6. 王子の疑念
あれから魔女は眠り続けていて――少し心配になった俺は、ベッドに近づいて彼女の顔を覗きこんだ。
「息はしているようだな」
端正な顔立ちの彼女は、寝顔で更に美しく見えた。
(彼女の目的は一体なんなんだ…!)
縁談は父上からの提案だった。俺の仕事はそれに従うのみ。断ると言う選択肢は初めからなかった。
しかし、彼女はなかなか承諾せず、まずはその目でヴァルトリアを見たいと言った。
しかも、全てがうまく行きかけていると思った時、何の断りもないまま、逃げるように去ろうとした。なぜだ?
一つ疑い始めると、全てが怪しく思えた。
「なんとしても、生きてヴァルトリア城へ連れ戻せ」と言う父上の命令にも疑問を感じていた。
王がなぜ、たかが小国の姫一人にここまで執着するのか、その理由も聞かされぬまま、こうして彼女と謎の地へと飛ばされてしまった。
そんなことを頭の中でぐるぐると考えていると、彼女が目を覚ました。
「おい…」
顔色が紙のように白い。
「体調が優れぬのか?」
「大丈夫…です……。少し魔力を使いすぎただけなので、しばらく休めばすぐに元に戻るかと」
「とても大丈夫そうには見えないが。お前が倒れれば、俺もここに閉じ込められたままになる。そのことを忘れるな」
「そうなったら…私を城に連れ戻すという、あなたのお父様の命にも背くことになりますものね」
そう言うと、魔女は冗談っぽく口元を緩めた。
「そんな軽口をたたく余裕があるのなら大丈夫だな。さぁ、水でも飲んで休め」
俺はテーブルの水差しから少し水をくみ手渡した。
だが彼女は受け取ることを躊躇っているように見えた。
無理もない。少し前まで毒味をさせるほど態度の悪かった俺から、急に水を差し出されて訝しんでいるのであろう。
「いいから、早く飲め。毒など入っておらぬぞ」
魔女はまた微笑んで、俺の手から水を受け取り、口に運んだ。
「ありがとうございます。ところで…レオニス様、そろそろお腹が空いているんじゃありませんか?」
「まぁ…そうだな…。何か食べるか?」
起き上がるのもままならない体で、俺の食欲を気にするとは…
(彼女は本当に善意だけで行動しているのか?)
ゆっくりと時間をかけて、彼女が出したものは、一切れのパンだった。
これを出すのに、どれほど力を使ったのだろう。魔力のない俺にも、彼女が弱りきっていることがはっきりと分かった。
「どうぞ…」
彼女の細い腕が俺の方へと伸びる。
「いや…お前が食え。倒れられては困るのだから」
「では半分にいたしましょう。二人分出すのが難しいので…レオニス様には足りないかもしれませんが」
(…なぜだ?)
俺の脳裏に、混乱が走る。
(ここまで弱りきっているというのに…俺の心配などしている場合ではないだろう?
魔女というものは、もっと狡猾で、自己中心的な生き物だと思っていたのに……彼女はまるで違うではないか!)
「気にするな。では、半分頂こう」
パンを受け取ろうとしたとき、かすかに触れた彼女の手が異常に冷たいことに気がつく。
「…っ!なぜ、こんなになるまで何も言わぬのだ!」
俺は、思わず、声を荒らげていた。
父上が言っていた。『時として魔女は手段を選ばない。高い演技力をもって、人を陥れる』と。
そうだ…彼女はもしかすると、俺を油断させるために弱っている演技をしているのかもしれない。彼女の罠に嵌るわけにはいかない!
頭ではそう思っているはずなのに…なぜ!俺の心は…こんなにもざわつくのだ…?
俺は、咄嗟に彼女を抱えて、暖炉の前に連れて来た。
「レオニス様…」
俺の腕の中で、おとなしくする彼女の顔は、暖炉の火に照らされ、いつにも増して艶を帯びている。
(ダメだ…このまま彼女の顔を眺め続けていたら……何を信じればいいのか分からなくなってしまう…!)
彼女を暖炉の前に降ろして体を離そうとした時だった――
「レオニス様…どうかこのまま……このまま、お側にいてください」
弱々しい声と、今にでも折れてしまいそうな細い腕で、縋るように懇願する彼女の姿に、俺は胸を打たれる感覚を覚えた。