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恋は条項にありません!  作者: 遠野 文弓
第4章 情報・プライバシー・行動規範

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38/67

38.+1の約束

 出勤前、ダイニングテーブルに腰掛けて手帳を広げる。右手でペンを持ち、左手でスマホのメールアプリを開く。

 メールが溜まっている。()()()()()()のメールが。

 とはいえ、おれの人間関係に依拠したプライベートだ。完全な私事にはなりえない。


 ――まずは、ゴルフ。

 来週土曜の早朝。先方は老舗ベンダーの役員と部長、自社(うち)は役員とおれで四人。

 外せないやつだな。おれは帯同(たいどう)だ。受付、進行、会計まで面倒を見る係。

 ティーオフは8:00。カレンダーに書きこむ。前日に打ちっぱなしで肩慣らしといきたいが、金曜は飲み会が入る可能性が高い。水曜か木曜に回そう。

 当日の天気予報は曇り。まあ、悪くない。


 ――次は、業界レセプション。

 再来週木曜の夜、都心ホテルの中宴会場。開場は十八時半。ビジネスフォーマルの場だ。タイピンをどこへやったかな。

 名刺は三十枚で足りるか。補充しておく、とメモ。長居はしない。


 ――シガー・ナイト。いわゆる葉巻のテイスティングと交流会を兼ねた集まりだ。

 会員制ラウンジにて。

 レセプションと同日で、折り合いが悪い。

 今回は見送ろう。断りの定型文をメモに起こして、メールの下書きに貼り付ける。


 立ち上がって、椅子の背にかけていたジャケットを羽織り、鞄を持つ。

 エレベーターで階下へ。いつもの癖でポストを覗くと、上品な装いの封筒がひとつ入っていた。


 ――試飲会の招待状か。


 いま読んでいる暇はない。それを鞄に納めながら、エントランスを出た。




 *


 休憩時間。おれは座席でひとつ伸びをしてから、鞄から試飲会の招待状を取り出す。これはゴルフやレセプションとは違う。どちらかといえば、プライベート寄りのパーティー。


 プライベートといっても、対人の場にちがいない。他者がいる限りは、社会の規律に触れる。大きいか小さいか、その違いだけだ……。


 そう思って目線を上げた矢先に、早速〈規律違反〉が目に入った。


 離席中のPCが、ロックもかけずに開きっぱなしだった。

 デスクの主は佐伯くん(入社2年目)。要領がよく覚えも早いが、こういう基本をすぐ後回しにする。


 これで何度目だ。出先でもやってないといいが。


 苦笑しながら、いったん招待状を置いて立ち上がる。佐伯くんのモニター前に立ち、キーボードに指を置く。


 Ctrl+Alt+↓。

 画面がぐるりと天地を返す。

 単純だがインパクトがある。

 何となしに逆さまの画面を眺めていると、背後で安藤さんの笑う声がした。


「それ、佐伯くんは知らないと思いますよ」


「よかった。知ってたらイタズラにならないからな」


「あ。そうだ、鷹津係長。ついでにご相談が……」


 しばらく安藤さんと話していると、佐伯くんが戻って来た。自分のPC前でぴたりと固まった。


「え? 逆さま……?」


「ロックしないとこうなるんだぞ」


 そう言うと、安藤さんは笑いを堪えながらこちらを見た。おれが画面を戻してやると、佐伯くんは苦笑をもらした。


「すみません。次から——じゃなくて、今から気をつけます」


「そうしてくれ」


 笑い話で済む程度の注意だ。


 自席に戻りがてら、招待状を再び手に取る。ハサミで封筒の端を切り落として、中身を出す。


 試飲会の日程は金曜夜。輸入商社の小さな会だ。

 会場はホテル内のバーラウンジ。立ち飲みのスマートカジュアル。参加者は三十人ほど。

 だが、もっと増えるだろう。招待状の末尾に「+1(パートナー)歓迎」と小さくある。

 視線が、そこで止まる。


(連れて行くとすれば、思歩か……)


 少し迷って、スマホを手に取る。メッセージアプリを開く。

 一気に書いてから読み直し、「もしよければ」と「無理なら断ってください」を消す。

 書き直す。


『来週の金曜、小さな試飲会に行きます。ご都合が合えば、一緒にどうですか。ドレスコードはスマートカジュアルです。』


 送信ボタンを押す。

 数分と経たないうちに、通知が鳴る。


『行けます。スマートカジュアル了解。何時にどこ集合がいいですか?』


『19:00開始。18:00に迎えに行きます。』


『ありがとうございます。』


 数拍あって、追伸が届く。


『ネイビーのジャケットでも大丈夫そう?』


『大丈夫。完璧。』


『じゃあそれで行きます。楽しみです。』


 画面を閉じる。

 予定は決まった。段取りは整った。

 あとは当日、役割をこなすだけ。


「……。普通に休みたいな」


 ぽろっと口から出てしまった言葉に、一人で自嘲する。

 普通に、ね。変な話だ。これはおれにとっての()()()()()の一コマであるはずだった。


 おれには〈用途〉がある。そのように自分を設計してきた自覚がある。

 休日には、おれが役割を果たせそうな場所に行く。なければ寝る。

 確かに、そうだったのだが。


 思歩と話すようになってから、その定義が少し、変わってしまったようだ。


 何もかも投げ出して、彼女と一日中のんびり過ごせたらいいのに。そんなことを考えてしまう。


 それだけを「休み」と呼びたくなっている自分が、確かにいる。

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