奇跡の光
どれくらいの時間が経っただろうか。
ふと、アイリスは温かい光に包まれているのを感じた。
閉じていた瞼の裏が、ほんのりと明るい。
ゆっくりと目を開けると、信じられない光景が広がっていた。
コテージの窓の外。
今まで混沌とした灰色の靄しか存在しなかった世界に、地平線の彼方から、穏やかな朝焼けのような光が差し込んでいるのだ。
「…目が、覚めたか」
すぐそばから、優しい声がした。
見上げると、ベッドの脇で、レオニスが私の手を固く握りしめていた。その紫色の瞳には、深い安堵の色が浮かんでいる。
「レオニス…?外が…」
「ああ。君が眠っている間に、少しずつ…」
私は、レオニスの手を握り返しながら、脳裏に引っかかっていた、ある記憶の糸をたぐり寄せていた。
「…私が幼い頃、お祖母様から、古いおとぎ話を聞いたことがあります」
「おとぎ話?」
「ええ。『遠い昔、光の祝福を持つ姫君と、その力を守護する、獅子の心臓を持つ王子様がいました』…と」
私は、子供の頃に聞いた、寝物語を思い出しながら語る。
「そのお話では、姫君の祝福は、王子様が隣にいる時だけ、奇跡のような輝きを放ったそうです。王子の強い心が、姫君の優しい力を、何倍にもしたのだと。…当時は、ただの作り話だと思っていました。でも…」
私は、自分たちの身に起きたことを、そのおとぎ話に重ね合わせた。
「私の転移魔法が暴走したのは、あなたを巻き込んだ時。この世界が嵐になったのは、あなたの心が乱れた時。そして、この世界に光が生まれたのは、あなたの心が定まった時…!」
点と点が、線で繋がっていく。
「これは、もう仮説ではありません。きっと真実です。あのおとぎ話は、ヴァルトリアの王家と、アストライアの王家の、遠い昔の物語だったのです。あなたの血筋には、他者の魔力を無意識に『増幅』させたり、『安定』させたりする、獅子の心臓…その力が眠っているのです」
レオニスは、息を呑んだ。
おとぎ話だと思っていたものが、今、目の前で現実になっている。
「もし、そうなら…」
私は続ける。
「国王陛下の本当の狙いも、見えてきます。陛下は、ただ私の祝福の力が欲しかったのではない。あのおとぎ話を、伝説を、ご自身の力で再現し、私の祝福を支配し、増幅させることこそが、真の目的だったのです」
確かに、祝福の魔法単体では、一国の運命を左右するほどの威力は見込めない。だが、その力を何倍にも増幅できるのなら、話は全く別だ。
父君の強欲さも、常軌を逸した執着も、全てに辻褄が合う…。
全ての点が、恐ろしい真実の線で繋がった。
私たちは、この真偽を確かめなければならない。
レオニスは、私をまっすぐ見つめて呟いた。
「…アイリス」
嵐の夜、彼が私の名を叫んだ時とは違う。
それは、落ち着いた、それでいて確かな意志を宿した声だった。
彼が、私を本当の意味で「アイリス」として認めた、最初の響き。
「俺は、君に謝罪する資格すらない。だが、一つだけ、約束させてくれ」
彼は、自らの胸に固く拳を当てた。
それは、ヴァルトリアの騎士が、最も重い約束をする時の型だった。
「このレオニス・フォン・ヴァルトリアの名において、君の失われた自由と名誉を、必ず取り戻す。君を追われる『魔女』ではなく、アストライアの姫君として、いつでも胸を張って故郷へ帰れるように。…その道を、俺が必ず作る」
その紫色の瞳には、もう迷いはなかった。
揺ぎない決意と、誠実な光だけが宿っていた。
その言葉を受け、私は静かに、そしてはっきりと告げた。
「…信じます」
その一言だけで、十分だった。
レオニスは、私の答えを聞くと、その口元に微かな、本当に微かな笑みを浮かべた。
窓から差し込む光は、次第に強くなっていく。
それは、この閉鎖された世界にもうすぐ「本当の夜明け」が訪れること、そして、第一章の終わりが近いことを、静かに告げていた。
「行こう」
レオニスが私に手を伸ばし、私は迷いなく、その手を取った、その瞬間。
彼は、私の体を、ぐっと引き寄せた。
驚く間もなく、私は、彼の胸の中に、すっぽりと包まれていた。
服越しに伝わる、彼の確かなぬくもりが、不安だった私の心に、不思議なほどの安心感を与えてくれた。
レオニスは、そっと私を包み込み、囁いた。
「大丈夫、君のことは俺が守る!」
それは、私に、そして何より、彼自身に言い聞かせているようにも聞こえた。
これから始まる戦いの過酷さを、彼が一番、理解しているのだ。
私は、彼の背中に、そっと腕を回した。
「…ええ。信じてるわ」
しばらくして、名残惜しそうに体が離れる。
彼の顔には、もう迷いはなかった。
ただ、固い決意の光だけが宿っていた。
私たちは、もう何も言わずに、ただ、強く、頷き合った。
そして、最後の転移魔法を、唱え始めるーー。
行き先は彼の国、ヴァルトライア。
【第一章・混沌の箱庭 ~敵と味方の境界線~ Fin】