2.たのしい婚活 ①
しぶしぶながら、婚活というやつをやってみることにした。まったくの未経験だったので、とりあえずアプリと、母からの圧で登録された結婚相談所と、両方試すことにした。
マッチングアプリに登録して一時間。何気なくスマホを開くと、通知が三十件を超えていた。
思わず「怖っ」と声が出た。
「当然よ。あなたは婚活市場では〈勝ち組〉なんだから」
と、母は言った。ドヤ顔で。
市場。勝ち組。
その語彙が人間関係にあてられているという事実に、なんとも言えない気持ちになった。
「……。勝ち組?」
「そうよ。適齢期ど真ん中、花の二十代! 安定した職業。由緒ある実家。顔もかわいいし。あなた、書類上だとプレミアム付き物件なのよ」
「おれは新築マンションか?」
「実際それぐらいのノリなのよ、結婚って」
母は悪気なく言っていた。誇らしげですらあった。
こんなにいい物件なのに、なぜ売れ残っているのか。そういう方向の憂いをまとっていた。
その言葉のひとつひとつが、おれが〈条件〉として誰かに提示されていることを実感させてくる。
実際に始めてみた婚活は、想像していたよりもずっと形式的で、ずっと疲れるものだった。
一人目は、アプリでマッチングした相手だった。
始めてからわずか三日目で顔合わせ。どう考えても最速コースだ。母の圧に背中を押されなければ――いわく、「なにぼさっとしてるの? 約束をうやむやにする気じゃないでしょうね」――こんなスピード感で動くことはなかった。
彼女のプロフィールには「実家が農園をやっていて自然が好き」と書いてあり、好印象だった。待ち合わせのカフェに来た彼女は、きれいに整ったスーツ姿で、口元に最初から笑みを貼っていた。
アイスコーヒーを注文して3分後、彼女はこう言った。
「鷹津さんって、あの鷹津家のご出身なんですよね?」
おれは少々面食らったが、家のことを持ち出されるのは別段珍しくもないし、不快なわけでもない。軽くうなずいた。
「ええ。よくご存じで」
「ちょっと検索したんです。苗字が珍しいので」
彼女はスマホを見せながら笑った。そこには鷹津家の系譜をまとめた記事があった。地方紙や大学の校友会誌の内容が転載されている。
鷹津家は由緒ある家柄だ。幕末期に宮中に仕え、明治以降は外務省や司法をはじめとする官界に人材を送り出してきた。
祖父は駐フランス大使だった。父は高等裁判所の元判事。兄は官僚。
そうはいってもうちは分家筋で、おれはその末っ子でしかない。
本家から養子縁組の話がくるわけでもない。実家から何かを継ぐつもりはないし、有り体にいってしまえばあまり期待もされていない。
婚姻という重大事も、家のためではなく、自分のために選べる。
――ただし、〈選ばない〉という自由はない。
それは学生時代から薄々感じていたことだった。
そのあとも、話題は主に家の話だった。
「家の固定資産税ってどのくらいですか?」
「将来、同居の予定は立てられてます?」
「お墓はどちらにあるんですか? 将来的には一緒に入る感じですか?」
……間違えて相続の相談に来ちゃったか? 税理士と話してるんだっけ?
初対面で聞くことじゃない。これじゃヒアリングだ。
試しに、おれから話を振ってみた。
「そういえば、猫、飼ってるんでしたよね」
「あっ、はい……実家で。あとで写真送りましょうか」
声が半音落ちた。
猫好きというのは嘘ではなさそうだったが、話は続けたくなさそうだった。さっきまでの家系トークよりも、言葉の温度が一段低く感じられる。
表情は柔らかいし、礼儀もちゃんとしている。
でも、最初から最後まで、〈おれ〉ではなく、おれの外側――〈鷹津家〉と会話していた気がした。
会計後、「また機会があれば」と言って彼女は去った。
その言葉はきっと本心なのだろう。
だが、それはおれという人間に対する期待じゃない。
お気に入り登録。スワイプ保留。あるいは既読スルーかな。
車のハンドルを握りながら、「ああ、これは、向いてないな」と思った。
おれは、条件に合うか合わないかで選ばれることに、思った以上に耐性がないらしい。
実家に戻ると、母が待ち構えていた。
「で、〈顔合わせ〉までは行ったのね?」
おれはいっそ白旗を上げるような心持ちで同意した。
「……行ったよ」
「なんで落ち込んでるの? ここからが本番でしょう。三日で顔合わせまで行くなんて、やっぱりあなたは〈プレミアム付き物件〉ってことよね」
その言葉に、胸の奥がざらりとした。
「でも、決まらなかったよ」
「いいのよ。一生のことだもの」
「〝一生のこと〟をあんな気軽に急かしたわけ?」
母は悪気なく笑っていた。
当初の予定通り、おれは実家をあとにした。
ここにいようがいまいが、どうせ〈査定〉は続くのだ。