第25話:恋愛は難しいからこそ価値がある
彩萌との関係に亀裂を生じさせてしまう、予想通りの展開に陥った。
八雲は「やっぱりこうなったか」と深くため息をつくしかない。
――今日だけで何度心を傷つけることになったのやら。
元恋人の浮気相手には罵詈雑言、元恋人からは大嫌い宣言だ。
さすがの八雲も、精神的に参ってしまう。
すっかりと夜になったので、和奏を家まで送る途中。
夜道を二人で歩きながら、彼女は微笑していた。
「恋する乙女に相手の悪口を言うなんてダメです。聞く耳持たず、と言ったでしょう」
「……信頼度の差ってのを思い知らされてしまった」
「先輩は彼女に好かれてはいても信頼はされていなかった、と?」
「お前のそういうはっきり言う性格は何とかしなさい。傷つくからさ」
「失礼。ですが、物事は遠まわしに言っても相手に伝わらなければ意味がありませんから。反省すべき点は反省して次に繋げてください」
――その通りだとしてもスト子に言われるのはムカつくぜ。
上から目線の物言いが気に入らず、彼女の頭を軽く小突く。
「ひゃんっ」
小突かれたおでこを押さえる彼女に、
「だが、お前の言う通りだったな。結果的に俺がしたのは無駄なコトだったのかもしれない。他人の恋に口出すのも、自分の過去を悔やむのも……」
「そんなことはないのでは? 先輩が自分の想いに向き合った結果ですから」
「そうか?」
足を止めてゆっくりと彼女の方に向き合う。
和奏は両手を後ろにしながら、身長差のある八雲を見上げる。
「先輩は優しいから相手を想いすぎてしまうんですね。彩萌先輩の事は自分の中で未練だったのでしょう。だからこそ、好き放題にしている那智先輩が許せなかった」
「……許せないと言うか暴言の数々は殺意すら沸くな」
「同感です。あの那智先輩への報復行為は考えておきましょう」
どちらも那智を思い出すだけでも腹立たしい。
「彩萌先輩もすっかりと八雲先輩を見限ってしまった様子。これではもう復縁の可能性はゼロですね。大嫌い宣言までされてしまいましたから」
「ま、まさかお前はそれを狙ってたのか!?」
「ふふふっ、すべて私の計画通りです」
傷心男の前で和奏は不敵な笑みを浮かべる。
「ちくしょう。スト子のせいでひどいめに」
「彩萌先輩の好感度を下げたのは八雲先輩自身でしょう? 私に八つ当たりをしないでくださいな。次はもっと言い方に気を付けて感情を抑えてください」
「そうっすね。俺が悪いね。ごめんなさいね」
何一つ反論できない八雲だが、どこか吹っ切れたようでもある。
過去の想いと区切りをつけられたような気持ちだ。
――彩萌と喧嘩なんてしたこともなかったからな。
付き合っている頃は関係が壊れるのを恐れて意見をぶつけあえなかった。
思ってるとこも本音でぶつけ合うコトができないでいた。
――別れたからこそ言える言葉もある。
ある意味で、今回の喧嘩はあの頃にできなかったことをできたのかもしれない。
……結果だけを見るとひどいありさまではあるのだけども。
「先輩。想い出は壊して、新しく作り直していくものですよ」
「時には残したいものもある」
「未練も含めてですか?」
「……それが男の恋愛ってやつじゃないのか」
昔の恋人に想いを馳せることもある。
男とはそういう生き物でもあるのだ。
「先輩の事を女々しいと言っても?」
「せめて、そこはオブラートに包め」
「では、未練がましいと言いなおします」
「同じ意味だろ!? どうせ、スト子には俺の男心は分からないのさ」
八雲の男心は和奏にからかわれてしまう。
男は未練っぽいと言われるのはしょうがない事ではないのか。
「はぁ、恋愛って難しいなぁ」
そう呟いた八雲は夕闇の空を見上げた。
太陽が沈んだ代わりに白い月が昇る。
薄っすらと星が見え始めていた。
「難しくて当然ですよ」
「え?」
「だって、他人同士が同じ思いを抱くんです。両想いになるってとても難しくて大変に決まってるじゃないですか」
和奏はそっと八雲の服の袖をつかむと、
「私なんて六年も先輩だけを想い続けてるんですよ? 時間をかけて関係を築き、想いを重ねあうからこそ、その関係を愛おしく思えて、大切に感じるんです」
「スト子……」
「和奏ですってば。もうっ」
軽く拗ねる彼女に八雲はどこか納得した様子で、
「お前の言う通りかもしれないな。難しいからこそ、価値があるんだ」
「難しくない恋なんて、何の価値があるんですか。簡単なゲームはすぐに飽きてしまうように、難しいからこそやりがいもあるんです」
