その 四
19
夜中、タイチは隣で眠るミヤオの寝顔をふしぎな気持ちでながめていた。(ぼくはこの子の家族と出会った。生きかえるために、彼らに出会えたんだ、そう信じたい)生霊だから眠らないタイチはずっと思いにふけっていた。眠くないとはいえ静まりかえった暗い小部屋でじっとしていると頭がぼうっとしてくる。やがて死んだ親友のケントが目の前に現れた。
「タイチ、なにやってんの。ムサコにひかかってんじゃねーよ」
「うるせえ、おまえなんか……死んじまいやがって。まさかケント、この屋敷にいないよな」
「いねえよ! さらわれてねえし、おまえじゃあるまいし」ケントは歯をみせて笑った。まだ元気でいっしょに野球をやっていたあの頃のように。
「じゃあな、むこうで待っててくれ」とタイチが言うと、「ちがうだろ」とケントは急に怒った。
「まだこっちへ来んじゃねえよ! オレのぶんも生きろ」するどい目つきでそう言いはなって彼は消えた。
タイチは最初この独房に閉じ込められたとき、絶望にうちのめされた。脱出しようとあがいたがムダだとすぐわかったし、孤独感がしのびよってきた。そのあとミヤオが来てくれてどんなにうれしかったことか。(生きよう! そう、あいつのぶんも生きていくんだ。絶対もどってやる!)
同じ部屋で眠ったということが少年たちをより親しい関係に近づけたのは間違いない。朝になるとタイチとミヤオは再会したときよりもっと気軽に話していた。
「いいですか。危険すぎる好奇心は絶対、後悔することになりますからね」
「それとまったく同じせりふ、キミの母ちゃんに言われたよ」
「ふふ。『死と隣りあわせのスリルがたまらない』って言ってる人、たまにテレビに出ますよね。海で人食いサメのジョーズの背中にまたがったりして……タイチ先輩は今後、ふざけ半分でもそんなスリルは控えてください」
「わかったよ。で、この屋敷はどうなの。危険なの?」
「空気中に恐ろしい細菌をばらまいて外界を遮断した館主が永遠につづく余生をおくっているという異様な状況ですが……」タイチが絶句すると、細菌というのはウソ、とミヤオは慌てて訂正した。
「亡霊たちに囲まれて女王のように暮らしている女がひとりいるだけです。しかし、なんの罪もない子供たちの魂を閉じこめて、何年もはべらせているなんてひどくないですか?」ミヤオはムサコとその娘を批判した。しかもロカコは「自分の前世が偉大な教育者だった」と信じて疑っていない。まったく魔女という存在は……と彼が言いかけたときタイチが口をはさんだ。
「キミのお母さんだって魔女じゃないの? ララミさんも、黒木さんだって……」
「魔女ではない」とミヤオは、きっぱりと言いきった。
「エネルギーがほかの人より強い人間がいますよね。その備わっている力を悪いほうに使えば魔です。善いほうに使っているぼくらは違います」
「ごめん。わかった。じゃ、魔女でなければ何と呼ぼうか?」
「うーん……それじゃ、タイチさんが名前をつけてください。ここから無事に脱出して家に帰り、つぎに会うそのときまでに考えてください。宿題ですよ」
「オッケー、約束する」
だけどタイチは知らなかった。生霊であるいまの自分が肉体にもどったら、離脱していたあいだの、いっさいの記憶がなくなってしまうということを。この数日間の思い出がまるで泡のように消えてしまうことを。ミヤオは新しい友だちと叶わない約束をかわした。彼はそのことをさびしく思った。
