第14話「マネージャー」
楽屋のドアが、静かに閉まる音。
みらいが挨拶をして帰っていったあと、少しだけ空気が落ち着いた。
ひなたは、椅子に腰を下ろしたまま、小さく息を吐く。
振袖を脱いで、肩の力がようやく抜けたところだった。
そのとき、ノックも控えめに、楽屋のドアが開く。
入ってきたのは、一人の女性。
後ろでひとつに束ねた黒髪。
グレーのパンツスーツに、黒縁のメガネ。
華やかさとは無縁の、地味な装い。
でも、その立ち方には、現場に慣れた落ち着きがあった。
朝倉ひなたのマネージャー、大橋 希望 (のぞみ)。
「お疲れさまでした」
淡々とした声。
でも、その声色に、ひなたは少しだけ安心する。
「今日の撮影、良かったです」
希望は、手元のファイルを閉じながら言った。
「立ち姿も安定していましたし」
「中村さんに撮って出しを見せてもらいましたが、表情もいいところ、ちゃんと押さえられていました」
中村さんとは、今日の担当カメラマン。
事務所とも付き合いの長い、信頼できる人物だ。
「あと……」
希望は、少しだけ言葉を選ぶ間を置く。
「一緒に撮った星野さん」
「あまりこういう場には慣れてなさそうでしたが」
「それでも、ちゃんとフォローできていたと思います」
「無理に前に出すぎず、相手を立てていました」
「ペア撮影として、いい距離感でした」
「……ありがとうございます」
ひなたは、素直にそう答えた。
褒められて嬉しい、という気持ちと同時に、
胸の奥で、ほっとする感覚が広がる。
希望は、ひなたが事務所に入ったときからの担当マネージャーだった。
まだ16歳。
右も左も分からず、 「可愛い」だけでは通用しない世界に放り込まれた頃。
最初は、叱られてばかりだった。
カメラの前での表情。
挨拶の仕方、言葉の選び方。
大人ばかりの現場で、どう振る舞うべきか。
仕事のことも、人としてのことも。
ほとんどすべてを、希望から教わった。
マネージャー、というより。
どちらかといえば、師匠に近い存在だった。
「……星野さん」
ひなたは、ふと思ったことを口にする。
「すごく、ひたむきな感じで」
「なんだか、こっちまで元気をもらえるというか」
希望は、黙って聞いている。
「自分が、お仕事を始めた頃を思い出す感じで」
「また、一緒にお仕事できたらいいな、って思いました」
一瞬だけ、希望の視線がひなたに向く。
「よかったです」
それだけ言って、小さくうなずいた。
「たぶん、また機会はあると思いますよ」
「今日の現場の空気も、悪くなかったですし」
淡々とした言葉。
でも、その中には、ちゃんと現場を見ている人の判断があった。
「それじゃ……」
希望は、スケジュール表に指を落とす。
「明日のカタログ撮影」
「スタジオには、10時入りでお願いします」
「はい」
「わかりました」
「今日は、もう上がって大丈夫です」
「お疲れさまでした」
「ありがとうございます」
ひなたは立ち上がり、軽く頭を下げて楽屋を出ていく。
ドアが閉まったあと、楽屋には、再び静けさが戻った。
希望は、手元のファイルを開き直す。
そこに挟まっていた、今日の撮影の香盤表。
ひとつの名前に、視線が止まる。
『Atelier Étoile 星野みらい』
「……Atelier Étoile」
小さく、声に出す。
「森下さん、と……ひかり、か」
その名前を、ゆっくり心の中でなぞる。
少しの沈黙。
希望は、ファイルを閉じ、立ち上がった。
楽屋の外へ向かいながら、その表情は、相変わらず淡々としていた。
けれど、胸の奥では。
今日の現場が、ただの一日ではなかったことを、静かに理解していた。




