今更ながら合点がいった。


 金子にも限りがある。入ってくるものは有限なので、出ていく分も削れるところは削らねばならない。


「仕方ないわ。また明日にでも出直して……」


「いい加減にしねぇか!!」


 船頭に別れを告げようと口を開いたとき、係留所の奥から肌の痺れるような怒声が響いて肩を跳ねさせた。


 目の前の船頭を見れば、彼も困惑した様子で背後の舟を見渡している。いくつか並ぶ渡し舟の中の一番端。岸に繋がれた縄を解こうとする小柄な人影と、その首根っこを掴んで引き離そうとする別の船頭の姿が目に飛び込んできた。


 押し留められている人影は頭からすっぽりと外套を被っているので、男か女かはわからない。けれどその背丈と、外套の裾からこぼれ見えた手指の細さで少女ではないかと思われた。


「だぁから、係留所は封鎖だってさっきから言ってんだろ、この坊主! 向こう岸に人は渡せねぇの! 勝手に舟を動かそうとするんじゃねぇよ。下手なことしてっと、教会に犯人だっつって突き出すぞ!」


「わた……わたしは、はんにんじゃありません! はやく、シャンヴァース修道院におしらせして、薬草をもらわないといけないんです!」


 聞こえてきた声に、目を瞬かせて首を傾げた。どこか、もたついた口ぶりに聞き覚えがある気がして。どこで聞いたのだったかしら。この村に来たのは昨日なので、昨日聞いたのには違いないけれど。


 わたしが難しい顔をして記憶を掘り返している間にも、言い合いは激化していく。


「だったら女子修道院に言やぁいいだろ!」


「女子修道院じゃだめなの!」


「知らねぇよ! 俺らだってシスターと司教様たちのお触れで封鎖してんだ。商売上がったりだぁら、できることなら客を取りてぇんだよ!」


「あ、あの、だったらこの刺繍のハンカチをうれば、いくらかになるからこれで……!」


 小柄な人影が、外套の中で自分の身をごそごそと漁りだした。その間にも、船頭は解けかけた係留綱を結びなおしている。


 注意深く観察していて、あ、と彼女の吃り方に既視感を覚えた。まさか。


 もう一度エディを見上げる。彼は危ぶむように彼女を見ていたけれど、わたしの視線に気付いて苦笑した。彼にもあの小柄な人影の正体に心当たりがあるらしい。


「あぁ、もうしつけぇなぁ! どうしても今すぐ渡りてぇってんなら、司教様たちに直談判しな!」


「きゃ……っ」


「あの、ちょっといいかしら」


 苛立った船頭が振り払うために腕を振り上げる。未成熟の少女なら、まともにぶつかれば飛んでいくだろう丸太のような腕だ。わたしはその腕が振り下ろされる前に、よろけた小柄な人影を自分の方へ引っ張った。それと同時に、彼女の肩を掴むわたしの腕をエディが引き寄せる。


「あァ? なんだぁ、姉ちゃん」


「今、別の船頭さんから話を聞いていた旅の薬師です。わたしたちも先行きを急ぎたいので、修道院へ事情を伺いに行こうかと思っていたところで。彼女ものっぴきならない事情があるようだし、ここはご一緒するのが賢明かと思ったの」


