28.鷹津家の女性たち
八重夫人と結栞さんに別れを告げたのち、ベルデスクで車の回送を頼んだ。その間は、ロビーのソファで待つことにする。
母が離席した折、ふと思い出して、銀のカフスボタンを外した。思歩からもらった白いミント缶を取り出す。「カフスを外したときも入りますよ」と言っていた声を思い出しながら、実際にそれを入れてみる。
閉まらなかった。
「……さすがにカフスは入らないよ、思歩」
そりゃあそうだよな。金具は畳んでも意外と幅をとるのだ。このミント缶は、カフスボタンを納めるには少々薄すぎる。
無性におかしくなって、ひとしきり一人で笑った。
母が戻っても笑いは収まらず、おかげでずいぶん訝しげな顔をされた。
母は、気を取り直したように告げた。
「時仁さん、今日は実家に泊まっていきなさいな」
「なんで?」
「お姉ちゃんたちが帰ってるのよ。子どもたちも一緒にね。月曜まで泊まるのよ」
どうやら、盆の時期に帰省が叶わなかった双子の姉が二人そろって帰ってくるらしい。
「そっか。じゃ、おれも今日だけお邪魔させてもらおうかな。明日は帰るよ。予定があるから」
姉たちの子どもは合わせて五人になる。ずいぶん賑やかになるだろうな、と考えると自然と顔がほころぶ。
*
玄関で靴を脱ぎ終えた直後、新幹線の模型を抱えた三歳の女の子が全力で突進してくる。上の姉の次女だ。そのまま玄関から飛び出そうとするのを抱き上げて止めた。
「はーい、電車は室内運転でお願いしまーす」
「てんけんちゅうなの! てんけんちゅうはとめないの!」
「厳しい取締役が来たなぁ」
持ち上げたままその場でくるくる回ってやると、笑って喜んでくれる。
姪っ子を肩に乗せ、奥に進む。鷹津家の居間は子どもたちの遊び場になっていた。ブロックやカードゲームが広げられ、テレビではTwitchのゲーム配信が流れている。今どきはライブで追うのが主流なんだろうか。
年長者として、小学五年生の甥と姪が一人ずつ。小学三年生の姪、五歳の甥、先ほどおれに突進してきた三歳の姪。
この中では年長者の一人である姪っ子が、おれを見て首をかしげた。
「あ。おかえり、ときちゃん。なんで土曜日なのにそんなちゃんとした服なの?」
「今日はね、ちょっと用事があって」
「休日出勤?」
おれは苦笑いした。どこで覚えてきたんだ、それは。
「違うよ。ちょっとそこのホテルでお茶してきたんだ」
「ふーん。お見合い?」
その言葉におれは固まる。
「……よくわかったね」
なんとかそう言うと、彼女と同じ小学五年生の甥と、小学三年生の姪が、目を丸くしておれを見た。それより年下の二人は我関せずという感じで遊んでいた。
彼女は平然と畳みかける。
「結婚するの?」
「まだ決まってないからね。ただ会ってお話ししただけ」
「でも、そのスーツけっこう似合うよ」
姪の気取らない一言に、ちょっとだけ照れくさくなる。
「すぐ着替えるよ。この服動きにくいんだ」
「もったいないなー。写真撮ろ?」
「えー……」
姪が取り仕切り、居間にいた子どもたちが集められ、ちゃっかり集合写真が撮られた。
ますます気恥ずかしくなる。逃げるように、テレビで流れ続けるゲーム配信に視線をやり、甥っ子に話しかけた。
「最近はこのゲームやってるの?」
「今はやってないよ。もうクリアしたもん」
「あのね、わたしは――」
子どもたちが口々にしゃべり出し、ゲームの話題で居間は一気ににぎやかになる。最新のアップデートや配信者の話題、攻略の裏技を競うように披露しはじめる。
子どもたちと多少は話を合わせられるように、流行りはいくつか押さえている。大人になったおれの、子どもたちに対するせめてもの礼儀である。
子どもの頃は、大人と話が合わなさすぎるのが苦痛だった。どんな話題を振っても「知らない」と言われる徒労感がきらいで、小学校高学年あたりからは、おれのほうが大人の好きそうな話題を集めて話を回していた。
甥や姪には、あまりそういう気を遣ってほしくない。
……と、思ってはいるのだが。結局は子どもたちからの情報を聞いて感心するオチに着地してしまう。みんな快く教えてくれるのがありがたい。おれよりずっと大人だ。
居間はあっという間ににぎやかになり、笑い声と画面の効果音が入り交じった。
子どもたちとの話が一段落ついたあたりで、庭に出る。
雨上がりの匂いがまだ残っていた。池のほとりに行くと、そこで立ったままスマホを触っていた上の姉がパッと顔を上げた。
「あら? とき君も来てたの。あんまり池の周りうろうろしないのよ。危ないんだから」
「はあ。おれのこといくつだと思ってんの?」
呆れ気味に返すと、上の姉は悪びれもなく笑う。その笑い声に重なるように、縁側のほうからもう一人の声が飛んできた。
下の姉だった。双子といっても姉たちは髪型もファッションも全然違うので、見分けは簡単につく。
「そうそう。落ちたことあったじゃない」
「落ちたんじゃなくて、落とされたんだよ。姉さんにな」
「え? わたしじゃないでしょ?」
「どっちだったかしらねえ」
二人は顔を見合わせて、同時に首をかしげて見せる。双子特有の息の合い方が余計にムカつく。
「だとしたらあなたが悪いわよ」
「そうそう。悪いのはそっち」
「ちょっとは悪びれろよ」
池の水面に映る三人分の影が揺れる。冗談半分のやりとりが、姉弟をつかの間、子どもの頃に引き戻した。
*
「相変わらず子どもたちのおもちゃよねえ」
「ほんと」
居間の隅で、双子が顔を見合わせて笑う。
テーブルの向こうには、彼女たちの弟がいる。ラフなシャツに着替えた弟は、年長の子どもたちと並んでゲームをしていた。
その背中には下の息子がよじ登り、何やら指図している。膝には下の娘がちょこんと座っていた。髪を引っ張られそうになりながらも苦笑してされるがままになっている姿は、とても会社勤めの係長には見えない。
母が麦茶のグラスを並べながら、からかうように言う。
「みんな、あの子に遊んでもらえるのが嬉しいのよ」
「おれが相手してもらってるんだよなぁ」
ほとんどぼやくような口ぶりでそう言う弟に、子どもたちの笑い声が一際大きくなった。




