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とびうおの歌  作者: まえじまみそか
3/4

その 三


13



 男の子、女の子がつぎつぎとその大きな部屋に集まってきた。開けはなたれた窓から子どもが床へ飛びおりると次の子が現れて飛びおり、さらに次の子が現れて飛びおりる。くぐり戸からは四つん這いの子どもたちがハイハイでどんどん入ってくる。その列はとめどなくつづく。どの子もおなじ白い服を着ていて、無表情で無言。そしていっさい気配がない。


 部屋の中央には大きなベッドがあって、ボリュームある金髪をカールさせた髪型の女性が横たわって一冊の本をひろげている。部屋いっぱいに子供たちがどんどん増えていく光景をながめるその顔は満足げだ。真っ赤な高貴なドレスを着て金の腕輪などしている。

「さあ、夜の読書の時間ですよ」女が呼びかけると、寝室を埋めつくす子どもたちは体を小刻みにゆらす。

 金髪女のその肌は蝋人形のようにてかてかした人工的な光沢を帯びていた。そしてやたら大きな外人鼻をしている。この屋敷の主人だ。年齢は五十を越しているくらいに見えるが、じつはそこに百を足した、百五十歳である。

 彼女はさらってきたおおぜいの少年少女の魂を「生き人形」のような召使としてそばにはべらせることが大好きである。子どもたちは女主人が合図を出すまでじっと待っている。


「見えるわよ!」とつぜん女主人が不機嫌な大声を出して枕もとの手鏡を引き寄せた。

 鏡のなかには黄色い顔のおばあさんが映っていて不満げな表情で女主人を見つめている。

「なあに、ママ。これから読み聞かせを始めるとこなんだけど」と彼女は面倒くさそうに鏡のなかの老婆に応じる。

「あいかわらず、ヌケガラ……じゃない、逆か。さらってきたときは生霊だったけどすっかり期限切れになった子ども霊でいっぱいねえ」

「ほっといて。あたしには大事なチルドレンよ、みんな。さみしいときは相手になってくれるし、なんてったってあたしの聞き手になってくれるんだから」

「いったいあんた、いつまで先生のつもりよ。だいたいその子ら、あんたの生徒じゃないし」

「ママだって、さらった子の写真を部屋の壁一面に貼ってるじゃない。コレクターなの?」と娘は逆ギレする。

「あれは仕事の成果を貼りだしているだけです。子供の命を吸い取ったあとも、ずっとはべらせているあんたこそコレクターでしょうが。……ねえ、ロカコ。あんた、この屋敷の外で何が起きているか知ろうと考えたことあるかい? 百年も一歩も表に出ないで過去の思い出にひたってばかりで」

「百二〇年!」

「おんなじよ」と老婆は静かな口ぶりで応じる。 


 母親のムサコは年をとりたくないという娘のわがままを実現するために、百年を越える長い年月、せっせと子どもの魂をさらってきた。娘にとことん甘い母親のムサコではあったが、「人は先へ進むことを学ばなくてはならない」というのが口癖ではあった。

「あんたに用があったの」とムサコは話を転じる。

「こないだの晩、バスから一人、脱走者がいたでしょ」

「ああ、ママのいうオススメの勇敢な少年ね」

「あんたの用心棒にうってつけよ、あの野球帽のコは。もう何日かして体に戻れなくなってしまえばさ、強い精神力はそのままに、あんたの忠実なるしもべになるでしょ。そうなれば、ママ安心! 


私ね、あの子がポケットにしのばせていたキーホルダーに魔文字の罠をしかけておいたの。何百人に一人くらい、ふつうの離魂術では効力が切れてとちゅうで目覚めてしまう子がいる。あの少年は私の住まいに乗りこんでくるほど豪胆でしょ、とらえたときから警戒してたのよ。不安的中してけっきょくバスから逃げられたけど、見つけてホッとしたわ。

