39.ふさわしい贈り物
せっかく思歩が試飲会に付き合ってくれるんだから、ひとつくらい贈り物をしなければ。
……と、いうのは建前。本当は、ただ渡したいだけだ。
しかし、何がいいだろう。
ネイビーのジャケットで来ると言っていたから、服装に馴染むシンプルなアクセサリーがいいだろうか。ティファニー、ミキモト、ブシュロン、ヴァンクリ……いろいろ候補はあるが。
視線が止まったのは、カルティエ。
まあ、うん。ここが一番いいか。
肩肘を張り過ぎない。デザインも価格も、いまの距離感にはちょうどいい。
問題は、何を贈るか。
ネックレス。もっとも目立つジュエリー。〈宣言〉の色が出すぎる。パートナーとして飾り立てるような、公に関係を示すような意味合いが滲んでしまう。
リング。難易度が高い。受け取る側の好みとズレやすい。何より、最初のプレゼントとしては重たすぎる。
……ブレスレットだな。
ほとんど心は決まってたが、その前に女性の意見を聞いておくことにする。
スマホを取り出し、連絡先の一覧から上の姉の名前をタップする。下の姉には「センスない」と一蹴されるのがオチだ。
「大したことじゃないんだけど。ちょっと相談に乗って」
開口一番そう告げると、受話口の向こうで短く笑い声が漏れた。
女性にアクセサリーを贈ろうと思っている、と伝えたあたりで、その笑いが明らかに含みを帯びたものに変わった。
『へえ。なるほどねえ? やっとそういう気になったの?』
「からかうなよ。いちおう真面目な話なんだから」
『はいはい。で、何にするか決めたの?』
「カルティエのブレスレット。シンプルでいいと思うんだけど」
メッセージアプリでURLを共有する。受話口の向こうで小さく笑う気配がし、次に口を開いた姉はあっさりと告げた。
『悪くないけど。ちょっと安すぎない?』
「ええ……?」
思わず声が出た。
うそだろ。金銭感覚どうなってんだよ。
「値段ちゃんと見た?」
『見たわよ』
姉は平然と〝六桁〟の金額を述べる。合っている。
「安くはないだろ。……ないよね?」
『まあ、ね。安いは言いすぎたわ。でも、そうねえ。気持ちを伝えるにはお可愛いわねってことよ。もう少し上を狙ってもいいんじゃない?』
「上……?」
やっぱりよくわからない。金額が高いほど誠意が見せられるって発想か?
「初めてのプレゼントなんだから、高いと重すぎるだろ」
『でも、それカルティエだと定番よ? お相手はもう持ってそうじゃない?』
「そんなことないと思うけど……」
4℃やスタージュエリーあたりの価格帯なら、言わんとすることはまだわかる。しかし、カルティエだと話は変わる。耳馴染みこそあるが、金額的にはそこまで気軽なブランドではない。
それに、仮にこのブレスレットを持ってたらデートで一回はつけてきそうなものだ。それくらい使い勝手のいいシンプルなデザインだから。
「じゃあ、どんなものならいいわけ?」
試しに訊ねると、姉は即答した。
『そうねえ。〈アルハンブラ〉のネックレスはどうかしら。見栄えがいいし、ひとつあると嬉しいもの』
「は?」
『カルティエにこだわるなら〈トリニティ〉にしたら? リングなら間違いないでしょ』
「うそだろ?」
ヴァンクリーフ&アーペルの〈アルハンブラ〉シリーズ、そのネックレス。高級すぎる。海外旅行をひとつ手配できてしまう。
〈トリニティ〉のリングは、三色のリングが絡み合うカルティエの定番。途切れない意匠ゆえに「永遠」の意味を多分に含む。どう考えても過剰だ。
最初のプレゼントでそこまでやるか?
……おれの感覚がおかしいのか?
「はぁ……。まあ、姉さんが義兄さんに愛されてるのはよーくわかりましたよ」
電話口の向こうで姉が何か言いかけたが、スルーした。
なんか、話が噛み合わないんだよな。今まではそんなこと感じなかったのに。
既婚者と独身の差、というだけじゃない気がする。
*
当日。
タクシーをエントランス前に一旦待たせ、マンションのインターホンを押す。
ほどなく、思歩が降りてきた。
ネイビーのジャケットに、同系色のワイドパンツ。光沢を抑えた白のブラウスが、柔らかい差し色になっている。
髪はすっきりまとめていて、耳元で小さなイヤリングが光っていた。
「きれいだ」
思った瞬間、声に出していた。
それを聞いた思歩は、綻ぶように笑った。この笑顔を、ずっと長く見ていたいと思う。
会場前の廊下は、人の気配がほとんどなく、静かだった。おれは立ち止まる。
ジャケットの内ポケットに忍ばせてきた小箱に指をかける。
「会場入りの前に、ちょっといいかな。渡したいものがある」
ジャケットの内ポケットから、赤い箱をゆっくり取り出す。
光沢のある赤に金の縁取り。それを見た思歩が、ほんの一瞬だけ息を呑む。専用ポーチに入れ替えてもらうこともできたが、カルティエはこの箱まで含めての贈り物、という感じがある。
マットな質感の赤い箱を、両手で正面に差し出す。
「今日は、付き合ってくれてありがとう。これを受け取ってほしい」
「あの……はい」
少しためらうように、思歩が箱を受け取る。
そっと蓋を開ける。
細いホワイトゴールドのチェーンに、小さなダイヤがひと粒、薄く縁取られている。
「……きれい」
ささやくような声に、わずかに口元がゆるむ。
「つけても、いい?」
思歩は軽く目を見開いたが、すぐに小さくうなずいてくれる。
おれはブレスレットを指先で取り上げ、箱を内ポケットに戻す。
手を差し出して、思歩に問う。
「右でいいかな」
「はい」
彼女がそっと手を重ねる。その手首にブレスレットをかけ、慎重に留め具を合わせる。
カチリ、と小さな音がして、鎖がぴたりと収まる。光を受けた一粒のダイヤが、彼女の手元で控えめに揺れた。
「……似合うよ」
言葉を選ぶより先に、それだけが口をついた。