「あー、おなか空いたなあ」ミヤオが弱々しくつぶやいた。
「いま何時?」腕時計を見ると正午はとうに過ぎている。そろそろレミたちの到着するころだ。そのとき上から爆弾でも落ちたかというくらい、ものすごい爆発音が鳴りひびいた。
「始まったの?」タイチは天井を指さした。
ミヤオにはいま何が起こっているのか、まったくわからなかったがそれが合図とでもいわんばかりに、
「ええ、そろそろ仕事にとりかかりましょうか」と言って尻のポケットから一丁のピストルを抜き出した。
「これはホンモノじゃないですよ。例の『ハートの結晶体』を詰めこんでるオモチャです」
ミヤオは独房の扉を押し開ける。そしてタイチの手をとりロカコ邸の地下道へと走りでた。とたんに守衛の少年たちが彼らを見つけて集まってくる。ミヤオは地下へ降りたときと同じように彼らを矢つぎばやに狙撃してゆく。生命エネルギーを撃ちこまれた子どもたちは混乱して数秒間は足どめをくらい、また動きだしたときにはミヤオとタイチはずっと先を疾走している。またしても爆音。石造りの天井から砂塵がぱらぱらと落ちてくる。二人は地上へあがる階段をめざす。
20
ロカコ邸に着く前からレミは「ハコニワ」を使うと予告していた。「ハコニワ」を使えば、実際の建物で起きたことをミニチュア版の屋敷をのぞいて見ることができる。逆に、ミニ屋敷にイメージを送りこむと本物の屋敷に影響をおよぼすことができる。思うがまま。ただし、その効力は長時間もたない。建物が大きければそれだけ効きめは短くなってしまうのだ。今回の対象はあまりに巨大だ。ロカコ邸がシャボン玉に入ったいま、レミのイメージどおりに建物内であらゆるものを動かせるが、その効力は三十分もつかどうか。とにかく急ぐしかない。
「さっきミヤオから『まだ?』って催促の念波が届いたからさ……お先に!」。黒木が玄関ドアをこじあけて屋敷の中へ入ってしまう。
レミはララミに言った。
「五秒でできる確認をせず先走ったときにかぎってミスがでる。オッチョコチョイな人ほど準備が肝心なのにね」と同僚を引きあいにだして仕事上のルールを娘に教えた。
ロカコがかこっている子どもたちはみな白い衣類を着用している。頭からすっぽりかぶるだけの簡素なもの。ここでは個性など不要なのだ。それでも時おり格好のちがう子がまざっていることがある。さらってきたばかりの生霊のなかに本能がわずかに残っている我の強い子がいて、着替え命令を拒絶して逃げまわっているのだ。しかし数日たてばそんな子も他と同じく無抵抗になる。
その日、昼下がり。おかっぱ髪に和服姿の少女の存在にロカコは気がつく。
(あんな古風なコ、今回のバスにいたっけ? まるで私の青春、大正ロマン薫る「はいからさん」といった風情だわ)とロカコは思った。しかしその時代にはすでにこのシャトーに引きこもっていたロカコであった。
まだ二日酔いが抜けきっておらず、彼女はぼんやりした頭でさほど警戒せずに近づいていく。その女の子が野ざらしになっていた人形だったとは知るよしもなく。
「?」 様子がヘンだ。きょろきょろ見まわしては早足で広間を駆けまわる袴をはいた女の子。さらってきた子は半分眠っているようなもので終始のっそりしているのが当たりまえだが、このきびきびした態度はいったい何?