ついさっきよ。物置部屋に入れといたからね。でも……それはそれで心配。あれがあんたの屋敷にいることで何か悪いことが起こるんじゃないか」と母親。


「不安? その子だって魂ロックしてあるんでしょ。今はそりゃ人格あったって、閉じ込めとけば二、三日で無抵抗になるわよ」と娘。

「あんた警戒心がなさすぎるからね……いい? ロカコ。原因を究明しないと成長なんてないのだからね。たとえ適切な処置がその時わからなくても手を打っておくことが大事なの。今回あたしが念のために仕掛けておいたように。ほったらかしではだめなのよ!」

 ロカコは文句をいい始めた母の顔が大きく映しだされた手鏡をベッドに放り投げると、イラついた仕草で起き上がりワインセラーへ瓶とグラスを取りに行った。


「ああ、もうっ! 夜の読書は中止っ!」とロカコが叫ぶと、ベッドルームを埋めつくしていた少年少女たちは、ものすごい速さで、窓辺から飛びおり、くぐり戸からハイハイ這い出ていく。部屋はあっというまにからっぽになる。

 ただひとり、小太りで丸刈り頭の少年ががらんとした大部屋にひとり残された。ほかの子供たちの白衣とちがって彼は裸の大将よろしくランニングシャツに半ズボンといういでたち。無表情はほかの子たちとおなじだが。でっぷりしたその男の子はのっそりと歩き、ロカコのそばを離れずについてまわる。通行のじゃまになるたび彼女はしっしっと彼を脇へとおいやる。

「ボディーガードなら、強力なのが一人いるから間にあってるわ」

「ああ! いやな予感がする。すぐにそこへ誰か乗り込んでくるわよ。そんな気がしてならない。ママ心配!」

 ロカコは赤ワインをどばどばグラスに注いでがぶ飲み、もはや母を相手にしていない。ムサコはしばらくぶつぶつ言っていたがやがて小さくなって鏡の向こうへと姿を消してしまう。ロカコはそのまま夜更けまで何本も飲みつづけ、すっかり酔っぱらい、タイチが監禁されている物置部屋へミヤオが侵入していることなど微塵みじんも気づかない。確認すらしないまま眠ってしまった。



14



 魔女バスの乗客は乗車したときにはもう魂に鍵をかけられ、いわゆる「ロック」された状態となっている。そのため子供たちは目を覚まさない。その鍵は「輪っか」にくくって大事に保管されている。

 ミヤオが魔女バスに乗りこんだ目的はまず第一に、さらわれた子どもたちの「魂ロック」の鍵束を探しだすこと。残念ながらそれはバス車内では見つけられなかった。もし発見できなかった場合、彼の任務は第二段階へとうつる。すなわち、そのまま生霊をよそおって連行されて誘拐犯のアジトへ潜伏し、ロックされて幽閉された子たちの魂を解放することだ。


 タイチが脱出したあと何事もなくバスは走りつづけ、明けがたには海辺にたつ西洋風の大きな屋敷「ロカコ邸」に到着した。出迎えたロカコは学園長のような尊厳と親しみをつくろって、自動人形のように意思なき子供たちを整列させた。そして彼らを母ムサコからの紹介状と照合する。タイチがいないことに女主人が慌てふためいたとき、その狼狽ぶりにミヤオは笑いをこらえるのが必死だった。



 一日目。ロカコのしもべとして生き人形を装う、これは寝たふりとちがって疲れるし、何よりミヤオにとっては退屈きわまるものだった。彼女の背後であかんべえをしたりスクワットをしたり、など何度も考えてみたけど、どんなに鈍い魔女でも気配を読むことは普通の人間よりはたけているし、ロカコのそばにはランニングシャツの太った少年がいつも護衛をしているのでおとなしくしているほかなかった。


 ミヤオは屋敷を一時退散して、二日目には海っぺりにひろがる林のなかで身を隠してキャンプを張ることにした。夜になって焚火をはじめると、灰色の布きれをまとっただけの少年少女たちが茂みからのろのろ現れて炎のそばにしゃがみこんだ。彼らはムサコにさらわれてきた子ども魂のなれの果てだった。でもなんで、屋敷で使われているはずの彼らが戸外にさまよい出てきたのか?

