1-2 涙の訴え
泣きじゃくっていた女子生徒は五季華音と名乗った。けれど、それ以上の情報が得られない。
差し出した椅子に座った五季は感情を抑えられずに泣き続けている。
「わたし、二股されてるの」
それを雨宮は優しく聞いていた。
「それは辛かったね」
「二股だよ?」
「最低なやつだね」
「でも、最初は優しかったんだ」
「そうなの?」
「二股なんてされるとは思わなかった」
「彼氏のこと信じてたんだね」
「でも、二股だからね」
「もう信じられないよね」
さっきから全然話が進んでいない気がする。突然現れた予期せぬ来訪者に部員たちも手を止めて何事かと遠巻きに見守っていた。
「二股なんて普通する? ありえなくない?」
五季が目を真っ赤にして訴える。
「そうだね。信じられないね」
雨宮が同意する。
僕がこのままじゃ埒があかないと思って会話に割り込もうとしたら、雨宮に目で制された。雨宮はもうちょっと待ってというように視線で訴えてきた。
なるほど。意味のない会話の繰り返しかと思いきや、ちゃんと出口に向かっているらしい。僕は口を閉じてふたりの会話を聞き続ける。
それにしてもと思い五季の顔を見た。五季華音は確かドイツ人の父と日本人の母を持つハーフだ。隣のクラスの生徒で、体育の授業が一緒なのでよく覚えている。一生懸命というか体育会系というか。どんな種目でも競技でも常に全力で楽しそうに汗を流していて、声も大きいので自然とみんなの注目を集めていた。目鼻立ちはしっかりしているし、髪も少し癖があるのかウェーブしている。頬に少しそばかすが見えるがそれすらも彼女の美貌に寄与していた。
目を真っ赤にして、涙だけでなく口からも鼻からも少し液体を垂らしている今ですら絵になるほどきれいだ。
ただ。
僕は雨宮を見る。雨宮には及ばないだろう。少なくとも僕はそう思う。彼女の透き通るような美しさ、それでいてどことなく幼くて可愛らしい容貌はやはり別格に思えた。雨宮は体育の授業でどんな感じなのだろう。飄々と器用に何でもこなして、それでいて手を抜くときは目立たないように手を抜きそうな印象がある。
そこではっと気がつく。
僕はいったい何を考えているんだろう。目の前で女の子が泣いているのに、どっちが可愛いかなんて容姿を比べて。
こんな状況に直面したのが初めてだから動揺しているのだろうか。
頭を振って落ち着きを取り戻そうとする。
そんなことを考えていたら、ようやく五季の気持ちが落ち着いてきたのか会話が進み始めた。
「それで、どうしてここに来たの?」雨宮が質問する。
「それは、廊下歩いてたら聞こえたんだもん」
「なにが?」
「教室の中で会話してるのが聞こえたの。どっかの誰かが、わた、わたしの彼氏と」五季はそこで一度息を吸い込む。「彼氏とつき合ってるってことを嬉しそうに誰かに話してた。それで、それでESP部に感情送ったって」
「それは恋愛感情?」
「ち、違う。なんか彼氏から好きっていう感情が送られてきて、それに喜んでる気持ちって、い、言ってた」
雨宮が僕を見た。目線が合う。
「送られてきた?」
「えっ?」そこで思い出す。そういえば月曜日に同じような感情を体験した。
「あー。あったかも」
なるほど。あの感情を送ってきた人が五季の恋敵というか、二股されているもう一人か。月曜日に体感した感情を思い出す。弾む感情。きらきら輝く恋心。感情しかわからないが、悪い人とは思えない。
「その人呼び出して」
五季が冷たく言い放った。
なぜ。そう思って五季の続く言葉を待つ。
「だって、声のした子を探したらもう背中しか見えなくて、追いかけようとしたんだけど見失っちゃって」声が徐々に小さくなっていく。「聞いたときにあんまりびっくりして、すぐに追いかけられなくて」
五季がこの場所に来た理由がわかった。ここに来ればあの感情の持ち主の情報が得られると思ったのだ。
雨宮を見る。雨宮は困っているような怒っているような複雑な顔をしていた。手伝ったほうがいいのだろうか。けれど、
「一応あの感情に関する情報は部外者には明かさない約束でみんなから送ってもらってて」
そう言うと五季の目が見る見る大きくなり、その大きな目に涙が溜まっていき、ついには決壊した。せっかく落ち着いていた五季が再び泣きじゃくる。
「ぶ、ぶ、部外者って」五季は涙でぐしゃぐしゃになった顔を両手で押さえる。「わた、わたしは、遊びだったってこと? か、関係ない部外者、な、なんだから、他人の、れ、恋愛に、口出すなって言うの?」
雨宮がやっちゃったねというように僕を見る。間違ったことをしただろうか。焦って助けを求めて部員を見るが、部員も同じように少し責めるような視線を向けてくる。
完全に悪者扱いされている。
だんだん悪いことをしている気になってきた。
「わかった。とりあえずできる限り協力するよ」
僕の言葉に五季は泣くのを止めた。
「ほんとに?」
「ほんとだよ」僕は頷く。
とにかく彼女に泣きやんで欲しかったし、この場をうまく収めたかった。それに部員の了承も得られそうだし、五季も被害者と言えば被害者だ。二股された者同士で結託して彼氏に文句を言いにいくのかもしれないし、そもそもこんな可愛い子が二股をかけられ続けるのも見たくない。だから二股のもう一人の名前を告げてもいいだろう。もう一人の子も自分が二股されている事実を知るべきだ。
そんなことを思ってたら、予想外の言葉が返ってきた。
「じゃあ、その泥棒猫とわたしの彼氏呼ぶから立ち会ってね」
五季は笑顔でそう言った。
……ちょっと待って。さっきと言ってることが違うんだけど。
そうつっこみそうになったが、五季の笑顔を見ると言葉が出てこない。この笑顔を泣き顔に変えてしまう言葉を吐くことは僕にはできなかった。