落ち着きない少女の背後からロカコはそっと近づき肩に手をかけようとしたそのとき、少女はくるりと向いて怒りの形相で、ほえた。
「ガウガウ!」
ロカコの首すじに飛びかかる。ロカコはのけぞってすぐさま少女の頭をはたいたが、こんどは手を噛みつかれた。ギャッ、とうずくまるロカコを残して少女は部屋をとびだす。
「待ちなさい!」追いかけるロカコは女の子が生霊でないとまでは気づいていたが、これが外部の差しがねとまで考えが至らない。
レミたちの作戦においてまず最初にやるべきこと、それはロカコを応接間から遠ざけることだった。なぜなら、子供たちの魂を監禁している「マザーボックス」(とロカコはそう呼んでいる)がそこにあるからだ。ミヤオが発見したその鍵束で魂を解放するには、その箱を壊して中にしまってある小箱の鍵穴を開けていかなければならない。ロカコがいては邪魔なのだ。
レミは正直、屋敷に潜入したくなかった。まして息子ほど任務慣れしていない娘も今回は同行している。救える子供たちの魂を助けるだけ助けだしたあとは、早々に退却しよう。そう考えていた。
館主を塔上へ追いやる(シグレの予知夢スケッチどおり)ここまでは順調だわ。彼女は玄関の前でタバコを吸いながら、ミヤオとタイチが黒木凛と合流するのをまだかまだか、と待っていた。
はいつくばってミニ屋敷の窓から中をのぞいていたララミが「あれ?」と驚きの声をあげた。
「ママ。ミヤオの報告によれば、ロカコって女以外は子どもの霊しかいないはずよね」
「そうよ……あ、そういえば一人だけ、ランニングシャツの坊ちゃんの護衛がいるとか」
「霊は大勢いてもミニ屋敷のなかでは見えないじゃん。でもランニングはいるのよ。このコ、幽霊じゃない。人間よ」
「まア! タイヘン」
レミも地面に突っぷしてミニ屋敷の応接間をのぞきこむ。真っ赤なドレス姿のミニチュア女主人が広間を飛び出したところだった。そしてミニ坊やがぽつんと部屋に残されている。
そんなことつゆ知らず先行した黒木はミヤオと同様、「ハートの結晶体」の弾をつめたピストルの引き金をつぎつぎとひいて走った。撃たれた少年たちは床に突っぷしてしばらく動けない。そうやって足止めをしながら彼は屋敷のなかを突き進む。やがて、はいからさん少女とそれを追いかけるロカコが飛び出す場面に出くわした。(まさか犬の霊がしみついた人形だったとはね) おとりの自動人形に感心しながら彼はついに目的の応接間へ侵入した。
部屋は巨大シャンデリアに年代ものインテリアと絢爛豪華。さすがシャトー・ロカコの大広間だ。そのなかでランニングシャツ、半ズボンの男の子がぼんやり立っている。
黒木は彼の注意をひこうとして、舌をチッチッと鳴らす。ぼーっとして反応がない。黒木はあせり始める。そして彼は致命的なミスをおかしてしまった。それまで調子よく撃ちまくってきたからといって言い訳できない。それではあまりに軽率だ。
黒木は勢いでランニング少年を撃ってしまった。裸の大将はきょとんと立ち尽くしていたが思考が止まったようには見えなかった。黒木は混乱した。そしてさとった。
(ロカコ以外に生身の人間がいたのか!)
慎重さが足りなかった。子供たちはあやしげな団体の信徒よろしくみんな真っ白な服装、この子はちがう。不審に思うべきだった。
ミヤオが「ハートの結晶体」と呼んでいる自作の生命体は、そもそも霊体用の丸薬だ。ふつうに活動している生物に注入した場合、かえって生命力は活発化する。例外は生霊に投与した場合でそれは魔女バスのなかで目覚めたタイチがいい例だ。この促進効果には個人差があってその影響は注入してみないとわからない。
黒木は彼の額に弾を撃ち込んだ。ノブと呼ばれるその少年はロカコによって五歳から成長を止められて何十年も使われてきた召使だった。長い歳月せきとめられていたエネルギーが彼のなかで突然めざめて超速で駆けめぐりはじめる。ノブは急に頭がすっきり明瞭になった。そんなことは今までになかった。
ボディーガードの彼は人差し指から目に見えない空気の弾を撃つという特技をもっている。ときどき窓辺から小鳥やリスを狙い撃って威嚇して遊んでいる。
(指五本、ぜんぶ使ったらどうだろ?)
