二人の距離
(どのくらいの時間が経っただろう…)
この世界には太陽が存在しないので、朝も夜もない。ただ、体が必要とするだけの眠りを終えて、私が目を覚ますと、レオニス様の姿はすでにベッドになかった。
彼は部屋の隅で、壁に背を預けて腕を組み、窓の外を眺めている。
私は小さくため息をつくと、空腹を満たすために魔法を使って、焼きたてのパンと水の入った水差しを二つずつ出現させた。
「レオニス様…パンを用意しました。一緒にいかがですか?」
そう声をかけると、彼はちらりと一瞥をくれただけで、返事はしなかった。代わりに顎でテーブルをしゃくってみせる。
それは「毒見をしろ」という、無言の命令だった。その態度に、私の中で何かがカチンと音を立てた。
(…分かったわ。そういう態度で来るなら、こっちにだって考えがある)
無言でパンを一つ手に取り、半分だけを食べると、残りをテーブルに置いた。そして自分の分の水差しだけを持って、部屋の反対側の隅に移動し、彼に背を向けて座り込んだ。
まるで、彼の真似をするかのように。
しばらくして、レオニス様が立ち上がる気配がした。
テーブルに残されたパンと水差しを手に取り、また元の場所に戻っていく。
結局、彼も空腹には勝てないのだ。
食欲以外にも最低限の生理現象は、この奇妙な世界でも容赦なく訪れた。
玄関のようなスペースの隣には、扉のついた小さな個室があり、そこは簡易のバスルームになっていた。
トイレのようなものと、お湯が出るシャワーのようなものがあり、私の魔法で常に使えるようになっていた。
そのため、用を足せば自動的に消滅するし、体を洗いたければお湯が出る仕組みだ。
レオニス様はその事実を知って、屈辱に顔を歪ませながらも、背に腹は代えられず、無言でその個室を使っていた。
そんな無言の攻防が、しばらく続いていた。
私が温かいスープを出すと、彼は頑なにすぐには口をつけず、私が食べ終わってしばらくしてから、冷めたスープを黙って食べた。
私が暖炉の近くで暖を取っていても、彼は凍えるように寒い窓辺から決して動こうとしなかった。
いつの間にか、だんだんと部屋の温度が下がっていくのを感じ、私は思わず自分の腕をさする。
魔法で出した毛布にくるまっているが、それでも芯から冷えるような寒さが這い上がってくる。
この世界に太陽が存在しないと言ったが、それは朝夕の区別がつかないというだけではなく、大地を温めるものがないということにもなる。
もちろん地中から湧き上がる熱も存在しない。
生命の温かみ自体が存在しないのだ。なので、そこにある暖炉の火だけが、唯一の熱源だった。
ふと、暖炉の方を見ると、レオニス様が薪をくべてくれていた。
彼もまた、この世界の異常な寒さに気づいているのだろう。部屋の隅に積まれていた予備の薪を、黙々と燃やしている。
そのおかげで、部屋はかろうじて暖かさを保っていた。
火が安定したのを見届けると、彼はまた部屋の隅に戻ろうとする。
その、広い背中に向かって、私は思わず声をかけていた。
「あの…」
彼はぴたりと足を止めた。
「レオニス様も、どうか火の近くで暖まりください。このままでは凍えてしまいます」
それは、意地でもプライドでもなく、この過酷な環境を共に生き延びるための、事実を告げる言葉だった。
彼は、しばらく何も言わずに、振り返らないまま、ただそこに立っていた。
そして一言、
「…余計な、お世話だ」と、小さな声で答えたが、元いた隅へは戻らず、暖炉から少し離れた壁際に腰を下ろした。直接的ではない、ほんのわずかな歩み寄り。
その小さな変化に、私の心も、少しだけ絆されてしまったのかもしれない。
「薪をくべてくださって、ありがとうございます。火傷はされませんでしたか?」
私が、燃え盛る火を心配してそう言うと、彼は
「子供扱いするな」と、短く返した。
そんなやり取りが、少しだけおかしくて。私は、ふふっ、と小さな笑みをこぼしてしまった。
「…何がおかしい?」
彼は少しだけ拗ねたような声で、私のほうに振り返った。
「いいえ、ただ、レオニス様も案外お可愛らしいところがおありなのだな、と思いましたので」
私は可笑しさをこらえながら答えた。
冷酷だと噂の王子が、実は意地っ張りで、不器用なところがあって、子どもっぽく拗ねるところがあるだなんて。
(きっと誰かに言っても信じてはもらえないわね)
私の言葉に、彼は何も言わなかった。ただ、暖炉の炎に照らされた、その美しい紫色の瞳が、まっすぐに、私を見つめ返していた。
(一体、彼は今、何を考えているの…彼の心が知りたい…)
しばらく見つめあっていると、急に恥ずかしさが込み上げてきた。
「ごめんなさい、疲れたので休みます…」
赤らんだ顔に気づかれないように、頭までスッポリ布団をかぶって隠れた。
(あのまま見つめあっていたら、どうなっていたのかしら…)
しかし、疲れているのは事実。今は考えることはやめて、眠りに落ちることにした。