表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
恋は条項にありません!  作者: 遠野 文弓
第2章 家計と収入

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

10/67

10.野江田家にて

 週末、思歩(しほ)は数週間ぶりに実家へと顔を出した。

 両親と食卓を囲むのはもちろんだが、今日はもうひとつ目的があった。


 ソファでくつろぎながらクラフトバンドを編んでいる母に「おかえり」と声をかけられる。それにほとんどうわの空で返事をしながら、一人掛けソファに腰掛けた。

 母は、神妙な面持ちの思歩に何かを察したらしかった。籠を編む手は明らかに遅くなったが、止めることはなかった。話を催促することも(おしゃべりな母にしては珍しいことに)しなかった。


 ただ、娘のようすをじっと伺っているのは察せられて、思歩は重たい口を開いた。


「……結婚を考えている人がいるの」


 言った瞬間、母の手がぴたりと止まった。


「ええっ、うそ! すてき!」


 顔がぱっと明るくなる。編みかけの籠を脇に押しやって、思歩のほうへ身を乗り出した。


「どんな人?」


「お兄ちゃんの、友達」


「あらまあ。もしかして(たか)()の坊ちゃん?」


 思歩は目を瞬かせ、それから小さく笑った。そんなふうに呼ばれているなんて知ったら、彼はいったいどういう反応をするだろう。嫌がるのか、仕方ないなという顔で笑うのか。


「『時仁(ときひと)くんが婚活してるみたいよ』って言ったとき、あなた妙に考え込んでるなとは思ったけど……。まさか?」


「そう。私から声をかけて、会ってきたの」


 母は編みかけのバンドを膝に置いて、胸の前で手を合わせた。


「まあまあ! なんだかドラマみたいじゃないの。お父さんにも伝えないと……」


 思歩は、ふと二階へ続く階段に目をやった。

 せっかく足を運んだのだから、〈婚前契約書〉の草案を、お父さんにも見てもらおうかな。


「私から伝えるよ」


「いいわよ。先に行ってらっしゃい」


 その声に背中を押されながら、とんとんと階段を登る。軽い気持ちで決めたはずなのに、書斎の前で足を止めると、妙に胸が高鳴った。

 思歩はノックをしてから、静かに扉を開いた。


「お父さん。ちょっと見てほしい文書(もの)があるんだけど」


 返事を待たずに入る。


「なんだ?」


 思歩は婚前契約書を差し出した。章立てと条文の構成を整えたPDFのプリントアウトだ。


「……。婚前契約書。草案か」


「うん」


 何て言われるだろうかとドキドキしたが、父は顔色一つ変えずに眼鏡をかけ直し、丁寧に1枚目からめくっていった。


「……第6条。生活費を()()に分担、というのが曖昧だな。公平とは何を指す?」


「月収に応じた比率で分けるつもり。あ、可処分額ね」


「なるほど」父は軽くうなずいた。


「なら、割合、拠出口座、期日を指定しなさい。実際に二人で数字を出して話し合うといいだろう。そうなると〈公平〉という言葉はそぐわないかもしれんが」


 父は付箋を引き寄せて一枚めくると、そこに細かな字でメモをし始めた。


「やっぱり、そこまで書かないとだめよね」


「公正証書にするなら必須だろうな。私文書で済ませるならこの程度でも構わんが……。いざというときに効力を持たせたいなら、第三者の弁護士を通して作りなさい」


「そうだよねぇ」


 そのとき、扉がノックもなく開いた。


「はいはーい、お茶ですよー」


 母だった。木のトレイにカップを三つのせて、のんびりと入ってきた。


「もう、また書斎に引きこもって。休日まで契約書なんて」


「大事な話だ。ましてや思歩の婚前契約書なんだからな」


「婚前契約書?」


 思歩がプレナップについて説明すると、母は頬に手を当てて「へぇー……」とつぶやいた。


「まあねぇ。あちらさんはいろいろお持ちでしょうから、こういうものがあった方が安心されるでしょうけれど」


 あまり興味はなさそうに、マグを父のテーブルの上に置き、思歩にも差し出す。思歩は苦笑しながらマグを受け取った。


「で、プロポーズの言葉はちゃんとあったの?」


「え?」


「ドラマチックなやつよ。『君を一生守る』とか『幸せにする』とか」


「ないよ。まだそんな段階じゃないもの」


 思歩は、言葉を探しながら言う。


「というか、それって私が言うべき言葉なんだよ。提案したのは私なんだから」


「いいじゃないの。そういうの男性からもらうとグッとくるもの。……ねえ、お父さん?」


「え? お父さんってプロポーズちゃんとしたの?」


 父は書類に視線を落としたまま言った。


「誠実さは法的安定性に直結する」


 母はため息まじりに言う。


「ほんと、情緒に乏しいわよねえ。うちの男たちは。昔はね、『この人と結婚なんて無理』って思ってたのよね。結婚してからもしばらくは言ってたかしら。ま、もう慣れちゃったけど」


 父が咳払いで濁したのを、思歩は笑いながら見ていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