ノブはためしに部屋の壁をめがけて「バーン」と発射した。屋敷のなかで空気砲を撃つなんてこれまで考えたこともなかった。だいたい彼は従順なロカコの用心棒なのだ。撃ったとたん、ものすごい風圧がおこって彼は尻もちをついた。壁はこっぱみじん、跡形もなかった。(これはすごいや!)と二発目。
こんどは天井にむかって、今のよりもさらに力をこめて両手でやってみた。みなぎるエネルギーがいっきに放射されるかのように手のひらからものすごい衝撃波。爆風がまきおこって天井があったところに穴があいて青空がのぞいていた。
黒木は懸命に自分を落ち着かせて助手のミヤオに思念を送る。
「いまそっちへ上がるとこです」彼から返事があった。目の前には「マザーボックス」が収納されているサイドボード。それを開ける方法はミヤオがすでに調査済み。でもそばには覚醒したノブがいる。急げ。事態急変だ。
とつぜん、レミのかん高い声が響きわたる。
「きりん! あんたのいる意味、何だよ!」ノブが大穴をあけたためにつつぬけになった隣の部屋に貴婦人の肖像画が飾ってある。その絵画の顔がレミに変化して黒木をにらんでいた。
「あいかわらず注意力が足りない!」。黒木は申し訳ありません、と頭をさげた。
「すみませんでした……しかしそれどころじゃなくなりまして」
「あんたのせいだよ!」
そこへ、地下からあがってきたミヤオがタイチを連れて到着した。壁と天井に穴のあいた応接間を見回して、「爆発でもおきたの?」と聞く。ノブが狙いをつけたのを見て黒木は少年たちにとびこんで床に伏せる。頭のすぐ上を砲撃が通過して壁にまた大きな穴があいた。ミヤオは事態を察知してサイドボードに駆けつけた。
(頼んだ。時間もあまり残っていない) 黒木は祈る気持ちで助手を見まもっていた。
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はいから少女は洋館の大階段をかけあがり、そのまま塔へとのぼっていく。ロカコは女の子の不自然な動きにようやく不審感をいだく。やがて塔内のらせん階段でついに追いついた。少女を振り向かせておでこに頭突きをくらわせた。ぶつかってガチンと鳴る。彼女は狂ったようにギャンギャン吠えてじたばた暴れまわりロカコのあごに噛みつこうとする。ロカコは少女のおかっぱ髪をひっつかんで耳もとで呪文をつぶやいた。すると目の前で女の子のかたちがうすらいで消えていき、やがてそれも見えなくなってぽとり、と何かが床に落ちた。
拾いあげるとそれは汚れきって古びた一体の日本人形。なぜこれが女の子に変わったのか、わけがわからない。飲みすぎのせいか、こめこみがずきずき痛む。ロカコはそのまま思案にくれてらせん階段を降りた。しかし階段はいつまでたっても終わらない。おかしい。もう塔を降りきっているはずよ。ロカコは混乱してかけ降りるが、いつまでたっても同じところをぐるぐる回りつづけている。
「ちょっとお行儀が悪いようだね」広間の大鏡のなかからムサコの黄色い顔がにらんでいる。ノブはムサコめがけて空気砲を撃った。老婆は目をみはったが、その直後にやりと笑う。鏡はおろか壁まるごと吹き飛んでしまったが、こんどは部屋のはじの鏡台にムサコの顔が現れてけたけた笑っている。
「いこかァ! 好きなとこへ連れてってあげる。いっしょにいこか!」ノブは耳をおさえて舌をぺろりとだす。ムサコは鏡のなかから外へ出てきて、
「いうこと聞かない子はおしおきだよ」背負ったコウモリ傘を開いてぶん、とひと振り。ノブは強風に押されて屋敷の外まで吹き飛んだ。レミとララミのいるすぐそばにノブが落ちてきた。
そばに停まっていたワゴンカーのドアミラーにムサコが映っている。
「おかえしだ」起きあがったノブはミラーを狙ったが、車自体がこっぱみじんに破壊されてしまった。
「ひええ、なんてこと」とレミ。どうしよう。時間がない。急いで最善の策を打たなくては……大破してボンネットから炎があがりはじめたワゴンカーに駆け寄ってみると、なんとか後部座席は形をとどめていた。
「ララミ、この長椅子に乗ってみんなを連れてきて!」レミは言った。あたしは「ハコニワ」のそばを離れられない。ここで援護するから、と。
困惑ぎみのララミにむかって母親は、「これを持っていきなさい」と袖をまくって腕に巻いてある布をほどいた。それは黄色いリボンだった。出発の支度中にふと予感がおりてきて腕にしばってきたものだった。
「これは死んだあんたの父ちゃんがあたしにくれたものでね。あの人が護ってくれているような気がしてときどき身につけるの。あんたに預けとく」ララミはこくりとうなずいてそれを受け取った。
さいわい、車は「ハコニワ」のエリア内に停めていた。レミが手をかざすと、バックシートはもぎ取られてそのまま宙に浮かぶソファーとなった。ララミがそこへ座ると、空飛ぶ長椅子は屋敷のなかへゴーカートのように、びゅん、とものすごい勢いで飛びだした。
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ノブが屋敷の外へ吹き飛ばされたいま、ボックス探しの絶好のチャンス。しかし、ミヤオはサイドボードを開けるのに苦戦していた。潜入した初日にロカコが「マザーボックス」をそこへしまうのを見ていたが鍵がかかっているのだ。ヘアピンでひらかない。少しさがって助走をつけて肩からぶつかったが壊れない。
「どいてろ!」黒木が後方から叫んだ。銃をかまえている。「ハートの結晶体」をつめたオモチャのピストルではなく本物の三十二口径だ。銃声一発。サイドボードは見事にこなごなにくだけた。
中から赤い金属製の箱「マザーボックス」がのぞいている。さて今回の魔女バスで連行されたまだ日の浅い子たちの魂はどうやって収納されているのか? 不安はその一点だった。
もし、ロカコが無頓着な性格で箱の中身が整理されていなかったらどうしよう?
