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恋は条項にありません!  作者: 遠野 文弓
第3章 財産・負債・相続

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27.台本の外へ

 (かつ)良木(らぎ) (ゆい)()にとって、お見合いは演目だった。


 悪い意味ではない。台本があって、段取りがあって、役割がある。互いの生活を穏やかに結び合わせるための、礼節としての演技。


 それは幼い頃から躾けられ、身につけてきた所作だ。場を温め、相手の話しやすい角度に椅子を寄せ、終わりどころを作って、きれいに散会させる。


 お見合いは、その整えられた舞台の一つにすぎない。好きでも嫌いでもない。これまで、礼として受け入れてきた。愛情は、暮らしの中で静かに育てればよい。

 ずっと、そう思ってきた。


 今日の席も、そのつもりだった。自己紹介から家族、仕事、休日の過ごし方へ。用意した順にこちらからお伺いする。

 いつも通り、相手に合わせて歩くつもりだった。


 席へ案内されると、彼は祖母との挨拶を済ませたのち、こちらに一礼した。腰の折り方が深すぎず、浅すぎず、美しかった。


 ティーセレクションを長くは眺めず、ディンブラを注文される。


 最初の数往復は、お決まりのことを確かめ合った。ご家族のこと、通ってこられた学校、いまのお仕事。


 彼は履歴書のようにも、武勇伝のようにも語らない。肩書より中身を。成果より手触りを。必要なぶんだけ渡してくださる。ケーキを取り分けてくださるかのような何気なさだった。


「……地方の卸業者が置いている棚を見て回るのが好きで」


 そう言って、彼は少しだけ笑った。


 ご自分の経歴をあまり語ろうとなさらない。

 話題の中心に立とうとするでもなく、ただ、ごく自然にそこにいらっしゃる。

 饒舌ではないが、流れるように言葉を運ばれる。


 ──その姿勢が、少し不思議だった。


「棚、ですか?」


「ええ。全国流通のボトルばかりでもないでしょう。地場の嗜好が出ていると面白いんです」


 会話の主導権を取られてしまいそうでいて、そうならない。

 こちらが促さなくても、必要な分だけ前に出て、必要がなければ下がる。間の長さも、こちらの呼吸を見て決めている。


 スロー・ワルツを踊るときに、似ている。


 リードするでもなく、押し返すでもなく、呼吸を合わせて流れをつくる。長年連れ添った相手と踊るかのように、ごく自然に歩調を合わせてくださる。


 こちらが場を整えているつもりなのに、気づけば歩調を合わせようとしてしまう。


「時仁さんは、ダンスがお上手そうですわ」


 冗談めかして言うと、彼は困ったように笑って首を振った。


「とんでもない。苦手なんです。どうにも緊張してしまって」


「まあ、もったいない」


 今も、こちらの呼吸に合わせて間合いを測っているのがわかるのに。


 ──こういう会話は、初めてかもしれない。


 誰かと話すときは、いつも相手に合わせて動いてきた。


 話しやすいように。構えさせないように。

 それは礼儀であり、技術であり、当然の作法だと思ってきた。


 だが、この方の前では、その作法が揺らぐ。予定調和の微笑みも、間の取り方も、丁寧に積み上げた立ち居振る舞いも、どこか空回りをする。


 演技を合わせる方ではない。

 しかし、こちらの演技を壊すこともしない。

 代わりに、台本の外へ誘ってくださる。


 安全なところから、少しずつ。

 棚の話、瓶の話、地方の味の話。

 写真を一枚、二枚とアルバムへ納めるように。


 それが、どうしてか嬉しかった。


「時仁さんはお話し上手でいらっしゃいますね」


「すみません。私ばかり話してしまいました」


「いいえ。とっても面白くて。あっという間でした」


 少し驚いたように目を開かれ、すぐに微笑まれた。だが、その笑みの底に、ごく薄い翳りが差していた。この場では初めて見る、彼の憂いの表情だった。


「一つだけ、不躾(ぶしつけ)をご容赦ください。……結栞さんには、心に決めている方はいらっしゃいますか」


「まあ。──いいえ。どうしてそんなことを?」


 彼は慎重に言葉を選びながら、まっすぐに告げた。


「私には、いるのです」


 驚きで、一瞬息が止まった。


 彼は唐突に、演目を終えた。そのまま静かに、舞台から飛び降りてしまった──そんな瞬間を見てしまったような衝撃だった。


「わがままを通す非礼は重々承知の上で、先に申し上げます。私は、このご縁をお受けしないと決めております」


「さようでしたか……」


 やや呆然としたまま、結栞は問いかけていた。


「……どんな方なのですか?」


 彼は多くを語らなかった。けれど、端々の沈黙が、言葉を切ったあとに滲む表情が、雄弁に語っていた。確かに、大切に思っている相手なのだと。


 ──この人となら、何かを選んでみたい。


 初めてそう思えた。

 ほんとうに、初めて。


 はじめて「舞台を上手に終わらせる」だけではない道があるように思えた。


 演目の外で、何かを一緒に選ぶということ。

 棚の前で、同じ瓶を手に取り、どちらにしましょうかと迷う。そんなささやかな共同作業を、彼としてみたい。

 少しだけ、そう思った。


 だからだろうか。時仁さんたちと別れた後、祖母から投げかけられた問いかけに、一瞬だけ迷った。


「どうでしたか、結栞」


 形式通りなら「ご立派な方でした」とだけ言えばよかった。けれど唇から零れたのは、もっと率直な言葉だった。


「……楽しかったです」


 頬が、かすかに熱を帯びた。

 こんな言葉を自分が口にするなんて思っていなかった。


「まあ。それは何よりでした」


 祖母はわずかに目を細め、満足げに頷いた。

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