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16.デートのお誘い

 ウォール侯爵家の舞踏会から三日が経った。エリス姿のアイリーンはカインの要求に応じるかまだ迷っていた。

 舞踏会の時に侍従が持ってきたワインの二つのうち一つには間違いなく毒が入っていた。

 アーサーがグラスを取ろうとして侍従が方向を変えたのをアイリーンは見ていた。おそらくアーサーに危害が及ばないよう指示されていたに違いない。

 もしアイリーンがワインに口をつけていたとしても、侍従一人の責任で肩をつけられていただろう。


(何にせよ、ウォール侯爵家が関与していることには間違いないわ。それでもカイン様と会う?危険だとわかっていても得られる情報が大きいかしら?)


 アイリーンはこんなときにエドワードがいてくれたら相談できるのにと思った。

 エドワードは一人で行動しないように言っていたので必ず反対するか、護衛をつけてくれただろう。


 侍女がドアをノックしてから声をかけてきた。


「聖女様、お客様がお見えです」 


(来てしまったわ。どうしましょう?)


 アイリーンは玄関ホールに向かった。カインが玄関の入り口で両手を後ろで組んで待っていた。


「やあ、聖女様。三日ぶりです」


 カインが握手をしようと手を伸ばしたが、エリス姿のアイリーンはスカートを持ち丁寧に挨拶をした。


「エリスがウォール侯爵子息カイン様にご挨拶申し上げます」


 カインは出した手を顔の前まで上げて左右に振った。


「そんな堅苦しい挨拶は必要ないですよ」


 エリス姿のアイリーンは目を合わせず、頭を少し下げて奥の応接室を案内しようとした。


「どうぞ、応接室へ」


 カインは動かず低い声で静かに言った。


「ここでは話ができないな」


 エリス姿のアイリーンが顔を上げカインを見ると、カインは片方の口角と眉をあげ、エリス姿のアイリーンに問うようにして顔を覗き込んだ。

 エリス姿のアイリーンはまた目を逸らし、応接室の方を向いた。


「……まだカイン様についていくか、決めかねておりますの。とりあえず応接室に」


「わかりました。とりあえず、ね」


 カインは愛想笑いをしてエリス姿のアイリーンについて行った。

 二人は応接室に入り、向かいあってソファに腰をおろした。エリス姿のアイリーンはどう切り出そうかと考えていた。


「何をそんなに悩んでいるのです?わたしと出掛ければ聖女様が知りたかったことがわかるというのに?」


「……カイン様と二人きりで出掛けるほど、わたしたちの間に信頼関係ができているとは思えませんの」


 アイリーンがそう言って横を向くと、カインは意外だとでも言うように目を見開いて言った。


「わたしが聖女様に危害を加えると?」


 アイリーンは少し考え、カインの方へ向き直って言った。


「……はっきり申し上げますとそうですわ」


 カインは驚いた顔をして見せたが、エリス姿のアイリーンが顔を背けたので、やれやれと言わんばかりに大きな声で笑った。


「仕方ありませんね、そう思われても。舞踏会で話したのが初めてだし、何一つ事件の真相が明るみになっていないしね」


 カインは急に真面目な顔して一息吐いた。


「わたしは時々、聖女様をお見かけしていましたよ。バクルー公爵令嬢にきつい言葉を吐かれても嫌な顔を一切せず、一生懸命マナーを学んでいた姿を。バロー男爵家という卑怯な手を使いましたが、ただあなたのことをもっと知りたいと思ったのです」


 アイリーンはカインに鋭い目つきで睨んだ。


「それなら初めから、そうおっしゃれば良かったのでは?」


「殿下お二人をはべらしている聖女様に、わたしなんかが普通にお声がけしても相手にされないと思ったのです」


 カインは少しおどけたように言った。アイリーンはカインの無神経な言い方に腹を立てた。


「まあ、はべらしているだなんて!」


 エリス姿のアイリーンの不快な顔にカインは慌てて言い直した。


「失礼しました。言い方を変えましょう。あなたをガッチリとお守りしている様子でしたので。特に第二王子殿下は」


 カインは真面目な顔で言った。アイリーンはカインの顔をじっと見ながら考えてから言った。


「……それではバロー男爵家のことは嘘だということですね?」


「いえ、バロー男爵家とは商売上で関係が深いのです。ウォール侯爵家がバロー男爵家に援助していると言えば正しいでしょうか」


 バロー男爵家はウォール侯爵家に頭が上がらないことを言いたいのかとアイリーンは思った。

 カインは続けた。


「今日はただ、聖女様とデートというものをしたかっただけですよ。ついでにバロー男爵家のことや令嬢のことをお話ししようかとは思っていました」


 カインのグレーの瞳が真っ直ぐにエリス姿のアイリーンを見つめる。その瞳に嘘はないように見えた。


「せっかく来ていただきましたが、今日のところはお引き取りください」


 エリス姿のアイリーンは立ち上がり、ドアの方に左手を差し示した。カインは残念そうな顔をして立ち上がり、ゆっくりドアに向かった。

 エリス姿のアイリーンが玄関まで見送ると、カインは名残惜しそうに立ち止まり、振り返って言った。


「今回のわたしのやり方は褒められるものではないことは重々承知しています。それについてはお詫び致します」


 カインは深く頭を下げた。その頭をゆっくりと持ち上げたときのカインは苦悩に満ちた顔をしていた。


「今はまだ話せませんが、本当は聖女様にお願いしたいことがあったのです。聖女様のお力をお借りしたいことがあるのです……」


 エリス姿のアイリーンは自分が聖女の力を使えないことを誰にも言っていないので、どう答えて良いかわからなかった。もし力を使えないことがばれてしまったら王宮に居られなくなり、アイリーン姿のエリスらしき者とも離れなければならなくなる。

 エリス姿のアイリーンはカインから目を逸らした。その様子を見てカインも視線を落とした。


「……では聖女様、失礼します」


 カインは肩を落として去って行った。アイリーンは玄関先でその後姿を見つめながら、申し訳ないような、ホッとしたような、何とも言えない感情が渦巻いていた。

 エリス姿のアイリーンが中へ入ろうとしたとき、


「エリス、何かあった?」


 突然、アーサーが声をかけてきた。エリス姿のアイリーンは少し驚いた。


「第二王子殿下にご挨拶申し上げます。殿下どうなさったのですか?」


「いや……今日ウォール侯爵子息と何か約束をしていたようだから、その……ちょっと様子を見に……」


 アーサーは俯き加減でしどろもどろ答えた。エリス姿のアイリーンは、最初から来て外から様子を伺っていたのであろうアーサーが愛しく感じ、顔を見て癒された。


「殿下、中に入ってお茶でも飲みませんか?」



今回から毎日投稿します。完結まであと33話です。

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