氷の裏
◇
月明かりに照らされ、静寂が支配する裏路地。そこでは二人の男とそれに対峙するようにひとりの少女にらみ合っていた。両者の手には殺傷能力を十分に秘めた凶器が握られており。一触即発の緊迫した空気が漂っていた。
「ちょっと待った!」
僕は足を進める。三人の視線が集まるのを感じた。男たちからはいぶかしげな、少女からはすがるような視線だ。
魔力を必死に集める。額には汗がにじみ、心臓の動きが激しくなるのを感じる。何とか集めた魔力を使って僕の拳より少し小さいぐらいの炎の球を作り、宙に浮かべた。温かみのあるオレンジ色の火が、暗闇をほのかに照らした。
「小さな女の子相手に、二対一はひどいんじゃないかな」
僕は少女の側に立つと、男たちに向けて敵意を向ける。
男たちは新たに現れた魔法使いらしき男……つまり僕が自分たちの敵だと認識したのか、焦りはじめたようだった。二人で、やばいどうしよう、みたいなことを言っていた。
正直、僕は戦いたくなかった。というか戦ったら負ける気しかしない。
そこで二人に逃げの選択肢を選ばせることにした。
「今なら見逃してあげるから、早く僕たちの前から消えるんだ」
仮面をかぶってる時の僕だったらこんな感じかなというふうに、必死に二人に威圧感をかける。
「ちっ、覚えてやがれ!」
男たちは尻尾を巻いて逃げだしてくれた。助かった。
安心して気を抜くと、体の力が抜けてしまった。
「だ、大丈夫ですか!?」
少女が倒れかけた僕に肩を貸してくれた。これは恥ずかしい。
「大丈夫だよ……少し魔力を使いすぎただけだから」
普段の僕は弱い。仮面をつけていなければこの程度のことで魔力切れを起こしてしまうほどに。
重い体を起こそうとするがなかなか力が入らない。
「あの……とりあえずわたしの家に来ませんか? すぐ近くなんです。そこでひとまず休んだらどうです? お礼もしたいですし」
少女はとてもきれいな笑顔を浮かべる。よく見るとすごいかわいい子だ。髪は水色のショートカットで、とても澄んだ瞳をしている。僕を支えてくれている腕はとても細かった。
「えと、それじゃあお邪魔でなければ……お願いしていいかな」
「お邪魔なんかじゃないです! じゃあ行きましょう」
魔力切れの症状は主に目まいと頭痛と虚脱感である。この感覚はあまり慣れるものではない。
少女に連れられて行くと、一軒の家の前で足が止まる。なんとも普通の家だった。べつにばかにしているわけではない。僕は普通が好きだから。
「あ、そうだ。わたしとお姉ちゃんと二人で住んでるんだけど気にしなくていいからね」
そう言うと彼女は扉を開く。靴は脱いでね、といわれたのでそれに従う。中は小奇麗にされていて、とても清涼感のある部屋だった。何やら草のような匂いのするものを床に規則的に敷いており、四足のテーブルが部屋の真ん中に置いてある。足を踏み入れるとなんだか不思議な感じがした。足が地面から少し押し返されているような感じが。
この足の下に敷いてるやつ、なんか聞いたことあるな。たしか……タラミだったかな。なんとなく違うような気もする。
観察していると、部屋の奥から誰かが出てきた。
「お帰いわよネディ。遅いから心配したじゃない。遅くなるなら私が迎えに……その人はどちら様?」
部屋に入るとそこにはきれいな女性がいた。氷のように透き通る水色の髪を赤色のリボンで結んでいて、愛嬌のある笑顔を浮かべている人だ。
この人がお姉さんかな。でも、なんだかどこかで見たことがあるような。
「あ、お姉ちゃんただいま。この人はね、えーと……」
「ノルア・スティグマと言います」
名前をまだ言ってなかったことを思い出して、とりあえず自己紹介をする。
「ノルアさんはね、わたしを襲ってきた人たちを追い払ってくれたの。すごいいい人だよ!」
「ノルア……スティグマ?」
お姉さんの顔がわずかに曇る。