しかし、彼らは天に見はなされていなかった。さらわれてきた乗客リストが日付入りで貼りつけてある小箱に小分けされていたのだ。
「もうすぐお別れですね。お元気で」とミヤオ。最新日付の箱をあけるとその中にきらきら輝く錠前付きのアクセサリー入れがびっしり並んでいた。
彼は鍵穴につぎつぎと鍵をさしこんでいく。今回さらわれてきた乗客であろう、白衣を着た子たちのなかから、ひとり、またひとり、と浮かびあがっていくのが見える。
塔上の高い窓からロカコがわめく声が聞こえてきた。「ハコニワ」による堂々めぐりから抜けられないのだ。
「ぼくは最後でいいよ。ほかの子たちを優先してあげて」
「なぜですか」
「この家では新入りだから」ミヤオは笑ってうなずいた。
ところがそれがいけなかった。ミヤオが鍵をあけてロック解除しつづけて、いよいよあと残り三人になったときだ。「マザーボックス」が見えない力で彼の手から強引に奪われて飛んでいった。その先にムサコがいた。
「この野球帽め。仲間を呼んでめちゃくちゃにしやがって! あんたはぜったい帰さないよ。その前に……」老婆はコウモリ傘をひと振りすると、ボックス片手に真上に飛んでいき子どもたちを追った。そもそもムサコがつかまえてきた子だ。彼女が「いこう」と命令さえすれば、彼らの魂はとらわれの霊体に逆もどりしてしまう。
「こっちよー!」
空飛ぶ長椅子に乗ったララミが現れた。彼女の「霊を吸い寄せる力」によって何十人もの子供たちの生霊を引き連れてゆく。
「おねえちゃん!」
「まかせて」ララミは弟にむかって叫んだ。そして手にしていた亡父の形見、幸運の黄色いリボンを爆風になびく長い黒髪に結びつける。ノブが屋根に大穴をあけてくれたおかげでてっぺんまでつつぬけ、そのまま空へ一直線だ。
そうはいくか、とムサコは突風を起こして崩壊した燃えさかる屋敷の壁をべりべり引きはがしてララミめがけてぶつけてきた。
熱風がララミに吹きつけ、彼女は思わず目をとじる。直後、庭にはえている巨木が地面から引き抜かれて、根っこに土のかたまりをくっつけたまま回転してムサコに向かってきた。レミがミニ屋敷に手をかざして操作している。ムサコははるか下へ落ちていった。ララミの長椅子は間一髪、飛んできた炎をかわした。
いまや屋敷は半壊状態だった。ノブは壮麗な西洋館を材木や鉄骨、もつれた配線といったガレキの山に変えていく。廃墟と化したシャトー・ロカコをのしのしと歩くノブ。
そして、それまで幼児の思考能力しか備わってなかった彼の頭脳は思春期へと突入していた。残骸に足をとられてはそれらを蹴りとばし、倒れないで残っている柱や壁に向かって、さらに空気砲をくらわしてこっぱみじんにしていく。
「どけ、ジャマだ」ロカコ配下の子どもたちをなぎ倒し、彼はそのままロカコ邸宅の敷地から出ていった。
落下するムサコは地上寸前で態勢をもちなおし、こんどはミヤオとタイチに向きなおった。彼らのいるすぐ横には、倒壊した柱が進路を阻んでいる。ムサコは目の前までせまってきた。
黒木はガレキの山をひといきに飛び越えるとそのまま走りぬけてムサコに体当たりをくらわせた。「マザーボックス」が彼女の手を離れ、そのすきにミヤオが飛びこんで箱を取り戻すことに成功した。
けれど残りの鍵を開錠しようとするミヤオだが、あせって手につかない。ポケットから鍵を取り出すつもりが、予備の「ハートの結晶体」を詰めたホルダーを落として地面に丸薬をまき散らしてしまった。
(おちつけ。箱を持ったまま走れ!)黒木はミヤオに念波を送った。
「タイチさん! 走るよ、ボクについてきて」ミヤオが叫んだ。気がつくといつのまにか守衛の少年兵たちが何十人も彼らのまわりをとり囲んでいる。
