3.たのしい婚活 ②
二人目は、相談所経由の紹介だった。
プロフィールには「趣味:自己研鑽」「モットー:人生は設計できる」とあって、若干の警戒心はあった。だが、初回はカフェでの面談だし、軽く話すだけなら、と会ってみた。
「はじめまして。お会いできて光栄です」
「えっと、こちらこそ。お時間ありがとうございます」
光栄、とは。
商談でもしに来たみたいな話しぶりだ。おれもつられてビジネスモードで返してしまう。この時点で、少し嫌な予感はしていた。
「早速ですが、私のビジョンについて少し共有させてください」
「ビジョン」
仕事以外では初めて聞いた。
彼女はカバンから封筒を取り出し、A4サイズの紙を数枚テーブルに並べた。
フォントは游ゴシック(なんで?)、見出しにマーカー。
完全に資料だ。
「こちらが私の〈未来地図〉になります」
「地図……?」
「はい、三十五歳で出産、三十八歳で転職、四十歳でマイホーム、四十五歳で地方移住。このルートを実現するための最適なパートナー像を、こちらのページに——」
一つひとつの言葉に計画と根拠が詰まっていて、反論の余地が見当たらない。
おれは聞くふりをしながら、資料の片隅に書かれた「Q2.パートナー年収推移(予測)」のグラフを見た。
グラフの出発点が、今のおれの条件と合致している。折れ線は勝手に未来へと伸びていた。
「あの、すみません。それは僕――いや、えっと……〈パートナー〉の将来設計ですか?」
「はい。もちろん仮定ですが、これくらいは想定しておかないと、現実的に家計が回らないので」
「ああ、ええ、そうですね……」
彼女はきちんとした人だった。言ってることも正しい。
でも、なんというか、おれという人間の居場所がなかった。
将来に挿入されている感じ。
途中で「お水、おかわりしますか?」と訊いたら、「次のセクションに移る前にリフレッシュ挟みましょうか」と返された。
セクションて。
うまくいけば、彼女の人生は盤石なんだと思う。
でも、そこに〈他人〉が関与できる余地はどれくらいあるんだろうか。
その中に入ったとして、おれは彼女のプランに合わせた部品のままでいられるのか?
無理だな、と思った。
たぶんこの人、おれが風邪を引くことも想定外だと思うし。
三人目は、相談所のほうで「気が合いそうなタイプです」と紹介された相手だった。
会ってすぐ、「あ、こういう人もちゃんといるんだ」と思った。
無理に笑わない。自分の話ばかりしない。
相手の様子を見て話を振る、言葉を聞いてから返す、という会話の基本が成立した。
それだけで、ちょっと涙腺にくるくらい嬉しかった。
「お仕事、忙しそうですね」
「ええ、まあ。でも最近は落ち着いてきて、両親からの連絡をいなすほうが大変ですかね」
「ご両親から、結婚のプレッシャーとか? ……失礼ですが、お若いのに」
「うちは早くから所帯を持たないとダメなんだって聞かなくて。どこでも一緒なんでしょうか」
「そうかもしれませんね。うちは『早く孫の顔を』フェーズです」
肩の力が抜けたように、お互いが笑った。
遠慮がちではあったが、初対面でこんなふうに笑い合えるのは、ありがたいことだった。
相手との距離感をはかりながら、しかし敬意は忘れず、気負わず雑談をする。
この感覚を、ずっと忘れていた気がする。
趣味の話もした。音楽や映画、最近読んだ本の話も少し。
どれも盛り上がりすぎず、盛り下がりもせず、程よい余白のある落ち着いた会話だった。
「もし、結婚するとしたら、どんな家庭が理想ですか?」
「……そうですね。週に一度は、家族でどこかに出かけたいかな、と」
うそだ。
いや、うそではない。本心ではある。だがそれは、即興で捻り出した答えだった。
いまおれが考えているのは、家のための結婚であって、自分のための家庭像は一度も考えたことがなかったのだ。
それに気づいてしまった。
そこからは、笑顔を返すたび、自分がどんどん小さくなっていくようだった。会えてよかったと思う反面、この人の時間を使ってしまったことに、申し訳なさも残った。
駅へ向かう帰り道、彼女がぽつりと呟いた。
「今日は雨が降らなくてよかったですね」
「……ええ、本当に」
それだけの言葉だったのに、どうしてか、それが人間的で、やたら沁みた。
いい女性だった。
また会いたいかと問われれば、「会う」と答えると思う。
でも、おれはそのとき、彼女のことを好きになろうとする自分を演じる気がする。
彼女にとっての〈いい感じの相手〉になろうとする。
演じることで、相手の誠実さに応えようとする。
それが不誠実なことだとわかっていながら。
誰かに会い、なんでもない話をして、その時間が楽しかったと思える相手がいる。
それだけで、充分なはずなのに。
おれの心の出発点が家のためだったことが、何より重かった。
帰宅して、ジャケットのままソファに深く座る。背もたれに全体重を預けて、深く息をついた。
彼女とは、なんでもない会話が成立してた。それだけで、だいぶ救われた。
たぶんおれは、〝話が通じる〟ことを強く求めてたんだろう。
自覚しているよりもずっと強く。