僕何か気に障ることを言っただろうか。その視線に居心地が悪くなり、妹さんに目を向ける。
「そういえば自己紹介してなかったね。わたしの名前はネディ・ティアリス。気軽にネディって呼んでね」
ティアリス! そうだ思い出した。じゃあお姉さんは――――
「で、お姉ちゃんの名前はネーヴェ・ティアリス。これでもAランク冒険者なんだよ」
ネーヴェ・ティアリス……僕が受付嬢をぼこぼこにしてたときに止めてくれた人だ。あの時の凍てつくような視線は今でも鮮明に思い出せる。でもそれにしては印象と違いすぎる。【溶けない氷】という彼女の二つ名は、氷魔法を使うという理由もあるが、決して人前では笑わないことから”溶けない”という言葉が含まれているのだ。
「ネディが襲われた!? 怪我はない? ああ私が迎えに行ってれば……そうだ。私の渡したマジックアイテム、あれで追い返せなかったの!?」
ネーヴェさんはネディの体を念入りに調べている。その目はとても温かく優しげなもので、普段の凍っていた目が溶けたようだった。調べ終わったのか一息つくと僕の方に近寄ってきた。
「本当にありがとう。えーとノルアくん……よね。私の大切な妹を助けてくれて感謝してもしきれないわ」
そういうと彼女は……抱きついてきた。僕は身動きが取れなくなり。されるがままになってしまう。
何この状況? どうすればいいの?
「ちょっとお姉ちゃん! ノルアくんが困ってるわよ!」
ネディがネーヴェさんを引きはがすとネーヴェさんはやっと落ち着いたみたいだった。
「ごめんなさいね。えーとなんかお礼しなくちゃね。……そうだ晩御飯食べていって。もうすぐできるから」
そういうとネーヴェさんは奥へと姿を消していった。
「お姉ちゃんがごめんね。ときどきAランク冒険者としてちゃんとやっといけてるのかすごい不安になるんだよね」
ネーヴェさんはしっかりやってるよ。というか僕のイメージしてたネーヴェさんとだいぶ雰囲気が違うんだけど。どっちが素なんだろうか?
することもないのでとりあえずその場に座って休むことにする。魔力が徐々に回復ししてきたのを感じる。目まいとかはもうなくなっていた。
しばらくするとネーヴェさんが戻ってきた。その手には大きな鍋をもっていた。湯気が黙々と立ち上っていてすごい食欲を誘う匂いが漂ってくる。
「おまちどーさまー。作りすぎちゃってたからちょうど良かったわ。遠慮せずにどんどん食べちゃってね」
そういうと皿と箸を配り、ものすごい勢いで食べ始めた。あんな細い体のどこに入るのかが不思議になるぐらいに。普段のクールな印象は完璧にどこかへと吹き飛んでいた。
「ちょっとお姉ちゃん! 人前でそんな勢いで食べないでよ!」
「ご、ごめん。ほら、あれなのよ。魔法って使うとものすごくおなかすくのよ」
ネーヴェさんは妹に叱られていた。
たしかに魔法を使えばおなかがすくというのはよくわかる。だけど僕はネーヴェさんがよくわからなくなってきていた。
「そ、それよりネディ。なんで帰るのが遅かったのよ! 心配したじゃない!」
ネーヴェさんが無理やり話を変えようとしていた。ネディはそれを聞いて顔を下に向ける。その顔には憂いを秘めていた。
「用事が出来てお店を急に休む人が出ちゃって。その埋め合わせを頼まれたの」
「お金のことなら心配しないでいいのよ。私がちゃんと稼いでいるから」
「お姉ちゃんに頼ってばかりじゃ嫌なの! お母さんとお父さんが病気で死んでから、お姉ちゃんにずっと守ってもらってばかりで……わたしは自分のことは自分でなんとかしたいの」
「ネディ……」
……どうしよう。
空気が重いです。ここは僕が話を明るくすべきか。それしかない。
「そ、そういえばネーヴェさん。最初僕の名前を聞いたときになんか気にしてる様子でしたよね。なにかあったんですか?」
とりあえず話を変える。気になってたことがあったので、それも聞けて一石二鳥だ。
