29.日曜の午前
朝食の席は、すでに賑やかだった。
テーブルいっぱいに広げられた大皿には、卵料理とハムが盛られている。姉や義兄たちは先に席に着いて、子どもにパンを切り分けてやっていた。
「おはようございます」
「おはよう、時仁くん。早いね」
おれは静かに椅子を引き、腰を下ろす。気持ち少しだけ姿勢を正す。
所作は、無理に意識するまでもない。パンをちぎり、バターナイフを取り上げ、ジャムをすくって、パンに塗る。口に運ぶ。咀嚼し終えてから、二口目を口に運ぶ。
こんなのはマナーのうちに入らない。シングルタスクにするだけで少しはみられる所作になる。一つずつ済ませるだけだ。
「ほら、パパみてよ、お兄ちゃんの食べ方」
小学三年生の姪っ子が、義兄に視線を向けて笑う。
「きれいでしょ?」
「ほんとだな。パパも見習わないとダメかもしれないね」
義兄のひとりが冗談交じりに笑う。
おれは微笑みで返す。ことさらに反応する必要はない。
気づけば、甥と姪たちも同じようにこちらを見ていた。子どもらしい興味が混じった眼差しだった。
五歳の甥っ子が口をもぐもぐさせながらおれを指差した。
「あさから、がんばりすぎじゃない? もうちょっと、だらーんってしてもいいのに」
「こら、人を指差さない」
義兄がその指をすぐに下ろさせる。
「もう五歳になってお兄ちゃんなんだから、しゃんとしなさい」
場は笑いに包まれる。当然、おれも笑う。
──家族との食事も、やはり見られる場だ。
おれにとって、食べるという〈行動〉は、空腹を満たす以上の意味を帯びる。
まずはマナーのお披露目。慎ましさがどれくらい許容されるか見極めて、行儀の〝強度〟を決める。会話を要するならば、次に手札を示す。顔ぶれの待機状態を解き、問いを投げ、速やかに応答し、皿の上の進捗を読む。
会食も、飲み会も、家族と食卓を囲むことも、本質は同じだ。
だから、たった一人きりの――観測されない食事では、途方に暮れる。空腹でも、食事を摂る〈名目〉がないうちは、その欲をどこに向けたらいいのかわからない。
あるいは、自己観測で間に合わせるか。
その発想は何度も試した。結果は同じだ。
誤差が大きすぎる。おれの目は、おれに甘すぎる。
*
甥や姪にしつこく手を振られ、姉たちに笑われながら玄関を出た賑やかさが、まだ耳に残っている。
靴を脱ぎ、ジャケットをハンガーに掛ける。冷蔵庫を開けて、炭酸水を一本取り出す。
まだ十一時。思歩との約束まで六時間もある。
「……」
やりたいことは、特にない。
炭酸水をグラスに注いで飲み干し、グラスをきれいにゆすぐ。シンクが濡れているのが妙に気になって、布巾で拭いた。
そのまま止まらなくなる。水洗を食器用洗剤で洗う。また濡れた水洗とシンクを拭き上げる。
もう、ついでだ。
ワイシャツを脱ぎながら脱衣所へ向かう。洗濯機に放り込み、ズボンの裾を折って、バスルームに入った。
シンクの水垢をスポンジで軽くこすり、排水口の髪をまとめて捨てる。水を流してスクレーパーで水を切る。
洗面台の蛇口を磨き、鏡の曇りを拭き取る。やっている間は、手先だけが忙しく動いて、頭の中は空っぽになる。
掃除はあまり好きではない。面倒だし、自分の痕跡を消して回るこの仕事はどうにも無駄な作業に思える。
掃除を終えると、まるでおれという人間などはじめから存在しなかったかのような部屋になる。だが、そうやってきれいにした部屋は、ようやく「自分の居場所」になったような気もする。
矛盾しているが、両立するのだから不思議だ。
しばらく立ち尽くし、深く息をつく。
落ち着いたような。
ますます所在がなくなったような。
十二時。床を拭くのはロボット掃除機に任せて、ソファに横になった。
音声アシスタントに「三時にアラーム」とだけ伝えて、そのまま目を閉じる。
空白の時間は、寝るに限る。
*
気づけば、窓の外の光が少しだけ傾いていた。
時計は二時半を指している。
――よし。
シャワーを浴び、ワイシャツに袖を通す。
財布とスマホをポケットに入れる。
午後三時半。予定よりずっと早く、家を出た。




