21.おうちデート
思歩がスタイラスペンをキャップで塞ぎ、タブレットの電源を落とした。
「一段落しましたね。休憩しましょ」
「うん。差し入れを出すよ」
おれは黒のクーラーバッグを開け、瓶のクラフトビールを二本、ハイボールのショート缶を二本、無糖の強炭酸水(1.5L)を一本出した。
思歩はそれを、ちょっと驚いたような顔で見た。
「あ、持ってきてくださったんですね。言ってくれれば、冷蔵庫に入れたのに」
「ごめん。忘れてた」
緊張してて。だがそこまで伝える必要はない。
おれは続々と〝差し入れ〟をテーブルに並べて場をごまかす。
デパ地下のデリカテッセンで買ったローストビーフサラダとタコのレモンマリネ。袋菓子は柿ピーとポテチを一袋ずつ。それから、カカオ70%のダークチョコレート。
使い捨ての小皿・竹フォーク・ウェットティッシュも出しておく。
「最高」
思歩が笑って、キッチンからグラスを二つ持ってきた。瓶ビールを空けてガラスに注ぐと、白い泡が膨らんだ。
「じゃあ、乾杯」
「乾杯!」
軽くグラスを当てる。口をつけると、苦味と果実のような甘さが舌の上を滑り抜ける。
思歩はフードコンテナの蓋を外して、サラダを小皿に移す。おれはポテチの袋を開ける。
「映画、何にします?」
思歩がリモコンを手に、サムネを矢継ぎ早に送っていく。
選ばれたタイトルの横に★の数と再生時間。二時間ちょっと。人生の面倒は二時間で片づかないが、〈田舎の銃撃戦〉はだいたい片づく。
警官、田舎町のパブ、銃。いっそ嘘くさいほど直球のビジュアルがいい。
再生。
最初の数分で、主人公の経歴が機関銃みたいなテンポで畳みかけられる。戦闘シーンは小気味よく、画面が田舎に切り替わると、場の雰囲気までゆるむ。
「派手にやるなあ。装備は地味なのに」
「現実でやったら監察呼ばないとですねぇ、これは」
意味のない会話。
会話は画面の火力に合わせて短くなる。ポテチの袋が、マズルフラッシュみたいに光を返す。
ソファの上にあった隙間は、いつの間にか埋まっている。ごく自然に、体温の境界が曖昧になる。
田舎のスーパーで激しく撃ち合いが始まる。馬鹿げているのに、編集が気持ちよすぎて二人で笑った。笑い方は違うのに、タイミングは合う。
「あれ燃やす必要あった?」
「壮観だったからよし」
終盤、主人公が無茶を押し切って勝つ。ブラスが鳴り、エンドロールが縦に流れる。名前の列が過ぎていく。
「面白かった」
「うん。とっても」
軽く肩が触れる。触れて、離れる。
事故ではない。意図的でもない。その中間。
終電の一本前には間に合うくらいの時間に、おれは彼女の家から出た。
玄関先まで来た思歩が「送りますよ」と言ったので、おれは辞退した。割と強めに。
「ダメだよ。おれを送ったあと、君は一人で戻るんでしょ? こんな夜更けに一人歩きなんてさせられないよ」
「そうですか?」
「そうです」
思歩はほんの少し首を傾けていた。あまりわかってはいなさそう……というよりも、まだおれと一緒に居たいと思ってくれたのだろうか。そうであれば嬉しいのだが。やはり危険な真似はしてほしくない。
*
Apple Watchの充電が切れかけていた。
家に着いてから、寝室まで直行する。気温はまだ高いはずだが、靴を脱いだ足裏に、フローリングが冷たかった。
充電器を探す。いつも差してある白い円盤が、そこにない。
そういえば、出張のときに持っていって、帰ってからどこか適当な場所にしまったんだった。
充電器を探して引き出しを開けると、蜂蜜色の木箱が目に入った。
思わず、手が止まる。
〈昼餐会〉を最後に、机の奥に押しやっていたものだった。
ゆっくりと指先で引き寄せて、蓋を押し上げる。薄いクリーム色の内張りに抱かれて、時計が眠っていた。
父が、就職祝いに寄越した時計だった。
礼服やスーツを着る用事のときだけ引っ張り出すドレスウォッチ。
細かな手彫り模様の文字盤が、天井灯を二つだけ拾う。
青焼きの針は止まっている。秒針はない。
貰いものだから言い訳は立つが、値は張る。見た目がシンプルで、袖口に隠れる薄さだから、三十手前の若造が巻いていても差し障りはほぼないのだが。
おれのもの。特有財産。紙に書けば一行で済む事実。
婚姻関係もまた同様だ。紙一枚で済むし、郵送でも済む。
結婚しようと思えば、いつでもできる。
余程のことがなければ、婚姻届が差し止められることはない。親族から口をはさまれようが構わない。婚姻届の〈証人〉は誰だっていいのだから。その辺にいる人を捕まえて書かせたっていい。
結婚を止められるのは、どこまでも当事者たちだけだ。
「……本当に、おれは、結婚するのか」
リューズを数回巻く。鼓動が再開する。
手首の骨に金属の円を載せる。金属の冷たさが肌の温度になじむまで、数秒。
手首を返すと、ローターが中で走る振動がうっすら皮膚に届く。
外付けの心臓みたいだな、と思った。