「やりがいねぇ」
「えぇ。苦労もせず簡単に落とせる相手ならば、大切にする気持ちも薄れてしまうものです。人は大変な想いを経て手に入れたら手放さないものでしょう?」
大人の恋と違い、子供の恋は関係に縛られない。
単純ゆえに難しくも思える。
経験値のなさからくる不安や、純粋な恋の楽しさを覚える。
成功と失敗を繰り返し、成長しながら想いを育てていく。
「恋愛は人間の喜怒哀楽そのものです。嬉しい事もあれば悲しい事もある。ですが、楽しいからこそ人は恋愛をするんです」
「楽しくなければ恋なんてしないよな。辛く悲しい恋なんてしたくもない」
「人を想う力は人間が生きるための活力です。命の源ですもの」
「そこまで言うか」
「はい。だって、私は先輩に恋をして成長をしたという自覚がありますよ? 貴方への想いが私を強くしてくれました」
不登校になっていた和奏にとっての希望を与えてくれた相手。
八雲は愛しき存在でもあり、恩人でもある。
大切に思うがゆえに、暴走することもあるが。
「……ホント、一途だよな」
呆れるほどに真っすぐで、八雲だけしか見てない。
その純粋さこそが大倉和奏の最大の魅力でもある――。
「一途ですよ。私は常に先輩だけしか興味もありません。ひまわりのように、貴方だけを見つめ続けているんです。えへへ」
可愛らしく和奏が笑う。
その想いに触れると八雲は温かさを感じる。
自分をこんなにも愛してくれている女の子がすぐ傍にいるのだから。
「――和奏って、いい女だよな」
自然と口から零れた言葉に和奏は驚く。
「は、はい?」
「真っすぐに人を思いやれる良い女だ」
彼はふいに和奏の頭を撫で始めた。
黒くて長い髪の毛に、まるで小動物を可愛がるように優しく触れる。
「せ、先輩? 良い女扱いですか? ついにスト子、卒業ですか?」
「……帰るか」
「え゛ー!?」
あからさまに不満気な声を出す。
「な、何でですか。ここは告白シーンに突入じゃないですか」
「場所も場所だし、時間も遅い。さっさと帰って夕飯を食べたい」
ひとしきり髪を撫でて満足したのか八雲が夜道を再び歩き出す。
「ひどいです。私への愛は夕食以下ですか。性欲よりも食欲ですか!」
「お前の言い方の方がひどいだろ」
「せめて手をつなぐなり、強く抱きしめてくれてもいいのでは?」
「毎回、お前の願望は厚かましいレベルだな」
実に自分の欲望に素直な女である。
「お預けプレイなんてしないでください。私はお手はできても、待てはできない調教前の子犬なんです。甘えさせてくれるなら、ちゃんと行動で示してくださいよぉ」
「調教って……」
「もちろん、調教は先輩に……あーっ、置いていかないで!?」
いつも通り、放置されそうになり、慌てて後ろを追いかける。
その勢いで和奏は八雲の背中に抱きついた。
「……お前、何してる」
「抱きついてます。今の先輩ならこれくらいは許してくれるのでは?」
雰囲気的に八雲は和奏へ心を許しているように見えた。
――いつからだったんだろうな。スト子が気になる相手になってたのは……。
勢いで抱きついてくる彼女を彼は困った顔をしながら、
「ったく、空気読めよ。今日は散々な目にあって、俺も弱ってるんだ。そんな時に、つきまとわれてた女の魅力に気付いて、いい女だと思ってしまったんだぞ。せっかく、我慢して離れてやってるのに……」
辛い時に優しくされると弱いのは生き物の性。
それは八雲にとっても例外ではなく。
「そんな男に抱きついて襲われても、文句言うなよ?」
振り向いた彼に和奏は抱きしめられた。
わざとらしく彼女は瞳を閉じて唇を突きあげる。
「どうぞ。先輩になら襲われてもいい――んぅっ」
冗談が冗談ではなくなる瞬間。
和奏の唇はふさがれるように奪われたのだった。
真っ赤になってしまう純情乙女。
スト子の唇を奪うと言う意味を考えても、悪戯では済まされない。
八雲には和奏の想いに応えるだけの覚悟があった。
「わ、わー!? い、今、何されました? き、キス?」
「……意外にテンパるタイプか、お前」
「心の準備もなくいきなりされたら驚きますよ……あ、あわわ」
口元を押さえて慌てふためき動揺する姿に彼はくすっと笑いながら、
「和奏の事、可愛いって思ってるよ。それが今の俺の本音だ」
愛しいと思える相手には素直に想いを伝えたい。
初夏の夜、ついにふたりの関係が進展する――。




