表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
恋は条項にありません!  作者: 遠野 文弓
第1章 総則
8/17

8.プレナップを届けた後

 ──さて、と。


 思歩(しほ)はタブレットを閉じ、カフェのソファ席にもたれかかった。


 昼下がりのカフェは、平日のわりに賑やかだった。通りに面した窓からは、まだ強い日差しが差し込んでいる。


 待ち合わせより少し早く着いたのをいいことに、ずっと編集を続けていた〈婚前契約書〉の文面を見直していた。


 先週、バーで時仁(ときひと)さんに草案を見せた。

 今朝、清書したPDFを送信して──これで、ひとまず準備は整った。


 おかしいな、軽く見直すつもりだったのに。


 思歩は苦笑しながら、ようやくタブレットから視線を切った。

 ちょうどそのタイミングで、扉のベルがからりと鳴る。

 振り返ると、昼休みを抜けてきた柊木(ひいらぎ)がこちらに手を振っていた。


 彼女は同じ事務所に勤める弁護士補助だ。

 思歩より一つ年上。しっかり者で、何より耳が早い。


「おつかれー。……って、なにそれ?」


 席につくなり、柊木はテーブル脇のタブレットを覗き込み、目を細めた。画面には、編集したばかりの契約書が映っている。


「契約書?」


「うん。婚前契約書(プレナップ)の草案」


 サラリと返すと、柊木がこちらを向いた。


「プレナップ!? えっ。マジ?」


「マジマジ。先方には直接交渉済み。……いやあ、緊張したなぁ」


 笑ってはみたが、昨夜のやり取りを思い出すと、手のひらにかすかに汗がにじむ気がした。


「直接交渉!? てか、え、えっ!? 結婚すんの?」


「したいね」


「したいの!? 相手だれ!? まさか社内の──」


「ちがうちがう。お兄ちゃんの友達」


「お兄ちゃんの友達! ちょうどいい距離感!」


 思歩は、ふっと息を抜いて笑った。

 ちょうどいい。──ほんとうに?

 近すぎず、遠すぎず、絶妙な隔たりがあるようにも思える。


 柊木は両手で頭を押さえながら呻いた。


「あ、ちょっと待って。テンパってきた……」


「揉めごとは先に契約で潰す。大人のたしなみってやつよね」


 口ではそう言いながら、思歩は心の中で付け加える。


 ――本当は、怖いだけかもしれない。


 最初に決めておけばいい。揉める前に、線を引いておけば。

 そう思っている時点で、かなり臆病だ。


「いやいやいや。もうちょいこう、恋愛っぽい手順踏もうよ。プロポーズとか、デートとかさ」


「んー、モデルプランを、お財布分担パターン別で三案出す予定だけど」


 仕事じゃないんだから、とつぶやいて柊木がメニューに顔を突っ伏す。


「うわ~……。ほんとに結婚するつもりじゃん……」


 彼女の声がこもって聞こえたあと、ひょこっと顔だけ持ち上げてこちらを見た。


「で? どんな人なの?」


 ふいに真面目な顔になるから困る。

 思歩は一瞬だけまばたきし、それからゆっくりと口を開いた。


「たまに抜けてるけど、なぜかちゃんとした人に見えちゃうんだよね」


「なるほどね。それって、好きじゃん?」


 ずばりと言われて、思歩は黙ったまま、紅茶のカップに触れた。


「……契約書って、いちばん誠実なラブレターじゃない?」


 その言葉に、柊木は一瞬ぽかんとして──次の瞬間、声を張り上げた。


「やっぱ好きなんじゃん!!」


「そういう話じゃないんだけどな」


 思歩はカップを持ち上げ、紅茶で口元をごまかした。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