エピローグ
セラと足を運んだバーで、イーサンと出会った。それから一週間後。
休養期間を利用して、トッドは、ニューメキシコ州アルバカーキまで足を運んだ。
トッドの目の前には、一つの墓がある。そこに眠る人物の名前、生年月日、没年月日が刻まれていた。加えて、故人が口にしていた言葉も。
刻まれている言葉は、Mi Vida Loca。スペイン語で、私の馬鹿な人生。メキシコ系アメリカ人である彼が、いつも自嘲気味に口にし、笑っていた。
墓の主は、レジー・タピア。
レジーは、自分の言葉の通りに生きた。家族を守る。言葉の通りに生き、言葉の通りに死んだ。
レジーが家族と出かけた先で、銃の乱射事件が起きた。家族を守るため、彼は、発砲した男に立ち向かった。現役時代と変わらないステップの速度。パンチの速さ。
しかし、当然だが銃弾の方が速い。
レジーは、素人では数え切ることさえ困難な高速の連打で、犯人を叩きのめした。その代償として、七発もの銃弾をその身に受けた。一発は肺を、一発は心臓を撃ち抜いていた。医者の見立てでは、犯人を殴り倒すことなどできないはずだった。
それでも彼は、家族を守り抜いた。医者が「信じられない」と称した動きで。医学では説明できない力を発揮して。
「なあ、レジー」
トッドは、ポケットからスニッカーズを取り出した。日本から来たライバルに聞いたことがある。彼の国では、死者の墓参りの際に、故人が好んでいたものを添えるのだと。
トッドがポケットから取り出したスニッカーズは、二本。一本をレジーに添えて、一本は封を破って自分が口にした。
「まさかあれって、お前の仕業か?」
返答があるはずもない質問を、レジーに向ける。
一週間前。セラと足を運んだバーで。
そこで、いじけたガキに出会った。いつものトッドなら、あんなガキなんて放っておいた。彼が薬物で人生を駄目にしても、知ったことではなかった。そんなことよりも、セラと過ごす時間の方が大切だ。
だけど、放っておけなかった。
彼の――イーサンのグラスを取り上げたとき。取り上げたがどうでもよくなって、彼にグラスを返そうとしたとき。グラスから手を離せないよう、上から押さえられた気がした。
『こいつから薬物を取り上げろ。こいつを……こいつのママを、こいつのせいで泣かせるな』
トッドの手を押さえる奇妙な力から、そんな声が聞こえた。
イーサンと出会ったあの晩。結局、警察に通報した。イーサンは連行されていった。
警察に連行されるイーサンを見ながら。
トッドは、背中を押された気がした。本来の自分なら言うはずのない言葉が、口を突いた。
『イーサン。俺は、ショウタ・オオツキ以上の選手になる。そうしたらお前は、俺を、お前の友人としてママに紹介しろ。絶対に喜んでくれるから』
レジーが言いそうなセリフだ。自分は、絶対にあんなことは言わない。きっと、あの晩、レジーが傍にいたんだ。幽霊の類など信じていないくせに、トッドはそう確信していた。
スニッカーズを食べきると、残った包装をポケットの中に入れた。
「せっかくのセラとの時間だったのに、邪魔しやがって」
口の中でスニッカーズを咀嚼しながら、悪態を突く。
「あんなガキに構うために出てくるなら、俺と飲みに行くのにも出てこいよ」
一年ほど前。レジーの訃報を聞いたとき。
トッドは、セラと共に彼の自宅に駆けつけた。シーズンの途中でなかったのが、不幸中の幸いだった。けれど、最後に彼と対面することはできなかった。墓の前で、号泣することしかできなかった。
「いきなりいなくなるわ、俺とセラの時間を邪魔するわ、ロクなことしないな、お前は」
――まあ、俺は馬鹿な人生を送ってたからな。親友の邪魔くらいするよ。
レジーの声が聞こえた気がして、トッドは周囲を見回した。
そんなはずがない。気のせいだ。
そう思いながらも。
彼の声が聞こえてくるのを期待して、最後に告げた。
「また来年、来るからな。そのときは、俺の世界一の嫁を連れてくるよ」
初めてレジーと出会ったとき。
初対面で、殴り合いの喧嘩をした。
喧嘩の発端は、互いが、互いのパートナーこそ世界一だと譲らなかったから。
――……
また、レジーの声が聞こえた気がした。
トッドは小さく笑った。
「そう思うなら、また俺を殴りに来いよ」
小さく笑ったが、心には、小さくない寂しさが湧き出ていた。
(終)