表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

〜前世社畜の観察眼と交渉術で悪徳貴族を返り討ちにし、ついでに隣国将軍に溺愛されながらやり直す物語〜

作者: 結城斎太郎

 気づいたのは、冷たい水を浴びせられた瞬間だった。


「起きろよ、役立たず。朝食の準備もできてねぇのか」


 聞き覚えのある、最低最悪の男の声。目を開けると、そこには私の“夫”──レノルト男爵がいた。脂ぎった髪、見下した瞳、そして拳を振り上げる癖まで、ゲームの立ち絵そのままだ。


 ……ああ、本当に転生したんだ。


 だけど私はヒロインでも悪役令嬢でもなく、「悪役令嬢の娘の母」というモブ中のモブ。原作でも数行しか語られず、娘は悪役に仕立てられた挙げ句、処刑ルート一直線。そして私はその前に過労死みたいな扱いで退場する。


 前世の記憶が一気に蘇るに従い、胃の奥が冷たくなった。


 でも同時に、脳裏に浮かんだのは──前世で心から大切に思っていた「妹のような後輩」の顔。

 泣きながら「先輩みたいに強く生きたいです」と言っていたあの子。


(強く……か)


 私は一度深呼吸し、濡れた髪を払って立ち上がった。


「レノルト様。申し訳ありません、すぐに支度いたします」


「最初からそう言えばいいんだよ。ほんと怠け者は嫌になるぜ」


 男爵は唾を吐くように言い残し、部屋を出ていった。


 私は、ゆっくり拳を握った。


(あんたらの天下は、今日で終わりよ)


 まだ弱い、まだ逃げられない。だが、今日から逆転の準備を始める。


 ――私には、二度目の人生があるのだから。


 ◆


「……ママ……?」


 か細い声が聞こえ、振り向けば幼い娘がドアの隙間から覗いていた。まだ六歳のリリア。金の髪に淡い桃色の瞳──将来、嫉妬されるほど美しくなる子だ。


 しかし今は、怯えた小動物のように私を見ている。


(この子を、絶対に処刑させたりしない)


 心の奥底から強く思った。


「リリア、おいで。抱っこしてあげる」


「……ママ、今日は痛くない……?」


 この言葉が、胸に突き刺さる。


「大丈夫。もうママは、ずっと大丈夫よ」


 嘘じゃない。大丈夫に“する”。

 そのために、まず最初の一歩──夫と義家族の財産管理の穴を見つけることから始めた。


 前世で私は長年、ブラック企業の総務として働いていた。経理も法務も雑務も、すべて押しつけられたおかげで異様に詳しい。


(ふふ……この世界の帳簿は甘いのよ。逃げ道はいくらでもある)


 私は密かに“家の支出一覧”を作り始めた。男爵家は見栄を張って浪費がひどい。そこに付け込めば、いずれ奴らは自滅する。


「ママ、これ……お花」


 リリアが庭で摘んだ花を差し出す。小さな手には泥がついていて、でも花はまっすぐに私へ向けられていた。


「ありがとう。ママの宝物よ」


 ほろりと涙がこぼれそうになった。


(絶対に、この子を幸せにする)


 だからこそ、これから始めるのは“逃亡”ではない。


 ──徹底した“計画的復讐”だ。


 ◆二週間後


「なんだこれは!?」


 レノルト男爵が怒鳴り声をあげた。私は淡々と答える。


「今月の支出報告書です。赤字の原因を明確にするため、まとめました」


「余計なことを!」


 怒鳴りながらも、男爵は書類を奪い取った。そして、そこに記された“無駄遣いの数字”を見て青ざめた。


「……こんなに?」


「ええ。いずれ領地経営に支障が出ます。改善計画を立てるべきかと」


 しばらく沈黙。


 男爵は小さく舌打ちした。


「お前……たまには使えるじゃねーか」


(はい、尻尾を掴んだ)


 男爵は金にしか興味がない。その金が危険だと思わせれば、私は“必要”になる。必要になるほど、油断が生まれる。


 その油断を……私が利用する。


 ◆その夜


 屋敷の外に、黒い兵服が見えた。胸元には隣国の紋章。彼らは“王国の監査官”を装い、密かに問題のある領地を調査している軍人──原作での脇役たちだ。


 そしてその先頭には、原作では数ページしか出ないはずの人物がいた。


 鋼のような銀髪、凛々しい青い瞳。


 隣国第一将軍、ゼクリス・ヴァルハイト。


(なんで将軍本人がこんな僻地に……? 原作と違う)


 ゼクリスは屋敷を見上げ、ふと視線が私に止まった。


 冷たい夜風が吹く。


 その瞳が──なぜか、驚きと、優しさを宿して揺れた。


「……君、怪我は?」


 初対面のはずなのに、彼は迷いなく私に歩み寄ってきた。


「え……あの……」


「怯えなくていい。俺は敵じゃない。むしろ……君を助けに来た側だ」


 その言葉に、胸が熱くなる。


(助け……? どうして私を……)


 ゼクリスは少し口を濁した。


「実は……君を見てから、ずっと胸騒ぎがしていた。理由はまだ説明できないが……」


 私の手をそっと握り、真剣に言った。


「君と娘を、守らせてほしい」


 あまりに突然の申し出に、返事が喉につかえた。


(この人なら……信じてもいいの?)


