第21話:知らない事だらけです
その夜、信愛は明日から始まる文化祭のための準備に励んでいた。
「はぁ。園芸部の出し物が地味すぎる」
リビングで花の種を小分けにした袋に詰めていく単調な作業。
文化祭に園芸部は表だって何か出し物をするわけではない。
中庭の会場を色鮮やかに彩る花たちはすでに植えられている。
ただ、お昼頃に花の種を配ることになっていた。
「シアもお花の種を配るのは反対じゃないけどさぁ」
それは園芸部が毎年植えている花の種だった。
季節ごとに花を植え替えていると、来年度に植える以上の種が収穫できる。
それを捨ててしまうのももったいないので、毎年、来場者に配るのが伝統でもある。
花の種と共に、その花の育て方を書いた紙を袋に入れる。
小分けにする地味な作業が苦手な信愛である。
「混ぜるな、危険。危ない、間違えて違う種の説明書を入れるところだった」
ぼんやりと作業してるとハッと間違えに気づく。
「もう少しでノルマが終わる。頑張るぞー」
そんな作業をしていると、すっかりと時間も遅くなり夜の10時を過ぎていた。
「ただいま~」
母の那智の声が玄関から聞こえたのはちょうど作業を終えた頃だった。
「おかえり、ママ。……うわぁ、お酒臭い。酔ってるね?」
「えー、酔ってないよぉ?」
「酔ってるじゃん。ほらぁ、服を脱いで。シワになっちゃう」
お酒に酔って顔が赤い那智はご機嫌な様子だ。
上着を脱がせて椅子に座らせると、信愛は心配そうに、
「これは二日酔いするかも。明日はちゃんと起こしてあげないとダメかな」
元々、那智はお酒に強いわけではない。
だが、飲むのは好きらしく、時折、こうして酔って帰ってくる。
――ママのこーいう姿って珍しいんだけどねぇ。
ずっと子育てと仕事の両立で忙しい日々を送ってきていた。
信愛としても母にはもう少し自由に生きてもらいたい。
――どなたか、いい人と巡り合ってほしいです。
母にも人並みの幸せを望んでいる信愛であった。
「ほら、お水飲んで。大丈夫?」
「大丈夫だってばぁ。んー、娘は今日も可愛いぞぉ」
「お、お酒の匂いが……いやぁ、抱きつかないでぇ」
大好きな母に抱きつかれても、時と場合ではちょっと嫌がる信愛だった。
ご機嫌な理由を尋ねてみると、
「どうしたの? お仕事でいいことあった?」
「大きな仕事を任されていてね。その仕事、ようやく終わったの。苦労して、大変だった分、達成感もあるわぁ。うん、私は頑張ったよ」
「ママ、えらいねぇ。すごいねぇ」
「お給料にもちょっと上乗せありかも。信愛が冬休みになったら、どこか旅行に行こうよ。お母さんも休み取るからさ。一緒に旅行しましょ。どこがいいかなぁ」
「温泉旅行がいいなぁ」
「いいわねぇ。のんびりと過ごすの。どこか探しておいてー」
「ちょっと贅沢に、カニさん食べてもオッケー?」
「いいよ、いいよ。たまには親子の親睦を深めなきゃねぇ」
信愛と那智は二人っきりの家族である。
他に頼る親戚もなく、ずっと二人だけの生活を続けてきた。
「……ママ?」
「ホント、信愛は私の可愛い娘だわ。可愛い私の娘。きっと信愛がいなきゃ、私の人生ってつまんないものだったに違いないなぁ」
「そう?」
「こんなダメな私だけど、お母さんにしてくれてありがとうね」
普段と違い、酔っているためか、素の本音が漏れる。
――お母さんにしてくれて、かぁ。
信愛が生まれる前の那智のことは知らないことが多い。
どこに住んで、どういう家族がいて。
どういう男性との間に子供を授かったのかも。
那智は過去をすべて切り捨てて、生きてきている。
だが、過去は忘れることはできても消すことはできない。
信愛が生きた15年の歳月に思い出がたくさんあるように。
きっと、那智の人生にも多くの出来事があったはずなのだ。
――ママの事、もっと知りたいな。
知らないことだらけの彼女の過去。
そのひと欠片だけでも知りたいと思い、信愛は言葉を口にする。
「ママはどういう青春時代をおくったの?」
「青春?」
「私と同じ頃はどうだったのかなぁって。青春やってた?」
「青春か。……好きな人には裏切られ、大好きな妹はその裏切り者に奪われた。私の可哀想な人生を聞かせてほしいというのなら、話してもいいけども」
「え、えっと?」
「私の人生を狂わせたあの女だけは許せない。幸せな家庭を築いてると思うとぶち壊したくなっちゃう。今は何をしてるのかしらねぇ? うふふ」
「お、重そうな話なのでもういいです」
想像以上に重そうなので、話を聞くのをためらった。
――あの女って誰ですか。ママには宿敵でもいるんですか。
その相手を思い返すだけで不機嫌になるほどである。
おそらくは相当な因縁があったのであろう。
「私の青春時代ねぇ。最愛の妹を奪われて、人を誰も信じられず人間不信になり、引きこもって高校退学になってから数年間、人生を無駄にした挙句に……」
「も、もういいから。迂闊に聞いちゃダメなことだった」
思わぬ地雷を踏んだことを後悔する信愛だった。
それは、彼女の心の奥底にある深い傷らしい。
