第3話 失われたもの
街の裏路地で俺はしゃがみこんでいる。美しい月も、今は視界に入れたくない。気持ちが悪い。最悪の気分だ。
「なんだったんだ……」
口元を右手で押さえた。血や傷口が不快だったわけではない。あの、リィンの顔。無垢な笑顔ではない。あれは強引に感情を歪めたものだ。
気配がする。
俺は立ち上がって、剣に触れた。
「気づいたんでしょう」
ウォルテが立っていた。彼女は自分の手首を掴んでいる。顔は俯いていて、表情が分からない。
「このサンテス王国の裏側に、気づいてしまったんでしょう」
「この国で何が起きている」
ウォルテは顔を上げた。視線を彷徨わせている。
「ゼロ様は邪神様のお力を借りて、国民から負の感情を奪った。その結果がこれよ」
「痛みを辛いものとして感じなくなった。だから、笑っていたのか」
リィンのあの笑顔は、苦痛を無理矢理に喜びとして変えられたからか。彼女の笑顔が歪だった理由が分かった。
「私は、ゼロ様を止めたい……」
「俺には関係ない」
俺はウォルテから顔を背けた。
俺は善人じゃない。他人のために動けるほど、自分に余裕があるわけでもない。
「ゼロ様は、あなたの目を狙っているわ。あなたの目があれば、世界を変えることができるから」
「俺は……」
自分が思っているよりも、俺は動揺しているようだ。頭が上手く回らない。
「迷うわよね。今夜は私の屋敷に来なさい」
「…………」
ウォルテは背を向けて歩き出した。俺もその後ろをついて行く。
「ねえ、正義って何だと思う?」
「どうでもいい。俺はそういうものには興味がない」
俺はウォルテの顔を見ないまま言い放った。
正義の味方なんて、この世に居ないんだよ。甘い夢を見られるほど、この世界は優しくない。
「ゼロもお前も似たもの同士だ。結局は自分の価値観を他人に押し付けているだけだ」
ウォルテが立ち止まった。
「そうね。私もゼロ様も、国民の意見で動いてる訳じゃない」
彼女が俺を見る。その目に、強い意志が見えた。
「自己満足でしかない。それでも、私は自分が動きたいから動くの」
「自己中心的な考えだな」
「いくらでも否定していいわ。私は自分の生き方を曲げたりしないもの」
ウォルテは再び歩き出した。月明かりが彼女を照らし出す。ウォルテは吹っ切れたように微笑んでいる。
「迷っても、また歩き出すの。歩いていれば、必ずどこかに辿り着くわ」
「辿り着く先が地獄でもか」
「ええ。それでも、前へ進むわ」
ウォルテは口元に手を当てて笑いだした。
「不思議だわ。あなたと話していると、気持ちが軽くなっていくの」
「俺はお前に何も感じない」
冷たくあしらっても、ウォルテは楽しげに笑っている。
一生、分かり合えないな。俺は他人のためには動かない。
ウォルテの横顔を見つめる。彼女は、ただの偽善者ではないのだろう。それでも、俺は彼女を好きにはなれない。行動する覚悟があっても、実力がなければ意味などない。死んでしまえば、その行動には何の価値もないからだ。
「着いたわ。この屋敷よ」
「でかいな」
豪邸と呼ぶに相応しい屋敷だ。白塗りの壁に水色の屋根。庭には青い薔薇。そして、謎の石像。
何だあの石像は。棒をひねりました、みたいな石像。あれが芸術なのか。
「中に入りましょう」
「無駄に長い階段だな」
階段を登って、屋敷の中へ入る。執事服の男性が礼をした。
「ウィル。彼を空き部屋へ案内して」
「かしこまりました」
執事服の老年の男性の後ろをついていく。これまた、無駄に長い廊下を歩き、奥の部屋に案内された。
「こちらでございます」
「ありがとう」
部屋の中もこれまた広い。シャンデリアに、触り心地の良い白い絨毯。
「天蓋付きのベッドか。初めて見た」
やたらとファンシーな部屋なのは、ウォルテの趣味だろうか。
ベッドの上に座ると、睡魔に襲われた。
まずいな。これは眠ってしまいそうだ。
瞼から力が抜けていく。意識が落ちそうだ。
ああ、これは……
頭が揺れるような感覚がする。
「おい、起きろよ!」
これは……夢か。
緑の草原が広がっている。隣には幼なじみのレオンが座っていた。
黒髪が風になびいている。優しい緑の瞳が俺を見ていた。これは、俺がまだ6歳くらいの頃の夢だ。
ああ。最悪だ。こんな夢、見たくない。
「なあ、お前の夢ってなんだ?」
懐かしい。
「俺はな。世界一の医者になるんだ!」
そうだな。お前なら、どんな夢でも叶えられる。
「お前は騎士とかどうだ? みんなを守る騎士だ」
無理だ。俺はもう、誰かの為に戦うなんて……
「お前は強いし、優しい」
そんな訳ないだろ。
「きっと、世界一すごい騎士になれる」
ごめんな、レオン……
「なあ、ノクス。お前は、誰よりも優しいやつだよ」