 不審に思いながらミヤオは火をつっつきながら様子をちらちらうかがっていると、子供たちは背をまるめて炎をみつめながらかわるがわる身の上話をやりだした。

 彼らに共通していたのは、タイチのようにとちゅうで目をさました「意思を持つ霊」だったということ。

 だけど悲しいかな、自分たちの体へ帰ろうとロカコの館を出たはいいが、魂をロックされているからシルバーコード(魂と肉体をつなぎとめているひものようなもの)がつながっているのに館の敷地外から一ミリも飛び出すことができない。戻るべき体を失った彼らはもう何十年も林のなかをさまよいつづけていた。子どもたちの白かった衣服はどれもすっかり汚れて黒ずんでいる。


 ある女の子はかつて住んでいた町の彼氏を想って嘆いた。中学生の男の子は部活でともに汗を流したかつての仲間たちが現在どうしているのか、それを知るすべもないのでくやしがった。そして、彼らに共通しているのは「家族にもういちど会いたい」という切なる願いだった。子供たちの話を聞きながらミヤオはうなずいていた。しぜんと涙がこみあげてきた。

 やがて炎は弱まり、一人、また一人と闇のなかへ去っていく。ミヤオは消えかけて小さくなっていく火を見つめながら心に誓っていた。

 今回、魔女バスに乗せられてきた子たちはまだまにあう。救ってあげなくてはいけない。ぜったい。




 三日目の夜、行動開始。ミヤオは小型テントをたたんでリュックにしまうとロカコ邸にまいもどって侵入した。広大な屋敷の間取りは一日目に調査済みだ。 

 巡回する護衛の少年たちにでくわすと彼はすかさずピストルを抜いて発射した。


「ハートの結晶体」を微量まぜこんで作られた丸薬は、効果てきめんで、生命エネルギーを撃ちこまれた子たちは一瞬、混乱して動きをとめる。もともと思考力のない霊体なので注入されたわずかな生命力が消え去るまでの数秒間がすぎると彼らはふたたび動きはじめるが、そのときにはミヤオははるか先を走っている。


 一時間後にはミヤオは早くもひとつめの任務を遂行した。つまり目的の鍵束を見つけだしたのだ。

 地下道の入口、階段をおりた脇に排水溝があった。堅牢な石畳の壁天井とおなじく石を敷きつめられたその溝のなかがほのかな光をおびて金色に染まっている。まるでなかに黄金をつめこんだ宝箱でも隠されているようにミヤオは感じた。


 その直後、この場所を彼は夢で見たことを思い出した。彼は夢のなかの印象的な光景を覚えているのが得意だ。直感は的中した。排水溝の底へ手をいれると底部がはめこまれていて簡単に持ちあげられることがわかった。はたして、内部にはもうひとつ蓋ふたがあってさらにそいつを取りあげるとなかには何百本もの鍵がくくられてしまってあった。


 目的のものを入手してようやくミヤオは上司に報告を入れることができた。そのとき、黒木凛はまだ起きていて、さらわれたタイチのことを案じていた。そこへ「きりんセンセーイ」とミヤオの声が頭のなかへ飛びこんできた。

「遅かったじゃないか。念波の届かないところにいるか、おまえ自身が事故にでも遭ったかと心配してたんだぞ。バスでタイチくんを脱出させたとこまでは確認できたけど」黒木も念波で応答した。さらわれた子どもたちを解放できそうだというミヤオの経過報告を受けて、黒木は喜んだ。彼は助手の任務達成をねぎらったあと、タイチを探してほしいという新たな指令をミヤオに出す。

 それから。ミヤオがタイチの無事を確認して、さらには彼のとらえられている部屋へ侵入したのは、わずか数分後のことだった。




   15



 朝がきた。ララミはパジャマの上にエプロン姿で鼻歌を歌いながらキッチンのなかをとびまわって朝食のしたくをする。料理に関してはかなり面倒くさがり屋の母のかわりに台所に立つことが多い。ララミの気がむいたときに限るが。オムレツ失敗、いり卵になってしまった。しかたない。ウインナーを添える。フランスパンをカット。そうしているとピクニックの準備をしているようだ。ランチも作っておいたほうがいいかな。

