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恋は条項にありません!  作者: 遠野 文弓
第1章 総則
3/23

3.たのしい婚活 ②

 二人目は、相談所経由の紹介だった。

 プロフィールには「趣味:自己研鑽」「モットー:人生は設計できる」とあって、若干の警戒心はあった。だが、初回はカフェでの面談だし、軽く話すだけなら、と会ってみた。


「はじめまして。お会いできて光栄です」


「えっと、こちらこそ。お時間ありがとうございます」


 光栄、とは。

 商談でもしに来たみたいな話しぶりだ。おれもつられてビジネスモードで返してしまう。この時点で、少し嫌な予感はしていた。


「早速ですが、私のビジョンについて少し共有させてください」


「ビジョン」


 仕事以外では初めて聞いた。


 彼女はカバンから封筒を取り出し、A4サイズの紙を数枚テーブルに並べた。

 フォントは游ゴシック(なんで?)、見出しにマーカー。

 完全に資料だ。


「こちらが私の〈未来地図〉になります」


「地図……?」


「はい、三十五歳で出産、三十八歳で転職、四十歳でマイホーム、四十五歳で地方移住。このルートを実現するための最適なパートナー像を、こちらのページに——」


 一つひとつの言葉に計画と根拠が詰まっていて、反論の余地が見当たらない。

 おれは聞くふりをしながら、資料の片隅に書かれた「Q2.パートナー年収推移(予測)」のグラフを見た。

 グラフの出発点が、今のおれの条件と合致している。折れ線は勝手に未来へと伸びていた。


「あの、すみません。それは僕――いや、えっと……〈パートナー〉の将来設計ですか?」


「はい。もちろん仮定ですが、これくらいは想定しておかないと、現実的に家計が回らないので」


「ああ、ええ、そうですね……」


 彼女はきちんとした人だった。言ってることも正しい。

 でも、なんというか、おれという人間の居場所がなかった。

 将来に()()()()()()()感じ。


 途中で「お水、おかわりしますか?」と訊いたら、「次のセクションに移る前にリフレッシュ挟みましょうか」と返された。


 セクションて。


 うまくいけば、彼女の人生は盤石なんだと思う。

 でも、そこに〈他人〉が関与できる余地はどれくらいあるんだろうか。

 その中に入ったとして、おれは彼女のプランに合わせた部品(コンポーネント)のままでいられるのか?


 無理だな、と思った。

 たぶんこの人、おれが風邪を引くことも想定外だと思うし。




 三人目は、相談所のほうで「気が合いそうなタイプです」と紹介された相手だった。

 会ってすぐ、「あ、こういう人もちゃんといるんだ」と思った。


 無理に笑わない。自分の話ばかりしない。

 相手の様子を見て話を振る、言葉を聞いてから返す、という会話の基本が成立した。

 それだけで、ちょっと涙腺にくるくらい嬉しかった。


「お仕事、忙しそうですね」


「ええ、まあ。でも最近は落ち着いてきて、両親からの連絡をいなすほうが大変ですかね」


「ご両親から、結婚のプレッシャーとか? ……失礼ですが、お若いのに」


「うちは早くから所帯を持たないとダメなんだって聞かなくて。どこでも一緒なんでしょうか」


「そうかもしれませんね。うちは『早く孫の顔を』フェーズです」


 肩の力が抜けたように、お互いが笑った。

 遠慮がちではあったが、初対面でこんなふうに笑い合えるのは、ありがたいことだった。


 相手との距離感をはかりながら、しかし敬意は忘れず、気負わず雑談をする。

 この感覚を、ずっと忘れていた気がする。


 趣味の話もした。音楽や映画、最近読んだ本の話も少し。

 どれも盛り上がりすぎず、盛り下がりもせず、程よい余白のある落ち着いた会話だった。


「もし、結婚するとしたら、どんな家庭が理想ですか?」


「……そうですね。週に一度は、家族でどこかに出かけたいかな、と」


 うそだ。

 いや、うそではない。本心ではある。だがそれは、即興で捻り出した答えだった。

 いまおれが考えているのは、()()()()()結婚であって、自分のための家庭像は一度も考えたことがなかったのだ。

 それに気づいてしまった。


 そこからは、笑顔を返すたび、自分がどんどん小さくなっていくようだった。会えてよかったと思う反面、この人の時間を使ってしまったことに、申し訳なさも残った。


 駅へ向かう帰り道、彼女がぽつりと呟いた。


「今日は雨が降らなくてよかったですね」


「……ええ、本当に」


 それだけの言葉だったのに、どうしてか、それが人間的で、やたら沁みた。


 いい女性(ひと)だった。

 また会いたいかと問われれば、「会う」と答えると思う。

 でも、おれはそのとき、彼女のことを好きになろうとする自分を演じる気がする。

 彼女にとっての〈いい感じの相手〉になろうとする。

 演じることで、相手の誠実さに応えようとする。

 それが不誠実なことだとわかっていながら。


 誰かに会い、なんでもない話をして、その時間が楽しかったと思える相手がいる。

 それだけで、充分なはずなのに。

 おれの心の出発点が()()()()だったことが、何より重かった。



 帰宅して、ジャケットのままソファに深く座る。背もたれに全体重を預けて、深く息をついた。


 彼女とは、なんでもない会話が成立してた。それだけで、だいぶ救われた。

 たぶんおれは、〝話が通じる〟ことを強く求めてたんだろう。

 自覚しているよりもずっと強く。

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