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恋は条項にありません!  作者: 遠野 文弓
第2章 家計と収入
9/21

9.晩酌

 晩酌をよくする。

 テレビはつけるが消音にして、代わりにオーディオをかける。つまみはチーズかナッツ類を少しだけ。

 だが、今日は違う。

 テーブルの上には配達してもらった魚介のパエリアが置いてある。


 そして、ウイスキー。


 魚介に合わないのはわかっている。セラーにはふさわしい酒がいくらでもある。アルバリーニョの白ワイン、軽めのカヴァ、辛口(フィノ)のシェリー。

 だが、今日はどうしてもウイスキーが飲みたかった。飲みたい酒を。どうせなら、目の冴えるものがよかった。


『待たせたな』


 スピーカー越しに、衝馬の声が聞こえてきた。


 あの日、思歩から婚前契約書がはじめて届いた日に連絡を取ってから、予定がない日曜の夕食時に繋いで雑談を挟むようになった。

 きっかけは衝馬の一言だった。


『そういやお前、どうせまた休日まともに食ってないだろ』


 またその話か、と顔をしかめてしまう。声だけでなければ見咎められたところだ。それにしても、図星を突かれると人はなぜ言い訳したくなるのか。


「そんなことない。みんなよく付き合ってくれるよ」


『そういう話じゃない。今日は一人だったんだろ。何食ったか言ってみろ』


 ウイスキーのグラスを傾けながら、過去を辿るように目を細める。

 何かを口にした覚えはなかった。胃にわずかな満足感があるから、何かは食べたのだろう。だが、それが何だったか思い出せない。


「忘れた」


『ほらな。どうせプロテインバーとかナッツとかだろ』


 記憶が一気に戻ってくる。

 ゴミ箱に捨てた個包装の袋が脳裏によみがえった。


「ああ、そういえばそうだった。よくわかったな」


『なんも変わってねえじゃねえか。……日曜だったら農場は人が引く。一人で食いそうなときは繋げよ。そん時に食べろ』


「はは。ありがたいね」


 そんな会話のあった週の日曜日だ。約束通り、衝馬は電話に応じた。

 それだけで、今日はちゃんとした夕食を摂ろうという気になった。


 誰かとの予定がないと、食べることを忘れてしまう。空腹に耐えられなくなったら食べるだろうと人は言う。そうだったらよかったな、とおれ自身も昔から思っている。

 結局、誰かと食事の予定を組むまでは、カロリーのある飲み物と間食で済ませてしまう。

 そんなおれの悪癖を、衝馬はよく知っている。


『そんな食い方してたら、逆に(ふと)るぞ』


「それは嫌だな。登れなくなる」


『好きだねえ。何ならこっち来いよ。登れそうな岩なんかいくらでもあるぜ』


「ロッククライミングもいいな」


 衝馬は例によって、マチャコスの農場にある休憩小屋から通話しているらしい。

 おれはしばらく衝馬の近況を聞いてから、話を切り出した。


「……会ってきたよ。思歩と」


『そうか』


 衝馬がぽつりとつぶやく。

 少し間を置いて、静かに笑うような声がした。その笑みは容易に想像できた。


『それで、受けるのか? 〈契約〉を』


「提案には乗った。受ける方向で話を進めるつもりではある。けど……」


 おれはウイスキーを一口飲んだ。

 アイリッシュの穏やかな香りが、パエリアの焦げた米の香ばしさを引き立てた。バーボンなら甘さが勝ちすぎるだろうと思ったのに、この一本は不思議なほど馴染んだ。


「彼女は、鷹津(うち)とうまくやっていけるだろうか。そういうの、まったく考えなかった。考慮するべきだったのに。……おまえにとっても無関係な話じゃないのにな。軽率だったかもしれない」


『軽率、ねえ。それを見極めるための精密調査(デューデリ)をこれからやるって話なんじゃないのか?』


 言いながら、笑っているのがわかった。どこか呆れたような笑いだった。


『ま、もう向き合うしかねえからな。ちゃんとやれよ。双方合意で結ばれる契約ってのは、それなりに美しいもんだ』

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