 私の心が揺れたその瞬間──屋敷の扉が勢いよく開いた。


「おい! 何をしている!」


 レノルト男爵が、顔を真っ赤にして怒鳴り出した。


 その次に起きたのは、原作にはない──完全に予想外の展開だった。


 ゼクリスが、私の肩を抱き寄せ、男爵を鋭く睨みつけたのだ。


「その女は俺が守る。手を出すな」


 屋敷中が静まり返る。


 その瞬間、私は悟った。


(ああ……この人生、完全に書き換わったんだ)


 そして、胸の奥底にしまっていた“本当の願い”が、初めて形を持った。


──娘と私が笑って暮らせる未来を、自分の手で掴みたい。


 これはそのための、第一歩だった。



ーーーー



 「……行くぞ。君と娘を安全な場所へ」


 ゼクリス将軍はそう告げると、私の手を優しく引いた。


「待てよ! 俺の妻を勝手に連れて行くな!」


 レノルト男爵が怒号をあげる。だがゼクリスは振り向き、淡々と告げた。


「“妻”を所有物のように扱うのは、この国だけの悪習か?」


「な……!」


「俺の国では、伴侶は守るべき対等な存在だ。暴言や暴力で傷つければ、たとえ貴族でも牢獄行きになる」


 屋敷の者たちがざわつく。


 レノルトは顔を真っ青にした。


 私は初めて知った。

 隣国は女性と子どもの権利を守る国。だからゼクリスの言葉は“本気”だ。


「我々は監査官だ。男爵、お前の横領と虐待はすでに調査済みだ」


「っ……!」


「国境を越えた援助金を私物化した罪は重い。覚悟しておけ」


 レノルトが震えた瞬間、私はようやく長年の呪縛から解放された気がした。


「ママ……?」


 リリアが私のスカートを握る。私は膝をつき、ぎゅっと娘を抱きしめた。


「もう大丈夫よ。怖い思いは、今日で終わり」


「ほんと……?」


「ほんと」


 私の声が震えると、ゼクリスがそっと肩に手を置いた。


「行こう。二人を守る場所へ」


 私は頷いた。



 隣国の領地にあるゼクリスの別邸は、驚くほど広く、そして暖かかった。

 リリアはすぐに庭に咲く花々に夢中になり、笑顔を取り戻していった。


 その姿を見るたびに、胸がじんわり熱くなる。


(このまま……ここで暮らせたら)


 そんな淡い希望が芽生え始めたある日。


「君、少しよろしいか」


 ゼクリスが私を呼び止めた。二人きりで話すのは久しぶりだ。


「君が夫にされた暴力や搾取の証言が揃えば、男爵家の財産は没収される。そのうち三割は“被害者支援金”として支払われるはずだ」


「そ、そんな……!」


 あまりに急展開で、目を見開く。


「驚くのも無理はない。だが、これは当然の権利だ。君と娘はここからやり直せる」


 視線を落とすと、彼の大きな手がそっと重ねられた。


「……だが、できれば“この国で”やり直してほしい。俺の近くで」


 心臓が跳ねた。


「な、なぜ私なんか……」


「“なんか”じゃない」


 ゼクリスはまっすぐに言い切った。


「初めて出会ったとき、君の目はひどく怯えていた。それでも娘を守るために立っていた。あの強さに……俺は惚れた」


「っ……」


 胸が熱くて、言葉が出ない。


「君に無理をさせる気はない。だが……できれば、俺に君と娘の人生を支える役目をさせてくれないか」


 真っ直ぐな告白に、喉がきゅっと締まる。


(こんなふうに、大事に扱われたことなんて……)


 答えられずにいると、奥でリリアが花の冠を持って走り寄ってきた。


「ママ! ゼクリスおじさんにもあげる!」


 ゼクリスが少し驚き、優しく受け取る。


「ありがとう、リリア。……おじさん、なんて優しい響きだな」


 リリアが無邪気に笑う。


「ママのこと、いっぱい守ってくれるいい人だよ!」


 私は思わず赤面してしまった。


 ゼクリスは少し照れながら、私の手をとる。


「リリアの言うとおりだ。これからずっと……守りたい」


 その言葉が、胸の奥まで染み込んだ。


 私はようやく、答えを絞り出した。


「……はい。お願いします」


 ゼクリスが安堵の息を漏らし、微笑んだ。


「ありがとう」


 その瞬間、庭に柔らかな風が吹いた。

 リリアの笑顔、ゼクリスの手の温もり、満開の花の香り。


(ああ……幸せって、こんなにあったかいんだ)


 私はようやく、一歩を踏み出せた気がした。



 後日、レノルト男爵と義家族は全員逮捕され、財産は没収。

 私は正式に離縁となり、支援金と一部領地の管理権を得た。


 ゼクリスはそれを聞き、私の前で息をついた。


「これで、君とリリアの未来は守られた」


「ええ。でも……一つだけ、伝えたいことがあります」


 私の言葉に、ゼクリスが目を細める。


「私は……あなたと一緒に未来を作りたい」


 顔が熱くなる。でも、逃げなかった。


 ゼクリスはゆっくり手を伸ばし、私を抱き寄せた。


「その言葉が聞きたかった。……大切にする。娘ごと愛そう」


 胸が熱く、涙があふれた。


 リリアが後ろから抱きついてくる。


「ママ、わたしたち、もう幸せになれるね!」


「ええ、リリア。これからずっとよ」


 新しい人生が、確かに始まった。


 ――圧倒的なモブだったはずの私が、娘と共に未来を掴む物語は、ここから本当の意味で動き出したのだった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