20.聖女の顕現
エリス姿のアイリーンが目を開けると、男たちが全員倒れていた。
アイリーンを縛っていた縄も猿ぐつわも消えていた。破られたはずの服は元に戻っていた。
アイリーンは貨幣の入った皮袋を拾い、急いで宿に帰った。
(どういうことなの?服まで再生する力があるということ?では縄や猿ぐつわの布は?なぜ消えていたの?)
アイリーンは混乱していた。しかし聖女の力があればエドワードの怪我を治すことができる。
アイリーンは持っていたハンカチを破き、テーブルに置いて手を当て元に戻るように祈りながら集中してみた。
だが、ハンカチは元には戻らず、破れたままだ。
「わたくしにはやはり無理なのかしら?先程の出来事は幻……?」
国王に厨房経由で届いた手紙はエドワードからだった。
エドワードは崖から川の中に落ちた。かなりの高さがあったので落ちたときの衝撃で骨折や脳震とうを起こし、そのまま隣国に流された。
国境近くの村で助けられたが、意識不明の重体だった。それでもエドワードの日頃の鍛錬のおかげか命は繋がっていた。
エドワードの意識が戻ったのは崖から落ちて三日後だった。
意識は戻ったものの、身体中骨折や打撲やらで再び気を失うほどの痛みに襲われた。
村には医師もいないし、医療用具もなかった。
エドワードが手を動かせるようになるまで二十日以上かかった。世話になっている村人になんとか支えられ、国王宛に手紙を書いた。
「両陛下、ご心配おかけしていると思います。隣国の国境近くの村で助けられなんとか命は繋がっております。崖から川に落ちたらしく、動けるようになるまでどのくらいかかるかわかりません。もしかしたら一生動けないかもしれません。わたしのことは気にせず、国を、アーサーを支えてください。王宮内に裏切り者がいるようです。今は誰を信じて良いかわかりません。陛下、くれぐれもお気をつけください。最後に、アイリーンのことお願いします。 エドワード」
アイリーンはエドワードの手紙の内容を思い出し、絶対にエドワードを助けると固く誓い、一晩中何度も何度も破れたハンカチに手を当て集中した。
明けがた近くになったとき、アイリーンは精魂尽きベッドに倒れ込んだ。
そのとき、アイリーンの頭の中に言葉が飛び込んできた。
《聖女の力はエリスのものです。エリス自身でなければ発現しません。昨夜はエリスの身体を守るためにわたしが防御したのです》
「……それはあの暴漢に襲われかけたときのこと?……ではわたくしではエドワード様を治癒するのは無理だと……」
アイリーンの目から涙が溢れ出した。
ここまで堪え忍んだ思いが一気に壊れてしまった。アイリーンはベッドに顔を押し付けて咽び泣いた。
どのくらい経ったのか、アイリーンは泣く気力もなくなり、思考が停止した状態になった。
「アイリーン様」
エリスの声がした。
「アイリーン様、大丈夫です。わたしがついています」
いや、声がしたのではない、この身体がしゃべっているのだ。アイリーンはすがる思いでエリスに願った。
(エリス様、エドワード様を、エドワード様をどうか救ってください)
実はエリスの身体にはアイリーンとエリスの二人の意識が宿っていた。
アイリーンの意識が強過ぎたので、今までエリスの意識は深く沈んでいたのだ。
アイリーンの心がかなり衰弱し意識がほぼ途絶えかけたので、エリスの意識が顕現したのだった。
「アイリーン様の意識が強ければわたしの意識は深く沈んで力を使うことができません。力が必要なときわたしが顕現できるよう、アイリーン様の意識を弱められる方法を考えましょう」
(わかりましたわ、エリス様。ありがとうございます)
アイリーンは希望が見え元気が出た。アイリーンが前向きになったことによって、意識が強まり、またエリスの意識は沈んでしまった。
「エリス様?……どうすればいいのかしら……わたくしの意識を弱める方法なんて……」
窓から陽射しが差し込み、朝が来たのを告げた。
「とりあえずエドワード様のもとに向かいましょう」
アイリーンは自分とエリスに聞かせるようにそう言って宿を出た。
王家が発行した身分証明書のおかげで難なく国境検問所を通ることができた。
国境近くの村は、検問所のすぐ近くと、検問所より国境沿いに10Kmほど東に行ったところに小さな村があるとアイリーンは教えてもらっていた。
(検問所の近くの村は首都への通り道だから人通りも激しいし、兵士も多いはず……もう一つの村の可能性が高いわね)
エリス姿のアイリーンは馬に乗り、東の方向の村へ急いだ。
村への道は細く険しかった。おまけに雪が積もっていて道と斜面の区別がつかない場所が多々あり、何度か踏み外しそうになった。
峠を越えたところで村が見えてきた。
村の入り口の手前に川が流れていた。橋を渡れば村だ。
アイリーンは橋を渡りながら川上を見た。高くそびえる山々が威圧的に見えた。
(エドワード様はあの山からこの川に落ちて、ここまで流されて来たのですね)
アイリーンはそのエドワードの姿を想像をして身震いをした。
橋を渡り終えると馬から降り、畑仕事をしている村人に声をかけた。
「一か月ほど前、川から助けられた銀髪の男性をご存知ありませんか?」
村人は滅多に来ないよそ者に少し訝しげな顔をしたが、すぐに応えてくれた。
「その人ならあそこの林に入ったすぐのヨハンという爺さんのところにいる人だと思うよ」
「ありがとうございます」
エリス姿のアイリーンは頭を下げてお礼を言い、林に向かった。
林の入り口まで来ると家が見えた。家の外でヨハンらしき人が薪割りをしていた。




