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親友の妹はなぜスト子なのか?  作者: 南条仁
第1シリーズ:親友の妹はなぜスト子なのか?
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第5話:振り返ればそこにいる、今もそこに


 和奏は自室のベッドにパジャマ姿で座っていた。


「ここに先輩が来てくれた」


 うっとりとした表情で、彼を押し倒したベッドを撫でる。


「偶然って運命を信じてもいいよねぇ?」


 片思いをしていた相手だった。

 ずっと昔から、好きだった。

 憧れていた人に声をかけることもなく、見ているだけだった。

 それなのに、こんなにも関係が進展してしまうなんて思いもしなかった。


「着替えを見られたのは恥ずかしかったけど……」


 和奏にとっては、異性とあれだけ肌を触れ合わせたのは初めての経験だ。

 親の勧めで護身術として合気道をしていたが、相手は女性の師範だった。

 異性とあんな風に身体を寄せ合い、お互いの息遣いが聞こえる距離まで触れ合えたのは今日が初めてだったのだ。


「八雲先輩」


 どこか彼の匂いがする気がして、和奏はベッドの横になった。

 愛しい人であり、自分を救ってくれた恩人でもある。

 彼にとっては和奏を救ったつもりなどないだろう。

 だが、幼い少女の心には彼の言葉が大きく響いた。

 それは恋心となり、和奏の初恋となったのだ。


「和奏、入るわよ」


 ノックをして入ってきたのは母親だった。


「お母さん、どうしたの?」


 美冬は「さっきのことだけど」と前置きして、


「さすがに驚いたわ。貴方が八雲君を襲ってたこと」

「……もう少しだったのに」


 邪魔さえなければ、越えるべき一線を越えてたいたのかもしれない。


「だって、びっくりしたんだもの。和奏が何となく八雲君が好きなのは、この部屋に飾ってある写真でよく知ってるけどさぁ」


 八雲は気づいていなかったが、彼の写真がこの部屋にはいくつか飾られている。

 それは兄の浩太経由で手に入れたものだ。

 親としては隠していない想いに気付いて当然だった。


「……見てるだけでよかったのに。手に入りそうな距離にいたら、つい手を伸ばしちゃった。私は意外と欲しがり屋さんなのかもしれない」

「誰だって、欲しがってたものが手に入りそうなら手を伸ばすものでしょ」


 母の言葉に頷いて、「先輩が欲しい」と素直につぶやく。


「まぁ、今回はじゃれあう程度で何もなかったみたいだけど」


 そして、美冬は彼女たちの間に何かがあったとも思っていなかった。

 八雲に和奏が押し倒されていたが、それだけだったと分かっていたのだ。


「気付いてた?」

「なんていうか独特の匂いがしなかったから分かりやすい。それと、八雲君の焦りようが面白くてからかってただけだもの」


 必死に誤解を解こうとしていた八雲が聞いたらきっと泣くだろう。

 彼女の手のひらの上で踊っていたのだった。

 それは逆に言えば、八雲への美冬の信頼でもあった。

 彼は無理やり女の子を泣かす真似をする子ではない、と。


「先輩がフリーな今がチャンス。ちょうど同じ高校だし」

「うまくいけばいい。次に来たらあることないことを吹き込んで、追い込んであげようかしら。責任とって、とか。親なら娘の恋が上手くいってほしいと思うもの」

「……そんなことしなくてもいいよ」

「押しが弱いとダメよ? 恋愛でも何でも、やると決めたら最後までやりきりなさい。後悔だけが残ってもつらいだけなんだから」


 そう言って鼓舞すると、彼女は部屋から出ていってしまう。

 母の励ましに和奏は小さく笑う。


「……後悔か」


 和奏には一つだけ分かっていることがある。

 それは、八雲を好きでい続けているからこそ思い知る現実の壁。


「先輩は私の事を好きになることなんてない」


 自分がどれだけ彼を愛して、愛して、愛していても。


「振り向いてくれることはない」


 今日のように、彼の視線の中に入れる奇跡はそう何度も訪れない。


「一度でいいから。たった一度でもいいから」


 この片思いが成就する現実が訪れることはないと知っていても。

 諦めたくないから、この思いを捨てたくないから。


「……あの人に好きだと言ってもらいたいな」


 多くの事は望まない。

 八雲のためになら、自分はどんな真似でもするだろう。

 彼の愛を一度でも手に入れられるのならば。


「先輩が好きで好きで、大好きでたまらないの」


 思い続けるあまり行き場をなくして屈折しきった想い。

 和奏の恋は止まらない――。

 




