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恋は条項にありません!  作者: 遠野 文弓
第3章 財産・負債・相続

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21.おうちデート

 思歩(しほ)がスタイラスペンをキャップで塞ぎ、タブレットの電源を落とした。


「一段落しましたね。休憩しましょ」


「うん。差し入れを出すよ」


 おれは黒のクーラーバッグを開け、瓶のクラフトビールを二本、ハイボールのショート缶を二本、無糖の強炭酸水(1.5L)を一本出した。


 思歩はそれを、ちょっと驚いたような顔で見た。


「あ、持ってきてくださったんですね。言ってくれれば、冷蔵庫に入れたのに」


「ごめん。忘れてた」


 緊張してて。だがそこまで伝える必要はない。

 おれは続々と〝差し入れ〟をテーブルに並べて場をごまかす。


 デパ地下のデリカテッセンで買ったローストビーフサラダとタコのレモンマリネ。袋菓子は柿ピーとポテチを一袋ずつ。それから、カカオ70%のダークチョコレート。

 使い捨ての小皿・竹フォーク・ウェットティッシュも出しておく。


「最高」


 思歩が笑って、キッチンからグラスを二つ持ってきた。瓶ビールを空けてガラスに注ぐと、白い泡が膨らんだ。


「じゃあ、乾杯」


「乾杯!」


 軽くグラスを当てる。口をつけると、苦味と果実のような甘さが舌の上を滑り抜ける。

 思歩はフードコンテナの蓋を外して、サラダを小皿に移す。おれはポテチの袋を開ける。


「映画、何にします?」


 思歩がリモコンを手に、サムネを矢継ぎ早に送っていく。


 選ばれたタイトルの横に★の数と再生時間。二時間ちょっと。人生の面倒は二時間で片づかないが、〈田舎の銃撃戦〉はだいたい片づく。

 警官、田舎町のパブ、銃。いっそ嘘くさいほど直球のビジュアルがいい。


 再生。

 最初の数分で、主人公の経歴が機関銃みたいなテンポで畳みかけられる。戦闘シーンは小気味よく、画面が田舎に切り替わると、場の雰囲気までゆるむ。


「派手にやるなあ。装備は地味なのに」


「現実でやったら監察呼ばないとですねぇ、これは」


 意味のない会話。

 会話は画面の火力に合わせて短くなる。ポテチの袋が、マズルフラッシュみたいに光を返す。


 ソファの上にあった隙間は、いつの間にか埋まっている。ごく自然に、体温の境界が曖昧になる。


 田舎のスーパーで激しく撃ち合いが始まる。馬鹿げているのに、編集が気持ちよすぎて二人で笑った。笑い方は違うのに、タイミングは合う。


「あれ燃やす必要あった?」


「壮観だったからよし」


 終盤、主人公が無茶を押し切って勝つ。ブラスが鳴り、エンドロールが縦に流れる。名前の列が過ぎていく。


「面白かった」


「うん。とっても」


 軽く肩が触れる。触れて、離れる。

 事故ではない。意図的でもない。その中間。



 終電の一本前には間に合うくらいの時間に、おれは彼女の家から出た。

 玄関先まで来た思歩が「送りますよ」と言ったので、おれは辞退した。割と強めに。


「ダメだよ。おれを送ったあと、君は一人で戻るんでしょ? こんな夜更けに一人歩きなんてさせられないよ」


「そうですか?」


「そうです」


 思歩はほんの少し首を傾けていた。あまりわかってはいなさそう……というよりも、まだおれと一緒に居たいと思ってくれたのだろうか。そうであれば嬉しいのだが。やはり危険な真似はしてほしくない。




 *


 Apple Watchの充電が切れかけていた。

 家に着いてから、寝室まで直行する。気温はまだ高いはずだが、靴を脱いだ足裏に、フローリングが冷たかった。


 充電器を探す。いつも差してある白い円盤が、そこにない。

 そういえば、出張のときに持っていって、帰ってからどこか適当な場所にしまったんだった。

 充電器を探して引き出しを開けると、蜂蜜色の木箱が目に入った。


 思わず、手が止まる。


 〈昼餐会〉を最後に、机の奥に押しやっていたものだった。

 ゆっくりと指先で引き寄せて、蓋を押し上げる。薄いクリーム色の内張りに抱かれて、時計が眠っていた。


 父が、就職祝いに寄越した時計だった。

 礼服やスーツを着る用事のときだけ引っ張り出すドレスウォッチ。


 細かな手彫り模様の文字盤が、天井灯を二つだけ拾う。

 青焼きの針(ブルースティール)は止まっている。秒針はない。


 貰いものだから()()()は立つが、値は張る。見た目がシンプルで、袖口に隠れる薄さだから、三十手前の若造が巻いていても差し障りはほぼないのだが。


 おれのもの。特有財産。紙に書けば一行で済む事実。


 婚姻関係もまた同様だ。紙一枚で済むし、郵送でも済む。

 結婚しようと思えば、いつでもできる。

 余程のことがなければ、婚姻届が差し止められることはない。親族から口をはさまれようが構わない。婚姻届の〈証人〉は誰だっていいのだから。その辺にいる人を捕まえて書かせたっていい。


 結婚を()()()()()のは、どこまでも当事者たちだけだ。


「……本当に、おれは、結婚するのか」


 リューズを数回巻く。鼓動が再開する。

 手首の骨に金属の円を載せる。金属の冷たさが肌の温度になじむまで、数秒。

 手首を返すと、ローターが中で走る振動がうっすら皮膚に届く。


 外付けの心臓みたいだな、と思った。

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