「遊びに行くんじゃないぞ。わかってるとは思うけど」。黒木がリビングに入ってくるなりララミに釘をさす。

「おまえ、ひょっとしてミヤオがいるから心配ないと思ってないか?」。ララミはどこかでそう考えていたかもしれず、心を見すかされたような感じがした。


「たしかに今回は凶悪な相手ではないかもしれない。でも油断は禁物、最後まで何が起こるかわからない。気を抜かないようにしないとダメだよ」黒木は前夜、タイチがムサコにさらわれたあとにもララミに厳しいことを言ったので、小言はそれでやめにした。


 彼女はぶぜんとした表情になってぷいと向こうをむいてしまう。中学生とはいえ、女性への接しかたが得意とは決していえない彼は、こんなとき、(自分はまだまだだなあ)とコミュニケーションの力量不足を実感する。もう四十歳をとうに過ぎている男なのだが。


 いっぽうでララミは黒木に注意力のなさを指摘されてムッとしたのはたしかだが、(きりんさんはタイチを救うと言った手前、責任を誰よりも強く感じているはずだ)と思いなおしたのだった。朝になったら素直にあやまって、あたしにも手伝えることは何かあるか自分から聞こう。昨夜彼女はそう誓った。でもけっきょく実行できなかった。


「さっさと食べて出発するわよ」とスポーツウェア姿のレミが食卓の席につくなり言った。長い髪をターバンのようなヘアバンドでまとめたのでパイナップルみたいな頭になっている。まっ赤な口紅を引きその表情は緊張感にあふれている。

「ララ、のろのろしないで」

「お昼の弁当は? みんなおなかすくでしょ」

「あんたねえ、ミヤオのこと聞いたでしょ。この真夏に野外キャンプをはって昨晩からは家宅潜入。あの子は空腹どころじゃないのよ! さあさあ、食べ終わったら五秒で動いてちょうだい。まずシグレちゃんとこへ向かいます。きりんはあたしらが戻るまで車の準備たのむね」

 スイッチが入った母に圧倒されたララミはあたふた朝食をかっこむ。


 五分後、レミはララミの自転車のペダルをぐいぐい踏んで森のなかを跳ねるように走っていた。荷台から降り落とされないようにララミは母親の背中に必死でしがみつく。

 いっぽう黒木はレミのワゴンカーをのぞいたとたん、うげっ、とうめいた。ギターや打楽器、キーボード、録音機材が占拠していて人が乗るなんてとんでもない。レミは移動中でも音楽制作ができるように車内を防音仕様にしてワゴンを動くスタジオにしていたのだ。しかし黒木はそこは慣れたもの、楽器や機材をてきぱきと降ろしはじめるのだった。



    16



 森をぬけると道はのぼり坂になっていてその手前にシグレの住む家がある。彼女の父親は石工職人で住居の半分は作業場になっていた。制作途中の石切り細工のオブジェが棚に並び、床には石の粉や割れた破片がとびちっていてほの暗い室内に朝の光がさしこんでいる。


 レミとララミが到着するとシグレはいつものスケッチブックを胸にかかえて家の前で待っていた。ふたりは夢見人の友に感謝して、まずは昨夜タイチがさらわれたことを彼女に報告する。おばさんの予感はあたったね、とシグレは言った。海岸で遊んだ帰りみち、先をゆくララミたちから数歩遅れて歩いていたレミは別れぎわにシグレにそっと耳打ちをしていた。「今夜あなたが見る夢を描いてくれるかしら、明日の朝もらいに行くから」そう言ってレミはシグレのまぶたにブルーのアイシャドウをほんのり薄く塗ったのだった。


 レミが画用紙をひろげる。そこには高い塔の階段をかけあがって逃げる女の子をドレスで着飾った女性が追いかけている場面が描かれている。レミは数秒間まぶたをとじてかすかにうなずく。「予知夢になってるかしら。みなさんのお役にたてればいいのだけど」とシグレ。

