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君に伝えたい、たったひとつの気持ち  作者: 山橋和弥
第4章 隠された真実
19/23

4-5

 土曜日の午前10時。僕は先に集合場所である駅の改札口について雨宮が来るのを待っていた。

 今日行く『こども科学ESS博物館』はもう10年以上前からある施設だ。ESS、ヘッドエモーションが普及し始めて子どもたちにもその存在を身近に感じてもらうために造られた。

 そういえば制服以外で雨宮に会うのは初めてかもしれないな。僕は駅前にある大きな時計塔を見上げる。昨日の夜0時に僕はヘッドエモーションがアップグレードされるのをただじっと見ていた。内部でどれほど更新が進行しているか目で見るためにパソコンに接続していた。

 完了の文字が現れたときに、見た目はなにも変わらないのに慣れ親しんだ自分のヘッドエモーションが突然違うものに変化した気がした。

 雨宮が持っていた古い感情ファイルはこれでもう体験できない。

 そのことに対しては納得できない、消化できないやるせない気持ちが残っていたが、だからと言って何をどうこう今更できるわけでない。

 それよりも雨宮が僕に対して言った言葉が頭に残っていた。

 どうして僕は雨宮のために頑張れたのか。いや、そもそも雨宮が驚くほど僕は頑張ったのか。同じ部活で、しかも可愛い子が入部してきたらできる限り手伝いたいと思うのはいたって自然な感情だとは思うが。

 そんなことを考えていたら視界に見知った顔が現れた。

 雨宮はスカートにTシャツというラフな格好だった。

「ごめん。待った?」

「さっき来たとこだよ」

「そっか。じゃあ行こうか」

 バスで二駅移動し『こども科学ESS博物館』に到着した。

 僕たちは高校生二枚分のチケットを購入して中に入る。正直言って小学校の低学年が楽しめるような内容だろうとちょっと馬鹿にしていた部分もあるのだが、実際今見てみると高校生になった今でも興味深いものが多かった。今現在ESSがどのような分野で活用されているか説明しているコーナーがあった。まずは介護に欠かせないものになったこと。それから口が利けない人とのコミュニケーションもとれるようになったこと。このシステムができて前までは考えられなかった新しいコミュニケーションがとれるようになったんだ。

 別のコーナーでは同じ感情でも人によって感じかたが違うことが解説されていた。嬉しいっていう感情も、ある人の嬉しいと、違う人の嬉しいは違うってことも難しい専門用語とともに述べられている。中でも面白かったのは、一つの実験結果を説明したもので、ある母親が沢山ある子供の嬉しいっていう感情から自分の子供の感情を見つけられるかという実験を行ったところ、科学的には説明できないが母親は見つけられるというものだった。

 そして、僕はESSの開発者がどうしてこの装置を作ろうとしたのか語っているビデオを見ていた。

 君に伝えたいたったひとつの気持ち。その説明文を僕はじっと見た。

 静かだった。

 いや、何人か来場客はいたし、音声付きのビデオが再生されている場所もあるのだから静寂なわけではない。

 けれどどんな音も僕の存在を忘れているかのように素通りしていく。

 違うな。僕自身がそれらの音を避けていたんだ。ただ、近くにいる雨宮の気配に感覚を向けていた。

 なんでこの場所に誘われたのだろう。ただ単に一緒に来れる人を探していたのだろうか。それとも僕に伝えたいことがなにかあるのだろうか。

 と、雨宮が出す雰囲気が変わった。何かを言う。

 僕は発せられる言葉をじっと待った。

「実は一学期の終わりに転校するんだ」

 その台詞のあまりの衝撃に僕は反応できなかった。

 引っ越す? 誰が? なんのために?

 僕のその声にならない質問を聞き取ったかのように雨宮は続けた。

「7月に感情ファイルの保存形式が変わるでしょ? それで、わたしのお姉ちゃんの仕事がそれに関係しているから一学期終わったら一緒に引っ越すんだ」

 僕はなにも言えない。ただ彼女の顔を見ていることしかできない。

 雨宮は僕の顔を見て曖昧に笑ったあと次のコーナーへと足を向けた。

 雨宮の背をじっと見る。

 そうか。引っ越しちゃうんだ。

 7月14日が終業式だ。今から二週間後。

 雨宮が振り返った。

「尾道くんもここに来たことある?」

「あるよ。もってことは雨宮も?」

「ちっちゃいときにお姉ちゃんと一緒に何度も来たんだよね。懐かしいな~」雨宮は目を細める。「お姉ちゃん。ESS関係の仕事に就くことにしたのはこの博物館が理由って言ってた」