タイチはこぼれ落ちた丸薬を拾いあげ、少年霊たちに狙いをつけて投げては拾い、拾っては投げつづける。そのすばやい動きは、さすが鍛えられた内野手の動きだった。
いくぞ。ふたりはガレキの山を迂回して黒木の待つ屋敷の玄関があったあたりまで全力で走りぬける。ララミの長椅子がそこで彼らを拾う算段だった。レミがミニ屋敷にパワーを送っても屋敷内の念動力は弱まって操作しにくくなっている。いよいよ時間切れが近い。しかしまずいことに、結晶体を投げてミヤオを援護することに集中しすぎてタイチが遅れている。
「なにやってんだよ!」
タイチの前にケントが立っていた。
「なんでそういつもトロいんだよ。はやくここから出たいんだろ?」タイチは思った。(ケントはいつだって僕の先を走ってた。もちろん、野球用品でぱんぱんにふくれた彼のバッグを僕がかわりに持ってあげてついていくような日もあったけど……僕はいつも彼の背中を追いかけてきたんだな)
とつぜん、タイチの目の前に巨大な鉄のかたまりが落ちてきて、振動とものすごい音が破壊された洋館に鳴り響いた。もうもうとたつ土埃を見透かすと、途中で折れた大階段が彼の行く手を阻んでいるのがわかった。ムサコがコウモリ傘をふり降ろしてガレキをつぎつぎと落とすことで彼をとじこめる魂胆だ。
(もう二度と戻れないかもしれない) タイチはあきらめの感情におそわれた。その気持ちが伝わったのか、ケントは悲しげな表情をしていた。僕が馬鹿をやったばかりに半分死の世界に入りこんだせいで、またおまえと話せるようになったのはいいけど……このままムサコにとらえられてしまったら、僕はどうなるんだろう。
「最後まで何が起こるかわからない。それがいい結果か最悪な事態かどうかも。とにかく今はあきらめるな!」黒木が叫んだ。
「そうだよ。最終回打たれたら逆転負け、あと一人打ち取ったら勝利。そんなときオレたちはどんな思いで守っていた?」
23
ララミは空飛ぶジュウタンならぬ長椅子で屋敷のなかをそのまま真上に飛んだ。ララミ自身が運転しているように見えるが、じつはレミが「ハコニワ」で操作している。彼女はただ車のバックシートにしがみついているだけだ。
魔女バスで連れてこられたばかりの子供たちの生霊の群れが上空をおおうシャボン液のような膜をそのまますいすいと通りぬけていくのをララミは見ていた。空は雲ひとつなくてまるで海のように深い青だった。
(鬼火がシーツをすりぬけて光る魚に変わるのと似てるわ。夜の砂浜で魚ごっこをしてるさいちゅうにタイチが来たのが数日前なんてウソみたい)時間にしてほんの一瞬だったけどララミは不思議とおちついていた。
タイチはきのう言ってたな。「とびうおが好きだ」と。そうよ……! 困難なんて飛びこえてみんなのもとへ帰るのよ。とびうおになって。
そのとき彼女の視界にそれがはいった瞬間、自分のやるべきことがはっきりわかった。
後部座席のすきまにシグレから預かった石が挟まっている。黒くてひらたい、石板のような。
はるか下ではタイチが黒木とミヤオから分断されて孤立している。長椅子が急降下をはじめた。ララミはミニ屋敷に集中している母親にむかって力のかぎり大声で叫んだ。
「ママ! 石を、つかうのは、今よお!」
レミには石をどう利用するのかわからなかったが、ララミが石をゆびさして腕を大きくふりまわしてジェスチャーしているのを見て、理解した。「ハコニワ」の効力が弱ってるけど、それくらいならできるかも。レミは人差し指で長椅子をさしたまま、もうかたほうで握りこぶしをつくってから、ぱっとひらく。ララミの持っていた石がぐぐっと、ちょうどプールのビート板くらいに大きくなった。
届け!
