王子の帰還と、父の罠
アランにアイリスを託し、俺は一人、夜陰に紛れてヴァルトリア城へと帰還した。
最後にこの城門をくぐったのは、アストライアの姫を捕らえるための駒として出陣した時。
今、俺が胸に抱くのは、全く逆の、姫を…アイリスを守り抜くという固い決意だ。
父、国王陛下への謁見は、すぐに叶えられた。
玉座の間に通された俺を待っていたのは、驚きでも、喜びでもなく、全てを見透かしたような父の冷たい視線だった。
「…戻ったか、レオニス」
「はい、陛下」
俺は片膝をつき、臣下の礼を取る。
だが、その瞳は、まっすぐに父の顔を見据えていた。
「して、アストライアの魔女はどうした。生け捕りにせよとの命令であったが」
「…逃げられました。私の力が及ばず、申し訳ありません」
生まれて初めて、俺は父に対して、明確な嘘をついた。
心臓が嫌な音を立てるが、表情には出さない。アイリスを匿う時間を、一秒でも稼がなければ。
父は、俺の嘘を意にも介さない様子で、玉座の上から俺を見下ろしている。
「そうか。…まあ、良い」
「…?」
「どちらにせよ、時間の問題であったからな」
父は、まるで詰みの見えた盤面を眺めるかのように、満足げに口の端を吊り上げた。
その時、玉座の間の扉が開き、一人の伝令兵が駆け込んできた。
「ご報告します!王都近郊の監視部隊より伝令!アストライアの姫と思われる人物を、古い修道院にて発見、保護いたしました!」
「…なっ!?」
俺は、思わず立ち上がっていた。
馬鹿な、アランがアイリスを連れて、まだ一刻も経っていないはずだ!
父王が、楽しそうに喉を鳴らした。
「ご苦労だったな、レオニス。お前が姫を追い立ててくれたおかげで、こちらの網にもかかりやすくなったというものだ」
罠。
最初から、俺の追跡すらも、父の描いた盤上の駒の一つに過ぎなかったのだ。
「陛下…!一体、何を…!」
「決まっておろう。ようやく手に入れたのだ。我が国の至宝を」
父は立ち上がると、高らかに宣言した。
「直ちに、アストライアの姫を『聖女』として丁重に城へお迎えしろ!そして、王子帰還の報せと共に、王国中に布告せよ!『我が息子レオニスが、神々の啓示を受け、国を救う聖女を連れ帰った』とな!」
俺は、そのあまりに狡猾な策略に、戦慄した。
アイリスを「魔女」ではなく「聖女」として祭り上げ、民衆の熱狂と信仰という、神聖な檻に閉じ込めるつもりだ。
俺は、父の本当の恐ろしさを、まだ何も理解していなかったのだ。
アイリスの仮説が真実かどうかを確かめる以前に、俺は彼女と、完全に引き裂かれてしまった。
玉座の間から下がる俺の背中に、父の満足げな声が突き刺さる。
その声は、もう俺の耳には届いていなかった。