 翌朝の事である。

 八雲は寝覚めが悪く、朝から憂鬱な顔をして食パンをかじっていると、


「兄貴、なんで朝からそんなにぐったりしてるんだよ」

「何でもねぇよ。放っておいてくれ」


 昨日は疲れすぎたのか、あまり寝れなかったのだ。

 睡眠不足のまま、朝を迎えてしまった。

 二度寝したい誘惑はあったが、間違いなく遅刻するのでやめた。

 学校で寝ることにしよう、と決めていた。


「まるで女にフラれた時みたいな……またか? また何かあったのか」

「だから何でも女に結び付けるな。思春期のお前らと違うんだよ」

「俺は誰とも付き合ったことないし! 兄貴はモテるから女なんていくらでもいるんだろうけどさぁ。いいよなぁ」

「いくらでもいてたまるか。いいから、さっさと学校に行けよ」


 弟の相手をするもの億劫で適当にあしらう。


「なんだよ。こっちは心配してるのに。じゃぁ、行ってきます」

「……はいはい。頑張ってこい」


 朝練に出かける弟を見送る八雲はいつも通りに後片付けをする。


「昨日はひどい目にあったからな」


 大倉和奏わかなという名の夢魔サキュバス

 淫夢を見せつけられた気分だった。


「あの女め。俺のプライドをボロボロにしやがって……」


 押し倒されて、尊厳を踏みにじられて、最後は親バレ。

 怒りではなく、悲しみの方が勝る。

 いろんな意味で心の傷は癒えそうにもなかった。


「あぁ、おばさんにも誤解されたままだし。どうしようかな」


 今度会った時が恐ろしい八雲は考えるのをやめにする。


「……もうあの女とは関わらないぞ。そう決めた」


 今日こそは平穏な一日であってほしいと願いを込めた。

 神原八雲にとっての何気ない一日。


「今日も一日が始まるぞ、と」


 何も変わらない毎日のルーティンのようなもの。

 同じ時間に目を覚まして。

 同じ時間に家を出て。

 同じ時間のバスに乗る。

 今日も時間通りに学園行きのバスが停留場につく。

 人気の少ないバスの3列目、左側の席に座った。

 そして、いつも通りに斜め後ろの席にはマスク姿の女子が……。


「……くすっ」


 ……何でだろうか。

 いつもと違い、彼女は微笑んでいた。


――あの子が笑ったところなんて初めて見た。


 視線が合うのは何度かあったが微笑まれたことなんてなかったのに。


――ん? なんだ、今の笑顔……どこかで。


 バスが発進してから八雲はようやく気付いた。


「――っ」


 ふわっとした長い黒髪が印象的な小柄な少女。

 その少女の横顔にはどこか見覚えがあることに。


「……あッ!?」


 可愛らしい大きな瞳が八雲の姿を捉えていた。

 思えばこの2ヶ月間、八雲と彼女はずっと同じ時間のバスに乗っていた。

 その相手がどこの誰かなんて知らないままだった。

 ただの偶然のはずだった。


――偶然は必然なんて言った奴はどいつだよ。

 

 偶然などひとつもなく、すべてが仕組まれていたものだとしたら?


「まさか……!?」


 なぜ、気づかなかったんだろうか。

 彼女の正体に、彼女の視線に、彼女の想いに。


「――八雲先輩」


 少女は愛しそうに八雲の名前を口にする。


「う、嘘だ、嘘だぁ」


 震えた声で信じられない現実を受け止めきれない。


「おはようございます、先輩」


 ゆっくりとマスクを外して、可愛らしい素顔をさらす。

 そう、彼女こそ八雲の天敵と呼べる妄想暴走女子。


「大倉、和奏だと……!?」


 和奏本人だったということに一度たりとも気付かなかった。


「ようやく私に気付いてくれましたねぇ?」


 例のマスク少女と浩太の妹が同一人物だった。

 そんなウソみたいな現実を一度としても想像したことがあっただろうか。


――う、うわぁああああああああああ!!!


 八雲は心の中で大声で恐怖の叫びをあげた。

 振り返ればいつも彼女はそこにいた。

 そこで、八雲を見つめ続けていた。

 その熱視線に気づけずに、存在すら知らずにいたのだ。


 そう、大倉和奏はずっと前から八雲の傍にい続けていた――。

 


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