ララミが石板を地上へ投げおとす。真下にいた黒木が助手へ念波を送る。
「受けとれ、ミヤオ!」
それを聞いてミヤオは地面を力いっぱい蹴りつけ、横っとびで石板をキャッチした。彼はそれをフリスビーのようにタイチのほうへ飛ばす。その流れをミニ屋敷で目で追っていたレミは石板をゆっくりすべらせてタイチの足もとに停めた。
「タイチさん、それに乗るんだ!」タイチは石に片足を乗せた。なんだか一塁ベースを踏んだ気分だ。ケントは笑顔でサムズアップ、親指をあげている。
ともに友達と生きていく。もし別れがきてもそれは終わりじゃない。はなればなれになってもぼくらはつながっている。それが一生の仲間。そうだろ? ケント。
タイチは石板にすわった。石はゆっくりと上昇を始めて、彼の体は地面を離れてふわりと宙に浮いた。指先に力をこめて石を握りしめた。親友がしだいに遠ざかっていく。そうしてガレキであふれた広間をあとにする。
石板のうえで正座したままタイチが飛行して近づいてきた。長椅子をめざしてミヤオも駆けよってくる。ララミと黒木は笑顔で彼らを迎えようしたが、ムサコが倒れた柱の陰からすっと姿をあらわした。不意打ちをくらわせるつもりか。危ない!
しかし黒木が念波を送るまでもなく、ミヤオがふところから七つ道具のひとつを出すやいなや、ムサコはとつぜん、消えてしまった。
ララミはタイチが彼らのもとへ帰ってきたとき、思わずつよく抱きしめた。
ほらね、あきらめなければなんとかなるでしょ。あたしたちに必要なのは、なんとかしようと必死になること。タイチは彼女の腕のなかでかすかに震えている。これでもうすぐ家に帰れる。お父さん、お母さんに会える。村山町のみんなにも。そして、また野球ができるんだ! ララミは少しのあいだ、彼の頭をやさしくなでていた。タイチがもとの体に戻ったら、あたしたちのことをすっかり忘れてしまうわ。でもひょっとしたら心のどこかでおぼえてて、いつかまた会ったときに、不思議ななつかしさを感じてくれるんじゃないかな。
すぐ隣で鍵をがちゃがちゃいわせる音が聞こえた。ミヤオがかかえていた「マザーボックス」の小箱に鍵穴をあわせてふたりの子どもの魂ロックを解除したところだった。
廃墟と化したシャトー・ロカコのいたるところで、白い衣装を着た少年少女たちがどうしていいかわからず茫然と立ちつくしている。そのなかから二人の子どもが、一刻もはやく家に帰りたいとばかりに敷地の外へと飛んでいくのが見えた。崩れかけているが持ちこたえてまだ立っている塔の窓からロカコがうらめしげにその様子をみつめていた。
「さあ、俺たちも外へ逃げるよ」
のんびり再会を喜んでいる場合じゃないとばかりに黒木が早口で言った。「ハコニワ」の効力が時間切れ寸前だ。
三人とタイチを乗せた長椅子は弾丸のように飛び出すかと思いきや、もはや高く飛ぶことはできず、土や小石、鉄屑などをひきずったたまま地面すれすれの低さでやっと浮かび、しまいには走るようにして門扉の近くまでやっとたどりつきそこで動力切れ。洗面たらいの前でしゃがみこんで疲労困憊のレミの前で、長椅子はついに車のスクラップ、ただの壊れた座席シートへと戻った。
「おかえり。ぎりぎりセーフで生還ね」とレミ。
ミヤオが最後の小箱の鍵をあわせたとたん、タイチの姿がみるみる半透明になっていった。そのとき、黒木は彼の宝物をにぎらせることを忘れなかった。タテジマ模様に「KAKESU」とプリントされたユニフォーム型キーホルダーだ。車内にひっかけていたのを外へ持ちだして正解だった。