「はぁ……旅人ねぇ。別に、そのガキをこっから引っ剥がしてくれるってんなら、俺ァなんでもいいけどよ」


ありがとう(ディオルフ)、親父さん。それじゃあ、この子はこちらで預かるわね」


「え? あの、あなたは……あ!」


 この小さな外套の中身が少女だと気づいたせいか、暴力を振るう一歩手前だった船頭は気不味そうに頭を掻いてから、犬を追い払うような仕草でここを去るように促した。


 華奢な両肩を緩く掴むと、彼女が戸惑いを隠せずこちらを見上げた。昨日の今日だ、彼女もわたしを覚えていたらしい。鳶色の瞳が驚きに見開かれている。


 誰何の言葉を飲み込んだルシルは、背を押されるままにわたしたちと連れ立って係留所を後にした。




 ▽ ▲ ▽




「あの、わたしはどうしてここに……」


 ゴリゴリと薬草を擂り潰す音に混じって、怯えた少女の声が尋ねる。今にも泣きそうな年下の少女の声を聞いていると、悪いことをしている気分になった。


 おかしい。わたしは寧ろ、彼女を助けたはずなのに。


「あのままでは、きみは船頭に打たれて修道院に突き出され……いや、突き返されていただろうからね。彼女も、ひとまずあの場を離れるのが最良だと思ったんじゃないかな」


「それは……ありがとうございまし(ディオルフ)た」


 わたしの代わりにエディが弁明してくれたので、乾燥した葉を粉末にする作業に勤しみながら沈黙を貫いた。昨日と同じ宿の、昨日と同じ部屋の中。昨日と同じように小さなテーブルいっぱいに薬種と調合道具を広げたわたしは、無心を保つ為に調薬の続きをこなしていた。


 どうせ足止めを食うのなら、昨日できなかった自分たちの分の薬を補充してしまいたい。それだけを宣言して、わたしは部屋に入るなりこの作業に没頭した。お陰で切り傷や腹痛、筋肉の痛みに効きそうなおおよそ旅に必要最低限の薬は、順調に補充できそうである。


 もっとも本来の、気を鎮めて頭を整理するという目的の方は達成できていないけれど。


 擂り潰した薬草を、煮出した別の薬草の煎じ薬と混ぜて練り合わせる。つなぎにオーツ麦を水と擂り潰したものを混ぜて、爪の先ほどの粒を幾つも丸めた。乾燥させればそのまま服用できる丸薬の出来上がりだ。


 調薬する姿が珍しいわけでもないだろうに、窓際に引いた椅子に座って、ルシルはわたしの手元をつぶさに観察している。けれどその一方で、しきりにそわそわと落ち着きをなくしていた。


「……これはニガハッカとクマツヅラの葉で作った丸薬です。去痰や喉の炎症、呼吸の不調を体内から和らげるための」


「え」


「そこの乾燥させた葉はハーブパリス。昨日、あなたの居る修道院でわけていただきました」


「あの……?」


「あなたが物珍しそうに見ているから。まだ知識に乏しいのかと思って」


「そう、ですね。修道院の薬草園にあるものいがいは、まだ、あまり」


 そう言って、ルシルは恥じるように俯いた。十かその辺りの歳ならそんなものだろう。わたしだって、その頃はまだ母にあれこれと教えてもらうしかない立場だった。


 彼女が船頭と言い合っていた内容を思い返す。――シャンヴァース修道院。薬草。女子修道院じゃ駄目。


 拾い上げた言葉の欠片を繋げれば、十中八九、昨夜起きたという大司教絡みの事情だろう。


(面倒なことにならなければいいけれど)


 我知らずため息をこぼすと、真正面のベッドという特等席で一連の作業を眺めていたエディが笑い声を漏らした。


「何」


「ううん、グウェンはやはり優しいなと思って」


「買い被りも程々にして頂戴」


「でも、私が同じように興味津々で薬草の種類を聞いたときも、無視せずに答えてくれただろう」


「黙っていても黙っていなくても、気になったらいちいち話しかけてくるでしょう、あなた。無視し続けるのも忍耐力が要るのよ」


 他愛もないやり取りを繰り広げていると、ルシルの肩が揺れた。自分自身、愛想の良くない自覚があるので怖がられているのだろうと思ったが、どうやらそれだけではないらしい。


 彼女はいくらか迷ったあとで、


「なにがあったか、おききにならないんですか」


 と言葉を選びながら口にした。


「告解がしたいなら大聖堂の方がうってつけではないかしら」


 懺悔という意味ではなく、胸に抱えた告白という意味で言ったつもりだったけれど、彼女はまたびくりと薄っぺらな肩を揺らした。俗世を出た証である、頬の辺りで切り揃えられた短い亜麻色の髪が、彼女がびくつくたびに跳ねる。この少女はどうやら秘密を持つには向かないようだ。


