55.ドレッサー
日曜日。午前のうちに身支度を済ませて、思歩と一緒に近くの大型モールへ向かった。週末はどこも混むから、開店直後を狙う。人はまばらで、モールの中は空調の音さえ聞こえてきそうなほど静かだった。
大型家具が置いてあるエリアへ向かう。展示されているアイランドキッチンについ目が行き、無意識に二、三歩踏み出した。思歩はこちらに気が付かず、目的の場所へ真っすぐ進んでいこうする。
おれは再び彼女の後を追った。確かに、ドレッサーが先決だ。
……後で、ウィンドウショッピングにも付き合ってもらおう。
彼女は小さなドレッサーの前で足を止めた。ライトブラウン。鏡が畳めるようになっていて、ぱたんと閉めたらデスクにもなる。最近の家具は、こうして兼用できるものが多い。
――だいたい四、五万円かな。今の物価を考えると、六万円くらいにはなるか。
おれはドレッサーを持ち上げてみた。
「軽いな。引っ越すときも持っていきやすいね」
「引っ越すんですか?」
「今すぐではないけど、賃貸だからね。引っ越し前提だよ」
思歩は近くに置いてあるドレッサーの値札を一通り確認してから、ゆっくりとおれのほうを振り向いた。
「……あの。私がこういうの選ぶと、物足りないですか?」
思いがけない質問に、少し驚く。
「どういう意味?」
「ここにあるドレッサーは、どれもあなたの部屋には合わないかなと」
「ああ……」
そういうことか。思歩は、自分の好きなデザインを選ぶと部屋のトーンを壊すのではないかと気にしているらしい。そういう慎重さは彼女らしい。
「気にしないで。そこは、デザインで遊びにくいシックモダンで揃えたおれの落ち度だから」
木の家具を使ったナチュラル系だったら、そこから北欧、和モダン、カフェ風にも広げやすかっただろう。もう少し融通が利いたのにな。
「とにかく、君の好みに合って、長く使えそうなものを選んでほしいと思ってるよ」
「貴方はちょっと、優しすぎますね」
思歩はふっと笑って、髪を耳に掛けた。不意にくすぐったくなって、思わず口が動く。
「他も見てみようか? すぐそこにもう一軒あるし」
そう言って、何気なく手を差し伸べる。彼女は迷いもなくその手に触れた。
一瞬、理性が追いつかなかった。手のひらに載る温かさで我に返る。
「……行こうか」
軽く咳ばらいをして言うと、思歩はただ微笑んだ。
感情に一歩譲るのも、そう悪くはない。
店内に入ると、雰囲気ががらりと変わる。落ち着いた照明、洗練されたディスプレイ。
彼女が目に留めたのは、シックなドレッサーだった。
深みのあるダークブラウンの木肌。天板は艶を抑えたマット塗装で、陶器のように滑らかだ。金属パーツは指紋が目立たないヘアライン加工。全体的に重厚感があるが、細身のシルエットなので圧迫感はない。
――いいね。二十万前後ってところか。ラグを敷いて印象をまとめれば、今のテイストにも馴染むだろう。
これを機に家具の質感から組み替えるという手もあるが、思歩は首を横に振る気がする。
実際、彼女は恐る恐る値札を見ていた。
「……二十三万。ドレッサーで」
「まあ、妥当じゃないかなあ」
おれの金銭感覚がバグっているのではない。品質を見る限り、この値段には納得感がある。高くもないし、安くもない。現在の物価に対して、二十万円ほど出せばこれくらいの家具が買えるだろうという想定通り。
「これにする?」
「いえ、高すぎます」
「君が気に入ったならいいじゃないか。毎日使うものなんだから」
「確かに、すてきですけど」
「高すぎるというなら、生活費から引こうか? そうしたら共有財産になる」
「生活費はまだ合算していないじゃないですか。それに……」
思歩はそこで言葉を止めた。何を言いかけたのかはわかっていた。共有財産は、夫婦で協力して築き上げる財産のことだから。
愛しさのような、尊さのようなものがこみあげてくるのを感じながら、おれは思歩の言葉を継いだ。
「……じゃあ、結婚してから買う?」
彼女の頬にほんの少し、朱が差す。
「でも、それだと遅すぎるよ。おれが買って、君への婚前贈与にしよう。それなら問題ないだろ」
「結局おんなじじゃないですか」
「ああ、ばれたか」
そう言うと、思歩が声を立てて笑う。おれもつられて肩を揺らした。
――決まりだ。
「配達予定日は水曜だね。どっちが受け取る? おれも在宅できるけど……」
「いえ、私が。その日はリモートなので」
「じゃあ、お願いしよう」
まだ、共同生活に慣れたわけではない。それでも、心のどこかでは悟っていた。
もう、この人とは一緒に暮らしていくのだろうと。