ネーヴェさんは顔をこちらに向けると話し始める。
「それはね、ノルア・スティグマっていう名前に聞きおぼえがあったからよ」
「ああそうでしたか。よく言われるんですよ。Sランク冒険者の【黒炎】のノルアと名前がいっしょだねって」
自分で言ってて白々しいと感じる。でも、あんまり人には正体をばらしたくないからしょうがない。レオルとかティナぐらいじゃないかな、僕の二面性のことを知っているのは。冒険者ノルアから普段の僕に戻るときはできるだけ周りに人がいないかを気にするようにしているし。
「そうなのよ! ちょっとあいつの話を聞いてくれない!?」
思った以上に話に食いついてきたネーヴェさん。とりあえずは気まずい空気を払しょくできたみたいで良かった。ネーヴェさんは身をぐいぐい乗り出してきて胸を張ってくる。
「もちろんです。なにがあったんですか?」
「実はね、つい最近のことなんだけど。ノルアが……もちろんあなたのことじゃないからね?……ギルドの受付嬢に暴力を加えていたのよ。髪の毛を、ガーって引っ張っておなかにパンチまでしてたのよ! しかも火の魔法まで使いだして……さすがにまずいと思ったのよ。そしたら体が勝手に動いてね、彼女を助けるためにノルアに向かって魔法を打ち込んだのよ。そしたら彼、私に何て言ったと思う?」
「なんでしょうか?」
ネーヴェさんは一口、水を飲むと続ける。
「ネーヴェ=ティアリス……お前には関係ない。邪魔をするなら……殺す」
ネーヴェさんは声調をノルアに似せて低くしていた。あんまり似てないけど。
「……って言われたのよ? あれは本気だったわ。レオルが駆け付けるのがもう少し遅かったら私殺されちゃってたかも。レオルっていうのはノルアのパーティメンバーね」
そういうと自分の体を抱くようにして小さく震える。僕の胸の中では罪悪感が再び蘇ってきていた。
あの時のネーヴェさんってそんなこと思ってたんだ。というか僕ってホント最低なことしてたな……。ネディを助けられたことで少しでも償いをできたと思いたい。
「【黒炎】のノルアって怖いんですね……。そういえばノルアさんも火魔法使ってましたよね?」
ネディの言葉により再びネーヴェさんの顔が曇る。
もしかしてまた僕疑われてる? なんとかごまかそうと考えているとネディが続けて話しだす。
「なんだかとても温かみのある火でしたね。小さかったけど」
「温かみ? 黒色じゃなかった?」
「黒じゃなかったよ。普通の赤い火だった」
ネーヴェさんの疑いも晴れたようで、とりあえずこの話は終わった。
そのあと僕たちは黙々と食事をつづけた。人と一緒にご飯を食べるなんてあんまりなくてすごく新鮮だ……僕ってあんまり友達いないし。
「じゃあ僕はそろそろ帰りますね」
そう切り出すと僕は立ちあがる。だいぶ遅くなってしまい、これ以上居座るのは悪いだろうと思った。
「ノルアくんちょっと待ってて」
ネディはそういうと隅にある棚をいじり始めた。中のものを次々と取り出していくと、あった、という声が聞こえた。
手に紙切れを持ちながらこちらにやってくる。
「これわたしが働いてるお店の無料券なの。おいしい食べ物がたくさんあるからぜひ来てね」
そういうと彼女は紙を手渡してくる。断る理由もないのでそのまま受け取る。
「なんだか悪いなあ。晩御飯をごちそうになったうえにこんなものもらうなんて」
「全然気にしなくていいからね。というかわたしが来てほしいの。無理なら仕方ないけど」
そういう彼女はうるうるとした上目づかいで僕のことを見てくる。その姿を見れば男ならNOとはいえないだろう。わざとやっているのかはわからないが、侮れない子だ。
「も、もちろんいくさ。それじゃあ、おじゃましました」
ぺこりと頭をさげて家を出る。外はうすら寒いが、とてもすんだ空気だった。月明かりが帰り道を明るく照らしていた。
今日はとてもいい日だった。
次から裏混ぜていきます