32.紙切れ
エリス姿のアイリーンはケースの中の紙切れを手に取って広げて見た。
「これは……」
その紙切れは毒薬混入事件の指示書のようだった。
「王妃、王太子は談話室 聖女、公爵令嬢もすぐ向かう 行動起こせ アーサーには飲ませぬように M」
“M”とはマーガレットのことだとアイリーンは思った。マーガレットがキャサリンに向けて出した指示書に間違いないだろう。
アイリーンはその紙切れを再びケースに戻し鍵をかけた。ケースはクローゼットの奥に、鍵はドレッサーの引き出しを抜いた奥に隠した。
「エリス様が庇っていたのは王子殿下だったのね……確かにあれだけ見ると殿下が関わっているように感じるわね」
アイリーンはあの事件の日の経緯を頭の中で想像してみた。
エドワードはアイリーンとのダンスが終わるとそのまま大広間を出ていき、談話室に入った。
出て行くエドワードを見ていた王妃は、いつまで経っても帰ってこないエドワードを探して談話室で見つけ、小言を言っていた。
モントロール公爵に言われて王太子たちの命を奪う機会を狙っていたマーガレットは王妃と王太子が談話室にいることを知り、侍女に談話室で王妃が呼んでいるとアイリーンとエリスに伝えるように言付けた。
そして指示書を書き、誰にも見られないようにキャサリンに手渡した。
キャサリンはお茶を準備してワゴンで運んでいた。お茶にはすでに毒が混入されていた。
談話室近くまで来るとアーサーに呼び止められ、仕方なくワゴンを渡した。
キャサリンはアーサーに危害が及ばないよう、部屋へ入る前に呼び止めようと隠れて見ていた。
談話室の前でエリスとアーサーとアイリーンが鉢合わせ、アーサーはエリスを連れて行き、アイリーンがお茶を談話室に運んだ。
アイリーンがお茶を注ぎ、そのお茶を王妃と王太子が飲み、そして事件が起こってしまった。
キャサリンは衛兵が談話室に飛び込み、人を呼び、王妃と王太子が意識がなく担架で運ばれて行く姿を見届けると、慌てて逃げた。そのとき指示書を落とし、それをエリスが拾った。
エリスはアーサーに疑惑がかかるのを恐れ、単独で“M”なる人物を探そうとしたが見つけられず、アイリーンの処刑が早々と決まってしまった。
「こんなところでほぼ間違いないですわね。さて、毒薬混入事件の全貌がほぼ明らかになりつつあるものの、首謀者がまだ断定できないでいるわ……とりあえず、側妃様に会わなければならないわね」
アイリーンはアーサーが言っていた側妃様のことを思い出していた。
アイリーンはこどもの頃からエドワードの婚約者として王宮によく出入りしていたが、アーサーにあっても側妃に会うことはほとんどなかった。
極稀に王宮の廊下ですれ違うことがあっても、挨拶が終わると何も言わずすぐに立ち去ってしまわれた。
ウォール侯爵子息のカインも同じようなことを言っていたことを思い出した。あまり表には出ず、お茶会も自室で仲の良い方だけでしていると。
アーサーが言っていることは嘘ではないことがわかる。おそらくアーサーも側妃も事件には関与していないだろう。
アイリーンは久しぶりにスッキリした気分で眠りについた。
翌朝、エリス姿のアイリーンが朝食を取るため食堂に向かっていると、侍女が手紙を言付かったと持ってきた。
エリス姿のアイリーンは侍女から手紙を受け取ると、アイリーンはどうしているか訊ねた。
侍女は、アイリーンは相変わらず部屋にこもっていると答えた。少食ではあるが、とりあえず三食は食べているとも言っていた。
エリス姿のアイリーンは最近アイリーン姿の不明者に会っていなかった。
忙しかったということもあるが、誰だかわからない者を相手にする気になれなかった。
誰だかわからない者が、エドワードを思い、エドワードの名前を呼ぶことが許せず、優しくなれない気がしたからだ。
アイリーンは朝食を終えると自室に戻り手紙を見た。手紙はラジールからだった。
「やあ、愛しのエリス。昨日は会えなくてとても残念だったよ。毎日エリスに会いたいのに。さらにもっと残念な報告がある。エリスがこの手紙を読んでいる頃にはもう首都を出ているだろう。急用ができてすぐに国に帰らなければならなくなった。もちろんドーワも一緒だよ、俺の側近だからね。とても残念で寂しいよ。国王陛下には昨日挨拶は済ませた。また来るつもりだけど、エリスが追いかけてくれることを望んでいる……なんてね、冗談だよ。じゃあ、エリス、しばらく会えないけど、元気でね。俺がいない間に浮気しちゃだめだよ。愛しい愛しい俺のエリスへ ラジールより 追伸 ドーワが無理をしないようにだと」
エリス姿のアイリーンはラジールらしい手紙だなと微笑んだ。
エドワードも一緒に行ってしまったのは少し寂しい……いや、かなり寂しく感じた。
「いつ戻って来られるのかしら。昨日会いに行けば良かった……」
しばらく会えないと思うと胸が張り裂けそうに苦しかった。会いたくて本当に追いかけて行こうかとも思った。
「わたくしらしくない……わたくしらしくないけれどこの気持ちは……」
アイリーンはエドワードへの思いが何なのか、はっきりと自覚しはじめていた。