 ダイジョブダイジョブー、とレミはシグレの口ぐせをまねて、それから彼女のみた夢をあらためて聞きだす。

「ひさしぶりに空を飛ぶ夢を見たわ。それでね……」と彼女はぽつぽつと夢語りをはじめる。レミとララミはだまって耳をかたむけている。彼らは想像する。雲をつきぬけて強い風を感じながらぐんぐん上昇していく。

「シグレちゃん、今回はあなたを連れていけないけど」レミは申し訳なさそうに言った。

「戻ったら話してあげるね」

(シグレといっしょじゃないのか)ララミは残念に思うが、朝から緊迫したモードの母親である、さすがに気配を読み、次なる指示を聞いてすばやく行動にうつる。


「おいで! フムフム」ララミが呼ぶとテリア犬のフムフムがシッポを振りながら家の戸口から飛び出してきた。彼女は裏庭の草むらへと入っていく。犬がぴょんぴょん跳ねながらついていく。


 原っぱのとちゅうにほこらがあって、それはシグレの父の作業場から拾ってきた石を積んでララミが作った簡単なものだが、その中に古びた人形がたくさん横たわっている。ララミはそこから女の子の人形を五体えらんで、まずひとつ、草むらに向かって放り投げる。フムフムは走りだしてそれをくわえて戻ってきた。

 つづけて、ふたつ、みっつと彼女は人形を投げとばして犬に拾ってこさせる。

 四番目に投げた人形だけ、フムフムは持って帰ろうとしなかった。そばまで行ったがおびえた様子で近寄ろうともしない。

 ララミは犬が嫌がるその日本人形を母に渡した。レミはそれを花柄トートバッグにポイとしまって、ハイ、ごくろうさんと言った。


「タイチくんを助けてあげてね」とシグレ。彼女はララミたちが出発するまぎわに、父の作業場に落ちていた大きめの石をひとつ拾ってきてララミに渡した。それは黒くてひらたくて、まるで石板のようなかたちをしている。

「夢のなかで出てきたものぜんぶを用意することはできない。でもこれは覚えてるの。何に役立つかわからないけど持ってって」ありがとう、と彼女はお礼を言って、親友の予知夢のなかでララミたち一行の車内で見たという石をもらい、母娘はまたチャリンコふたり乗りで帰ってきた。


 ワゴンカーががたごと揺れながら「レミの家」の玄関先に入ってくる。砂ぼこりをたてて車は停まった。黒木が窓から顔をだした。

「運転はあたしがするわ」とレミが彼にかわって運転席に乗りこむ。ルームミラーにタイチの大事にしていたタイガースのキーホルダーを黒木がひっかけた。それはしばらく左右に揺れていたが、とつぜん前方へグイッと見えない力に引っぱられる。

「タイチくんのいる場所へ案内してちょうだいね」レミが思いっきりアクセルを踏みこむと車は砂煙をあげて走りだした。



    17  



 車は海岸沿いの道を東へ猛スピードでぶっ飛ばしていた。窓の外ではときどきさびれた海辺の集落が現れては去っていった。

 暑さはすさまじく真昼の太陽はぎらついた光を地上にふりそそいでいる。空には真っ白な入道雲。

 ああ、夏だ。ララミの大きらいな、夏休みのなかの永遠のように感じられる一日。

 じっさい、彼女はこの夏にはあきあきしていた。母は何日も家をあけるし、弟は冒険家きどりでやはり不在がち。日中は海からの強い照り返しに目は疲れて日焼けするから外へ出たくない。だから夜が来るのを待って「魚ごっこ」で気をまぎらわせていた。そのへんの霊がやたら近づいてくるけどそれは体質だからしょうがない。


 なぜか急に、グローブの手入れをするタイチのイメージがうかんだ。(早く帰って道具の手入れをしなきゃ、とぼやいてたっけ。あんなふうに一生懸命に取りくめるものがある子はうらやましい)そんなことをぼんやり思っていたらウトウトしはじめた。

 昨晩、タイチが連れ去られてから、不安とべたつく暑さでララミはよく眠れなかった。彼のさっきまでいた隣の部屋から人の気配がして、誰かがいったりきたり歩きまわっているように感じられた。誰もいないはずなのに。(あの部屋はパパの書斎だったっけ)。

