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18.王太子の座

 エドワードが行方不明になってから一か月が過ぎた。

 エリス姿のアイリーンは王妃に呼ばれ、王妃専用の温室に来ていた。

 温室の中には誰もおらず、入り口で衛兵が番をしていた。

 エリス姿のアイリーンは温室の中を見てまわりながら、エドワードの行方不明の報告を聴いてからの、この一か月のことを振り返っていた。



 アイリーン姿のエリスらしき者には、エドワードが崖から落ちたことは言わず、ただ行方がわからないとだけ伝えた。

 それでもアイリーン姿のエリスらしき者は泣き暮らし、食事もあまり喉を通らず、弱っていった。

 エリス姿のアイリーンは、彼女の気持ちが痛いほどよくわかった。けれども自分の身体が弱っていくのを放っておくわけにはいかなかった。


「アイリーン様、そのようなことでは王太子殿下がお戻りになられたときには病気で亡くなっていますわよ。せっかく戻られても、アイリーン様の方が亡くなっていたんでは会えません!」


「でも……」


「『でも』ではありません!しっかりと食べて体力をつけてくださいませ」


 エリス姿のアイリーンは、喉を通りやすいように細かく切った食材を使うように侍女に指示した。それでも食べられないときはすり潰してスープに混ぜたりした。

 アイリーン自身も食欲が落ちたが、いざという時に動けないでいるのは情けないと自分自身に叱咤激励し、なんとか喉を通した。


 王宮では早くもアーサーを王太子にしようとする貴族が動き始めた。

 今までは水面下で動いていたアーサー派の貴族も堂々と表に出て来た。

 エドワード派の貴族は憤慨し、エドワードの遺体が見つかるまでは王太子はエドワードであると主張した。生死がわからないのに王太子の座から引きずり下ろすのは、王太子への冒涜、すなわち王家への冒涜、反逆だと訴えた。

 エドワード派とアーサー派の対立は日を追うごとに激化していった。

 当事者であるアーサーはそういう状況が我慢ならず、毎日離宮に来て隠れていた。


「どうして僕の周りのみんなは兄上がいなくなって喜んでいるんだ。そんなの人としておかしいだろう……兄上は生きている、絶対……」


 アーサーはエリス姿のアイリーンの部屋の隅で座り込んで毎回泣き言をはいた。


「殿下、殿下はエドワード様のたった一人の弟君です。王太子殿下がご不在の今、代わりを務めなけれなりません」


 エリス姿のアイリーンはアーサーの前に仁王立ちし、ピシャリと言った。


「僕に兄上の代わりが務まるはずがない。みんなわかっているはずなのに……」


「できないのではありません。やろうとしないだけです。こんなところに隠れてメソメソしている殿下は殿下らしくありません。今は王太子の代わりをするべきです」


「でも、今僕が出ていったらそれこそ王太子の座に祭り上げられかねない。僕は王太子にはなりたくないんだ!」


 アーサーは普段大人びていてもまだ15歳だ。

 エドワードのように幼い頃から国王になるための教育もあまり受けず、自由に育てられた。

 急に王太子の代わりをやれというのは酷な話だ。

 国王や王妃さえも憔悴して表に顔を出さず、エドワードがこなしていた執務も停滞して国政も乱れ始めていた。

 そのうえ、エドワード暗殺が誰の企みなのか、貴族間では大きな問題になっていた。

 国内の者なら反逆、隣国の者なら侵略疑惑、どちらにしても戦争になりかねない状況だった。


 

 アイリーンは決して涙を流さなかった。エドワードは必ず生きていると信じることにしたから。


(エドワード様、あなたがいないせいで、王宮はヒビだらけになっていますわよ。早く戻って来てください)


 アイリーンは温室に咲く赤いバラに触れた。少しボーとしていたせいか、棘に指が触れて血が滲んだ。血が滲んだ指を見ながらアイリーンは思い出していた。


 こどもの頃、エドワードがアイリーンのために赤いバラを素手で折ろうとして棘が手に刺さったことがあった。

 エドワードは泣きたいのに我慢して赤いバラをアイリーンに差し出した。

 アイリーンはエドワードの手の傷が気になって受け取れなかった。


 アイリーンはあのときのバラを受け取れば良かったと思ってバラを眺めていると、そこに国王現れた。


「国王陛下にエリスがご挨拶申し上げます」


 エリス姿のアイリーンはお辞儀をして終わると少し周りをみた。その様子に国王は気づいて言った。


「王妃は来ない。王妃の名で余が呼んだのだ。ここなら誰にも聞かれることはないからな」


「陛下がわたしを呼んだのですか?」


「うむ、聖女エリス、そなたに極秘で動いてもらいたいことができた」


「極秘に、わたしが……?」


 国王は封筒を取り出した。王族に渡すにしては、みすぼらしく見える封筒だ。


「今朝、これが届いた。届いた先は王宮の厨房だが、余宛だったので侍従長が届けてくれたのだ」


 国王はそう言って、エリス姿のアイリーンに手紙を渡した。


「わたしが拝見してもよろしいのですか?」


「うむ」


 アイリーンは恐る恐る中から手紙を取り出して広げた。

 少し読むと手紙を持つ手が震えた。胸の鼓動も激しくなった。

 最後の方は涙で字が読めなかった。

 国王はエリス姿のアイリーンが読み終わるのを待ってから言った。


「行ってくれるか?」


「はい、行かせていただきます」


 エリス姿のアイリーンは涙を指で拭き取りながら、しっかりとした口調で応えた。



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