バルドーナ
◇
僕たちはエスタリカを出発し、馬車に乗っている。エスタリカ近郊の道は整っていたので快適だった。しかし少し外に出ると道はぼこぼことしていて、揺れるたびに景色が大きく揺れた。目に入るのは緑。一面の草原である。仮面を外したことにより、とてもよく見えた。息をするたびに草の独特の香りが、体の中に入っていく。久しぶりの国外旅行に心は少し弾んでいた。紅蓮竜倒すのやめてこのままピクニックなんてのもいいかもしれない。いや……よくはないか。
「ちょっといいかなノルア君?」
レオルが笑みを浮かべて近づいてきた。さながら草食動物を狙う肉食動物のように。
「どうしたの?」
「さっきの話の続きだ。お前が遅れたのって緊張して寝れなかったからじゃねえの?」
レオルが言うさっきの話というのは僕が遅れてきたことの話らしい。さばさばした性格のくせに、意外と執念深い女である。
僕は首を縦に振った。
「だって龍だよ龍! 怖いに決まってるじゃないか」
龍種。それは分類的には魔物に属する。だが、その強さは魔物という枠に収めるには少し強すぎた。強靭な顎を持ち、鉄の鎧だろうが容赦無く噛み砕く。全身を覆う鱗は生半可な攻撃では傷一つつかない。
そして最も厄介なのが──魔力耐性である。
「確かにお前にはキツイかもな。龍種の魔力耐性は、魔法使いにとっちゃ相性最悪だよな」
龍が怖いのは相性なんて関係ないだろう。
まあ、対策は一応ある。でも龍が怖くない人なんて一部の狂人だけだ。僕は狂人じゃないんだ。……少なくともいつもの僕は。
「まあとにかく、理由があるなら遅刻もしょうがない。うむ、俺はノルアが何の理由もなく遅刻するなんておかしいて思ってたんだ」
「本当かしら。その割には本気で怒ってるように見えたけど」
自信満々なレオルにティナが口をはさむ。その顔には面白いおもちゃを見つけたような表情を浮かべていた。ティナはレオルをいじりたいのだろう。
レオルがティナに言い訳を言うたびに、ティナはさらに追い打ちをかけていく。レオルが涙目になってきたあたりで、やっとティナは満足したようだ。ごめんごめんと抱きついて慰めていた。
レオルとは対称に、ティナは生き生きしていた。もしかしたらティナは世に聞く<ドエス>というやつなのかもしれない。僕も詳しいことは知らないけど。
「それにしても」
レオルが口を開く。
「やっぱり不思議だよな。 ノルアって別に二重人格ってわけじゃないんだろ?」
「そうだね。二重人格ではないよ。強いて言うなら……二重性格?かな」
僕は普通の人とは少し違う。
呪面族と呼ばれていた民族だ。いや、自分たちでそう言っているだけだったか。あまり知っている人はいないだろう。何せ大陸の南部、ケイオス領域の種族だから。
呪面族はある特異な能力を持っている。民族の名前に面とあるように、仮面とかお面で顔を覆うと体が変化するのだ。外見的な変化はほとんどない(個人差はあるが)。大外は内面的な変化──魔力量や身体能力──である。
珍しいことだが、僕の場合はそれに加えて、性格の変化と特異能力の付加もあった。
ただ、仮面をつけている時の僕は性格があまりよろしくなく、悪評が絶えない。昨日も盗賊達を一人残らず……。だいぶ慣れてはきたけど、あまり気持ちの良いものではない。
「でもやっぱり、俺はいつものノルアが好きだな」
何を言っているんだ。
レオルは少し顔を赤らめている。恥ずかしいなら言わなきゃいいのに。何だかこっちまで気恥ずかしくなってくる。レオルは、あっちのノルアはむかつく!、とわめいていた。騒がしいやつだ。
――――出立して一日。
全速力で走る馬車は最初は楽しかったが、長く続くとなると苦痛でしかない。同じく最初は楽しんでいたレオルが、まだつかないのかと愚痴を漏らし始めた頃。
「そろそろ着くわよ」
「やっとか!」