 今はすっかり頭から下ろしていたフードを、今にも被りなおして隠れてしまいそうだった。


「誰も取って食おうなんて思っていないし、あなたから何を聞くつもりもありません。わたしたちはただの旅人で、この村はただの通過点なのですから」


「あ……そ、そう、なんですか」


「だからそんなに怯えないで……ください。幼気なこどもを虐めている気分になるから」


ご、ごめんなさいマイン・ズルゥグ・ゲニ


 言ったそばから謝るので、こちらが罪悪感を抱く羽目になった。何を言ったところで、わたしの物言いでは責めているように聞こえそうだ。説得は早々に諦めて、「謝らなくていいわ」と脱力した声で呟いた。


 昨日は見習いと言え、シスターということもあってできるだけ丁寧に対応していたつもりだけれど、あのような場面を見てしまっては、体面を保つのも余計なことのように思えてくる。


 乾いた丸薬から空っぽの小壷に収めて、中身がわかるように色のついた紐で縛る。それを籠の空いたところに仕舞うと、すっかり身体が凝っていることに気付いた。


「ちょっと、気分転換に周りを歩いてくるわね」


「私も一緒に行ってもいいかな」


 留守番しているのだろうと思って掛けた言葉だったのに、それにはエディが予想に反した返事を返した。


「あなた、偉い人が来ているからあまり出歩いて目立ちたくないのではなかったの?」


「どうやら大司教様は床に臥しているようだし、毒を盛られたのかもしれないなら、犯人はまだこの村に居るかもしれない。そんな中、きみをひとりにはできないよ」


「ご親切だこと」


 許可はしなかったけれど、特に拒否もしなかった。わたしはわたしの好きなようにできるし、彼もまたそうだ。互いが互いの領分を侵さなければ、ふたりの自由は同時に成り立つことができる。


「あの、わたしはどうすれば」


 困惑したのはルシルの方だった。荷物を詰めた籠を抱えながら彼女を見ると、立ち上がるべきか座っているべきか迷っている。中途半端に浮いた腰が引けていた。


「どうするの?」


 エディを見上げる。この部屋の宿代を支払っているのは彼なので――非常に悔しいことに、今回も宿代の支払いを先んじられてしまったのだ――ここは彼の判断に委ねるべきだろう。そう思って。


 けれどここで追い出してしまえば、また無茶をしでかしやしないだろうか。


 わたしの懸念に気付いて汲んでくれたのか、彼はひとつ安心させる微笑みを浮かべると、シスターに告げた。


「好きなようにするといいよ。私たちは今夜はここに泊まるつもりだし、戻りづらいのなら居てもらっても構わないから」


「……いいんですか?」


「私たちはね。……でも、修道院は共同生活の場だろう。皆さん探されているのではないかな」


 彼がたった今思いついたような疑問を差し挟むと、ルシルは探り探りの様子で頷いた。


「修道院は……その、おききのとおり、ゆうべから大変なことになっていまして。見習いのひとりにかまっていられるほど、よゆうがないんです。だからたぶん、大丈夫」


 それで外套なんて被って抜け出してきたわけか。彼女がどういう理由でそのような衝動的な行動に出たかは知れないけれど、性格に反してずいぶん大胆なことをするものだ。


 鞄を肩に引っ掛けたエディが隣に並ぶ。ルシルは立ったり座ったりを何度か繰り返した後で、結局また椅子に腰を落ち着けた。


「わたしたちが出たらきちんと閂を閉めること。戻ってきたら戸を四回叩くから、それを合図に開けて。もしも出ていくときは荷物を全部持って出てちょうだい」


 出かける間際、宿の主人に昨日言われた要点を自分の口で繰り返す。外套に包まって椅子の上で小さく丸まった少女は、捥げそうな勢いで首を縦に振った。




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