45.不明者の正体
裁判から数日後、エリス姿のアイリーンは側妃に呼ばれて西宮を訪れた。
応接室に案内され入ると側妃がソファに座っており、その後でカインが立っていた。
「側妃様にエリシアがご挨拶申し上げます」
エリス姿のアイリーンは丁寧にお辞儀をした。
「エリシア、そんな他人行儀なことはしなくていいわ。それに二人の時は叔母と呼んでいいのよ」
「…はい、叔母様」
エリス姿のアイリーンは側妃の向かいに座り、側妃の後ろにいるカインをチラリと見た。
カインは静かに深々と頭を下げた。
側妃がそれに気付いて言った。
「カインがあなたに謝りたいそうなの」
カインはエリス姿のアイリーンの側に行き跪いた。
「妹マーガレットの聖女様に対する数々の無礼、変わってお詫び申し上げます。詫びて済む問題ではないことは重々承知ですが、わたしには今これしかできません。本当に申し訳ありません」
カインは床に頭をつけた。
「カインはね、護衛騎士も辞めると言ったの。でも、ウォール侯爵家は十年の領地没収で、収入源を絶たれてしまったでしょう。カインが辞めれば侯爵家は路頭に迷ってしまうので、わたくしが止めたの。それにカインはとてもいい子、わたくしの護衛はカインでなければならないの。わかってね、エリシア」
エリス姿のアイリーンは頷いた。そしてカインに頭を上げるように言った。
「マーガレット嬢の罪はあなたの罪ではありません。二度とこんな事件が起きないようにすることが事件に関わった者の使命です。叔母様をしっかりと守ってください」
「ありがとうございます…」
カインは涙ぐみながら言った。カインは立ち上がり側妃の後ろに戻った。
「今日、来てもらったのはお願いがあってね。あなたしかできないことなの」
側妃は悲壮な顔で言った。
側妃の友人がずっと目を覚まさないらしい。流動食を流し込んでなんとか栄養を補給しているものの、命が尽きるまで時間の問題だと医師に言われているそうだ。
「わたしにお役に立てるかどうかはわかりませんが、一度そのご友人を訪ねてみます」
エリス姿のアイリーンがそう言うと、カインが深々と頭を下げてお礼を言った。
「聖女様、ありがとうございます」
なぜカインが礼を述べるのかとエリス姿のアイリーンが目を丸くしていると、側妃がカインを見て頷いてから話した。
「その友人とはカインのお母様なのよ。カインはずっとあなたにお願いしたかったようなの。でも一度失敗した上に妹君のこともあったでしょう。言えなかったようなの。わたくしも体調を崩しているとは聞いていたけど、侯爵からは大事ないと聞いていたので、ここまで深刻とは知らなかったのよ。裁判後にカインから聞いて知ったの」
エリス姿のアイリーンはカインからデートの誘いを受けたときのことを思い出した。
「あのときのお願いとはこのことだったのですね」
エリス姿のアイリーンはカインに向かって言った。
カインは頷きあのときの非礼も謝った。
あのときのアイリーンはまだ何も知らず、力が使えなかったのでお願いされても困っていただろう。
「急を要しますね。明日の朝、侯爵邸にお伺いしてもよろしいかしら?」
「ありがとうございます。ぜひお願いします。明日の朝離宮にお迎えにあがります」
カインは深々と長い間頭を下げた。
次の日の朝、カインがエリス姿のアイリーンを馬車で迎えに来た。
アイリーンは一睡もしていないので、カインに心配されるほど、目の下の隈が酷かった。
「大丈夫です。少し眠れば問題ありませんから。侯爵邸に着くまで眠ってもよろしいかしら?」
「侯爵邸までは半時もかかりませんが、着いたら起こしますのでどうぞ眠ってください」
カインがそう言うとアイリーンは頷いてすぐに眠った。
アイリーンが眠ると同時にエリスの意識が出てきたが、エリスは侯爵邸に着くまで眠った振りをした。
侯爵邸に着くとすぐ夫人の寝室へ案内された。
ウォール侯爵は領地没収の件で忙しく留守にしていた。
夫人は痩せ細り、脈も弱っていた。
エリスは夫人の手を握り祈った。
エリスから淡い光が放出され夫人を包み込んだ。かなり衰弱していたので時間をかけて治癒した。
エリスは治癒が終わると近くにいたカインに言った。
「身体の方はしばらく心配いりません。でもこのまま意識が戻らないとまた衰弱してしまいます。意識の方はわたしでは無理なようです。王妃様や王太子殿下のときも、わたしは毒気を抜いただけで、意識が戻るのに十日ほどかかっていました」
「そうですか…命を繋いでいただいただけでも助かりました。ありがとうございます」
カインがお礼を言っている間にアイリーンが目覚め、エリスの意識が沈んだ。
アイリーンはしばらくぼーっとしていた。
「聖女様?」
カインが声をかけた。
アイリーンは瞬きをし、周りを見渡した。
ベッドに横たわるウォール侯爵夫人が目に入った。痩せてはいるが顔色は良さそうだ。
無事治癒は済んだのだと思った。
「意識が戻らなければまた来ていただけますか?」
アイリーンはカインの言葉でまだ夫人の意識は戻っていないのだと知った。
「はい、わかりました」
エリス姿のアイリーンは返事をしながら夫人を見ると、夫人の腕が布団から出たままだったので布団の中に入れてあげようと触れたとき、右手小指の爪が他の指の爪に比べて短いことに気付いてしばらく見ていた。
「その爪気になりますか?母は不安になると小指の爪をかじる癖がこどものときからあるようです。意識がなくなる前は挙動不審になるほど不安なことがあったようで、爪がほとんど削られていました。眠っている間に伸びた方です」
アイリーンはアイリーン姿の不明者が同じ癖を持っていることを思い出した。
「失礼ですが、侯爵夫人はいつから意識不明になられたのですか?」
「…バクルー公爵令嬢の処刑の日から。あの日母は見に行っていたんです。青ざめた表情でふらつきながら。わたしは止めたのですが、どうしても行くと聞かなくて。周りの人の話では雷が落ちてみんな倒れたあと、母だけが起きなかったと」
エリス姿のアイリーンは大きく息を吸いながら目を閉じた。