「そうなんだ」

 僕は雨宮の顔を見ながら口から飛び出しそうになる質問の数々を必死に抑えていた。どこに引っ越すのか。新しい学校はどんなところなのか。いまどんな気持ちなのか。けれども雨宮が何かを言いたそうで言えないでいることがわかったので、そのまま待っていた。

「ここで感情ファイルをもらったことがあるんだよね」

「配布してたやつをってこと?」

 雨宮は首を振って否定した。

「わたしがお姉ちゃんと遊びに来た時に男の子がくれたんだ」

「そうなんだ」僕は間抜けな相槌しか打てない。

「わたしずっと落ち込んでたことがあって。わたしを元気づけるためにお姉ちゃんはわたしをここに連れてきたんだけど、どうにも元気がでなくて、それでその時ちょうど子供たちにヘッドエモーションを体験させるコーナーがあったんだよね。そこに男の子に連れていかれて感情を送られたの」

「それが持ってた古い保存形式の感情ファイル?」

 雨宮は頷いた。

「そのあとにその感情ファイルを係の人に記念に渡されたんだ」

 なるほど。だから今日この場所に誘われたのか。昔の思い出。今はもう体験できなくなってしまった感情。

「部活はすごい楽しかったね。最後にいい思い出でした。きゅんきゅんランキングも完成できそうだし」

「そっか」

「すごいよね。ほんと色々な人の生活に関わってるんだねESSって」

 僕はもう施設の中のものに意識が向かなくなっていた。雨宮の後ろを歩きながら、必死にさっきの言葉を咀嚼する。

 引っ越し。転校。

 雨宮は違う学校に移動する。

 夏休みも、二学期も会えなくなるということだ。そのことを想像すると、どうしようもなく胸が締めつけられた。



 次の月曜日のお昼に学校の廊下を歩いていたら、奥から雨宮と見知らぬ女性が職員室から出てくるのが目に入った。母親だろうか。いや、母親と呼ぶには若すぎる気がする。雨宮が言っていたお姉さんだろうか。そうしたらこんなところでなにをしているんだ。

 雨宮が僕に気づいて駆け寄ってくる。

「よっ」

 僕も返す。

「どうしたの?」

「ん? お姉ちゃんと色々と転校の手続き済ませた」

 と雨宮は身体を傾けて後ろにいる女性を紹介した。

「はじめまして。いつも妹がお世話になってます」スーツ姿の女性はそう言って頭を下げた。

「あ、いえ、こちらこそお世話になってます」僕も慌てて挨拶する。

「雨宮知美と申します」雨宮が姉の代わりに言った。

「フルネーム言わなくてもいいから」雨宮知美がたしなめる。

「そう? でもわかりやすいよ」

 雨宮知美は僕と雨宮を交互に眺める。

「もしかして光奈と同じ部の部長さん」

「そうだよ」

 雨宮知美は意味ありげに僕を見据える。

「そっか。いつも光奈がお世話になってます」

「いえいえ、お世話なんてそんな」

「そのやりとり二回目だよ」雨宮が笑っている。

「部長さんのこといつも楽しそうに話しているんですよ」

 雨宮知美もそう言って笑った。じゃあ仕事に戻るね、と言って階段の方へと姿を消した。

「仕事途中で来てたの?」

「うん。今は移動前で休みが取れないみたいで」

「親は来れなかったの?」

「あーうん」雨宮が言い淀む。「うち両親いないんだよね」

 その答えに血の気が引くのを感じた。自分の思いやりも気遣いもなかった不躾な質問に後悔がどっと押し寄せる。

 なんで訊く前にちゃんと考えなかったんだ。

「あ、そうなんだ」こういう時になんて返せばいいのかわからない。自分が変えてしまった空気の重さに押し潰されそうになる。

「昔ね。交通事故でね。だから今はお姉ちゃんと二人暮らしなんだ」

「そっか」姉の異動に雨宮もついていくのは両親がいないからだったのか。

「まあ、もうずっとずっと、十二年も前のことですよ」そう言う雨宮の顔はとても過去のことを話しているようには見えなかった。「尾道くんは呼び出されたの?」

 僕がなにも言えずにおどおどしていたら雨宮の側から助け舟を出された。

「顧問に呼び出されたんだよね。たぶん部誌のことだと思うけど」

「部長は大変だね」

「そうでもないよ」

 僕は雨宮と別れて職員室に入る。

 両親がいない生活。どんなものなのだろう。自分に当てはめて考えてみる。いま父親と母親がいなくなったらとてもじゃないが生活できない。

 そうか。そうだったんだな。

 だからこそ雨宮はあんなにお姉ちゃんのことを大切に思ってたんだ。

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