 まだ小さいミヤオが顕微鏡の使い方を覚えると、父と弟はボウフラなどの微生物を観察しながら楽しく過ごしていた。その後、ミヤオは生物学と化学を組み合わせて研究をつづけたが、父が死んでからミヤオは実験の場を地下室へと移したのだった。(部屋にパパの思い出を封じこめたんだわ、きっと……)

 助手席の黒木は後部座席で寝息をたてるララミをふりかえって微笑んだ。その寝顔は純真でやさしさにあふれていた。




    18



 タイチと自転車ふたり乗り。魚ごっこ。野球。海辺で見た鬼火……。この数日間の楽しかった場面がくるくる回る。ララミが眠りからさめる直前、そのすべてが夢ではないかと思われて彼女は一瞬、不安な気持ちにとらわれたが、腕を伸ばしたときシグレからもらった石板のような石が手に当たり痛くて目をさました。


 とちゅうでドライブスルーに寄って昼食をとっただけ、ほとんどノンストップでレミは運転しつづけていた。

「予感力がさっきからビリビリ来てるんですけど! その予感がいいのか悪いのかわかんない」

 レミはやたら高いテンションで口走る。それを聞いて黒木とララミは心配になる。彼女の予感にいいものは滅多にないからだ。 



 うだるような真夏の大気がゆらめいていた。近づくにつれてそれはしだいに鮮明に輪郭をとりはじめた。おそろしく巨大な箱のような形をした西洋館だった。こんなに高くて巨大な屋敷を彼らは見たことがなかった。まるでシャトーだ。地上五階建くらいある。シグレが絵で描いてくれた塔が、二本そそりたっていた。


 鬼の角のようだわ、とレミがつぶやいた。まるで中世ヨーロッパの絵本から飛びだしてきたかのようなその建物にララミは見おぼえがあった。でもそれはテレビや本で見たわけではない。シグレやミヤオのように夢でみた光景を思い出せるような能力を彼女は持っていない。だけど、たしかにいちど来たことがある。それはララミがときどきおぼえる既視感デジャヴだった。邸宅は海っぺりから少し離れていてまわりを林がとり囲んでいた。あたりに他の家はない。レミはブレーキを強く踏んで車を横すべりさせて門扉のすぐ前に停めた。中庭の先に玄関が見える。人の姿は見あたらず静まりかえっているが、なにやら重苦しい妖気が建物のなかでたちこめている。



「こんなでっかい屋敷だなんてまったく想定外だな……効力は長くもたないわよ」

 運転席を出て大邸宅を見上げながらレミがつぶやいた。それからトランクを開けて、金物のたらいを一つ出すと無造作に地面へ置く。そのまわりをぐるぐる歩きながら彼女は手のひらで何やら計算し、スニーカーを履いた足で地面に図やら文字を書きこんでいる。黒木とララミはだまってレミを見つめる。


 いつのまにか洗面たらいにはシャンプーのボトルくらいに縮小したミニチュア版のロカコ邸が出現していた。レミがそこへ両手をかざして、くるっと手首をまわすと、ミニ屋敷はシャボン玉のような球体にすっぽりと包まれる。レミが小声で何かささやく。すると、目の前にそびえたつシャトー・ロカコの上空に半透明の空気の層が現れた。実際の屋敷も巨大なシャボン玉へ入ったのだ。


 それからレミはバックから一体の古びた人形を取り出す。朝にララミが選んだもの、袴をはいて矢絣柄やがすりがらの衣装をつけた可愛い女の子だ。それを黒木に差し出した。

「元野球部、たのんだ」

「ソフトボール部ですよ」と黒木はぎこちない投球フォームで人形をえいっと屋敷の二階部分の開いた窓にむけてほうり投げる。人形はうまいこと窓のすきまから建物内にとびこんだ。その直後、部屋をさっそうと走りぬけていくおかっぱ髪の少女をカーテンごしに見届けてから三人はミニ屋敷をかこんだ。



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