――やっぱり、聞いちゃダメ系かぁ。はぁ。
酔っていてこれなのだから、素面ならば聞くに聞けない問題だ。
「まぁ、私の人生は信愛と巡り合うまでは散々なものだったわ。信愛が生まれてくれてホントに幸せな生き方をできるようになったもの」
信愛の頭を撫でる那智は「子供に救われてる」と嬉しそうに言う。
「ママは今後、結婚とかしないの?」
思い切って聞いたその言葉に彼女は、
「ごめんねぇ。信愛もパパが欲しかったよね。でも、無理。私は信愛以外の誰かを心の底から信じることなんてもうできない。血の繋がった娘以外、愛せない」
「……ママ」
「私、誰かに寄り添う人生は諦めてるからもういいの。でも、信愛もいずれ、私の元を離れちゃう時がくる。それはとても寂しいわねぇ」
その寂しげな横顔にかける言葉が見つからない。
「シアはママのことが大好きだよ」
「ありがと。私も信愛が大好きよ」
家族としての関係。
それは確かに強い絆ではあるけども、それ以外にもつながりを持ってもらいたい。
その後、眠ってしまった那智を何とか部屋まで運び出す苦労が信愛には待っていた。
翌朝、那智は二日酔いになることもなくケロッとしていた。
昨夜のこともよく覚えていない様子。
信愛の朝食を作りながら昨夜の話に「なんのこと?」と平然と尋ね返された。
「えー、何も覚えてないの?」
「ごめん、酔って帰ってきたのはなんとなく覚えてる。で、何か話したっけ?」
「忘れてる!? 旅行だよ、旅行! 冬休みにどこかへ連れて行ってくれるって約束しましたぁ。それは忘れちゃダメなのぉ」
「……あれ、そうだった? でも、いいわよ。たまには旅行に行きましょ。どこがいいかなぁ。冬ってことは温泉よねぇ。久々の温泉旅行をしましょうか」
昨夜のことを全然覚えていないようで那智は穏やかな微笑をする。
信愛としては安堵半分、残念感も半分。
――くっ。ダメ元でいろいろと踏み込んでみたらよかった。
ちょっと後悔する信愛である。
もう少し勇気を出して聞けばよかったのだ。
――でも、聞けないよね。遠慮とかじゃなくて、知っちゃいけない気がして。
知りたいけども知りたくない、微妙な気持ちが交錯する。
――シアのパパのこと。誰も信じられないって言ってたし。恋愛じゃなかったのかな。
恋愛感情がなくても子供はできる。
そういう複雑な事情が那智にはあったのか。
「……信愛? どーしたの? ボーっとしちゃって」
「なんでもない。今日は文化祭なのです。楽しんできます」
「いいなぁ。私もお仕事がお休みだったらなぁ。……サボろうかしら」
「ダメですぅ。ほらぁ、ママはお仕事に行く準備をしてください」
いつも通りの朝を迎える。
まだ、今日という日に待ち受ける出会いを知らないでいた――。
……。
同じ時間、神原家では恋奏が朝食を食べていた。
朝のニュース番組でお気に入りの俳優が主演しているドラマの番宣を見ていた時、
「……ねぇ、恋奏。今日は文化祭なんでしょう?」
キッチンで和奏が食器を片付けなら尋ねる。
「そうよ。それがどうかした?」
「私も遊びに行こうかなって思ってるんだけどさ」
「いいけど? なんか珍しいね。そーいうのに参加したがるのって」
「別に。恋奏がの通う学校がどういう所なのかなって言うただの興味よ」
「ふーん。私はいいよ。暇だから案内してあげます」
それに関しては微妙な顔をする和奏である。
「はぁ、がっかりよ。なんで一緒に文化祭を過ごす彼氏の一人もいないかな」
せっかくの文化祭というイベントを楽しめる相手がいない事実。
「うぐっ。人の痛い所をつかないで」
「モテると噂なのに。彼氏も作らないなんて。青春の無駄遣いよ」
「放っておいてください。恋なんてしたいと思ったときにするものでしょ」
せっかくの機会さえも無駄に過ごしてしまう。
マイペースな娘に対して残念な気持ちになる和奏である。
「恋奏はホントに浮いた話の一つもないわね。私は八雲さんと貴方の年頃に知り合ったのよ。それを思えば、なんでこの子は恋もしたことがないのかしら」
「その話は何度も聞きました。ストーキング行為でお父さんを困らせてたんでしょ」
「困らせてません! ただの一途な愛情よ、愛情!」
「物は言いようってやつじゃない」
自分の青春時代を思い出す和奏は「いい青春だったわ」と振り返る。
好きな相手には多少強引にでも迫りまくっていた。
そんな母とは裏腹に、恋愛面では消極的な恋奏である。
「ねぇ、文化祭なら、あの子に会えるかしら? 動画に出てた女の子」
「信愛ちゃんなら、多分、会えると思うけど? 会いたいの?」
「ぜひ、会ってみたいわ。あの人によく似てるあの子に興味がある」
「昔の知り合いの子とか言ってたっけ」
和奏の表情にどこか”複雑な想い”が見え隠れするのに、恋奏は気づく。
普段の母とは少し違う、違和感のようなもの。
「何かその人との間にあったのかな?」
不思議そうに思いながら恋奏は独り言をつぶやいた。
和奏が抱く複雑な想いの意味を知るのはもう少しだけ先の話――。