ティナが前方に指を指した。示す先には街が見える。遠目でもその堅固な城壁がわかった。黒塗りの城壁は重々しく、見る者を圧倒する。恐らくは魔物対策だろう、城壁の上には対大型魔物用のバリスタや投石機などの城設武器が設置されている。さすがは軍事国家<バルドーナ>と言ったところだろう。昔魔物の大群が攻めてきたときは一体も中に入れることなく、撃退したと聞いたことがある。
バルドーナに着くと、検問を受け中に入る。身分証明書代わりのギルドカードを見せると、少し驚いている様子だった。まあ、Sランク二人にAランク一人である。そうそうお目にはかかれない。
問題なくバルドーナに入ると、何やら不穏な空気が漂っていた。街は慌ただしく、鎧を来た兵士が多く見られた。
「紅蓮龍はまだ来てはいないのかな?」
ノルは疑問に思う。とりあえず街の人に聞いて見ることにした。
「すみません。ちょっといいですか?」
自分たちと同じ冒険者だろう男に話しかけた。革鎧を着て、腰に小剣を刺していた。その男も、周りの人と同じように浮かない顔をしている。
「なんだあんたらは? ──ああ、同業者か。」
ノルアの後ろには大剣を背負ったレオル、弓を持ってるティナがいる。誰の目にも一般人には見えない。
「で、何の用だ」
「実は聞きたいことがあるんです。この慌ただしさの事なんですけど……」
男は難しい顔をする。
「お前らこの街に来たばかりだな? なら知らねぇのも無理ないか。運が悪かったな」
男は憐みの目を向けてきた。そして続ける。
「今この街には緊急防衛体制が敷かれている。 その理由はな──」
突如何かの雄叫びが響き渡る。その声には大きな怒りが含まれているように感じた。
「あれは……紅蓮龍だ……。 今この街はやつに襲われているんだ」
男の言葉には覇気がなく、嘆息している。街の人たちは慌ただしく走り回っていた。
「ちっ、事が起こる前に街を出るはずだったのによ」
いきり立つ男を尻目に、僕はレオル達に話しかける。
「なんとか間に合ったみたいだね。じゃあ行こうか」
レオルは親指を上に向け勢いよく手を突き出す。目はギラギラと輝き、歯を見せにやりと笑う。ティナは軽くうなずいた。既に戦う気満々のようだ。
そんな僕たちの様子を見た男は
「お前らやつと戦うつもりか? やめとけ。命がいくつあっても足りねぇよ。しかもだ……おそらく一体じゃねぇ。二体いる。」
おそらくという割にははっきりとした言い方だった。何か根拠があるのかもしれない。でも、僕たちには関係ないだろう。
「じゃあ、報酬は二倍だな!」
レオルは、ついてるぜ!と喜んでいた。彼女にとっては龍でさえも、ネギをしょってきたカモでしかないのだろう。子供のようにはしゃいでるレオルをティアが落ち着かせていた。
「何を言っても無駄みたいだな……。今はバルドーナの冒険者と兵士が応戦しているはずだ。あいつもいるし……。まあ、危ないと思ったらすぐ逃げることだ」
「心配ありがとうございます。もちろん危なくなったらすぐ逃げます。それでは」
「ちょっと待ってくれ!」
男が声を上げる。何やら悩むそぶりをすると
「炎の魔法を使ってるお前と同じくらいの年齢の女……マリアナってやつなんだけどよ。そいつと会ったら意地張ってねぇで逃げるように言ってくれないか?」
「炎? 別にいいですよ。見かけたら伝えておきます」
「すまないな。時間をとらせて悪かった」
心配そうな顔をしている男を背に、僕たちは音のした方へと走り出していた。逃げる人々と逆に向かえば、そこに紅蓮龍がいるはずだ。
僕は走りながらポーチを漁り仮面を取り出す。この混乱の中、僕のことに注目しているものは皆無だ。遠慮なく仮面を付ける。視界が狭くなり、それと同時に意識も冴え渡って行った。
──トカゲ狩りの始まりだ。ノルアの口角が歪に歪んだ。