「さよなら」手をふる恩人たちは夢の記憶のようにふっつりと彼の前からいなくなり、場面は次にうつっている。
気がつくとタイチは色彩ゆたかでジャングルのような亜熱帯や荒涼とした原野、見知らぬ街角などいくつもの風景を超速で駆けぬけていく。
そのあと、心にあいた大きな破片が正しい位置にぴたりとはまったような気がして少年は本来の状態に落ちつく。
そして、現実がおいついて彼の意識は覚醒する。
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ワゴンカーが燃えてなくなってしまったので、四人は県営バスに乗って帰路についていた。
「きりん、キーホルダーをわたせてよかったじゃん。なにごともなかったかのように目がさめても、親友の形見が行方不明ってのはおあとがよろしくないからね」とレミがめずらしく黒木をほめていた。黒木は自らの失態がとんだ事態を招いたので落ちこんでいたのだ。
「ムサコの魔文字は心配ないの?」とララミが心配してきいた。
「おねえちゃん、ムサコはもう二度と悪事をはたらけないよ」とミヤオは銀色がかった白髪を得意げにかきあげながら言った。そして胸ポケットから小さな鏡を取り出して姉に見せると、鏡のなかに閉じ込められたムサコが映っていた。
「ぼくの今回の任務完了、です。それはそうと、お母様。おなかがすごおく空いたのですが」
「まア! タイヘン。バス乗ってから言わないでよ。ほんとはサンドイッチ買っておいたんだけど……車内に残したから焼けちゃった」
「ふん。オニギリだったら信じてあげたかもね。焼きオニギリになっておいしいから探してごらん、とジョークのひとつでも言えば……いや、口からデマカセはいずれにせよ、許しがたい」とミヤオは母親のいい加減な性格面をあげつらう気まんまんである。
そんな家族のやりとりを横で聞きながら、ララミはタイチのことを考えていた。
そうだ。今朝ばたばたしてたから確認しなかったけど、タイチが昨夜おそく家族にあてて書いたポストカードが置きっぱなしだったわ。もしかしたらそこに住所がある。
ララミは書きかけかもしれないその手紙を、家に着いてから見るのが楽しみのようで同時に怖いような気がした。
「このバスにこのまま乗っていったら山口県に行く?」ララミは黒木にきいてみた。
「乗り継いでいったら着くよ。いつの日か、タイチくんがぼくらの町にまた来るといいね。こんどはふつうのバスで」黒木がそう言うと彼女はすこし照れたような表情で窓の外に顔をそむけた。
だいだい色に燃える夕焼け空と海を背景に貨物船や釣り船が停留していた。その向こうには島影がうっすらと見える。夕陽の照りかえしが無数にきらめいてじつに美しかった。そのなかを一匹のとびうおが銀色の背びれを輝かせて波間で跳ねている光景を彼女は想像した。
八月は目覚めの季節だと本で読んだことがある。そのときは、なんで春じゃないのと思ったけど、今はわかる。真夏の光が自分のなかで眠っているいろんなものをよびさましてくれるんだわ。
母から借りた黄色いリボンはほどいてポシェットにしのばせていた。そっと触れてみる。あたしにもいつかパパの意志を継ぐ日がくるのかしら。未来のあたしが現在のあたしを見まもりながら「まだかな。まだだな」と待っているような気がした。
(了)