『遺されし元既婚者(幼女)が死んだ夫を蘇らせようとした結果、学費地獄に落ちて首席(無双)を強いられる件について』
シャルテ・フェルヴィス
序章:失われた光
シャルテは、幼い見た目とは裏腹に、深い絶望を抱えていた。白銀に輝く長い髪の毛先には、炎のようなオレンジ色が溶け込んでいたが、その輝きは、彼女の内なる光が失われたかのように霞んでいた。
顔に刻まれた赤い紋様は、かつて愛する夫、アークレイとの永遠の誓い、既婚者の証であった。だが、そのアークレイは、流行り病によって、シャルテの腕の中で息絶えた。あまりにも突然の、理不尽な別れ。世界は色彩を失い、シャルテは深い孤独の淵に沈んだ。
アークレイが遺した莫大な資産と、彼と二人で暮らした巨大な邸宅だけが、シャルテの唯一の拠り所だった。しかし、幼い見た目のせいで周囲からは「まだ子供だから」と安易に扱われ、その深い悲しみを理解してくれる者はいなかった。
そんな中、シャルテの心に一つの光が灯る。魔法学校の存在。そこには、あらゆる知識と、奇跡すら起こしうる魔法が秘められていると聞いた。彼女は決意した。アークレイを生き返らせる。それこそが、彼女が生きる唯一の目的だった。
魔法学校への入学は、容易ではなかった。しかし、シャルテは持ち前の才能と、狂気にも似た執念で猛勉強に励んだ。彼女の魔法への理解と応用力は、学園の教師たちを驚かせた。特に、担当教師のエレノア・アークライトは、シャルテの抜きんでた才能に大きな期待を寄せていた。
学校生活は、シャルテにとって孤独な研究の日々だった。だが、そんな彼女にも、少しずつ光が差し込むようになる。
「シャルテ、今日の課題、もう終わったの? 信じられない!」
活発なイグニスが、いつも驚きの声を上げた。
「困ってるなら、いつでも相談してね。私にできることなら、何でも力になるから。」
物静かなシルヴァンは、いつも優しくシャルテを見守ってくれた。
「この理論、どう思う? 私はこう解釈したんだけど。」 知的なセフィアは、常に魔法理論について議論を挑んできた。
「シャルテの笑顔が一番好きだよ! だから、もっと笑ってね。」
天真爛漫なフローラは、真っ直ぐな言葉でシャルテの心を溶かしていった。
そして、凛としたアストライアは、時に厳しくも、常にシャルテの成長を信じ、導いてくれた。 彼女たちは、シャルテの孤独な研究日々に彩りを与え、友情という温かい絆を育んでいった。シャルテは、初めて「一人じゃない」という感覚を味わった。
学業は順調に進み、シャルテは瞬く間に学年首席の座を射止めた。そして、ついにその時が来る。学年首席のみに許される、禁書が収められた「星辰の書庫」への立ち入り許可。そこには、夫を蘇らせるための禁忌の魔法が記されているはずだった。
書庫に足を踏み入れたシャルテは、ひときわ古めかしく、禍々しい輝きを放つ一冊の本を見つけた。埃を払い、そのページを開く。そこに記されていたのは、彼女が探し求めていた魔法の真実だった。
「死者は蘇る。代償は、術者の命。」
その一文を読んだ瞬間、シャルテの瞳は、狂気にも似た歓喜に輝いた。
「……アークレイ……! 生き返る……! 私の命と引き換えに……!」
彼女にとって、自分の命など、アークレイと再会できるならば、取るに足らないものだった。この世にアークレイがいない生に意味などない。そう信じて疑わなかった。
その日を境に、シャルテの学業態度や成績は、目に見えて落ち始めた。以前の彼女からは想像もできないほど、授業には集中せず、課題も提出しなくなった。周囲の友人たちは、その異変に気づき、心配の声をかけた。
「シャルテ、最近どうしたの? 無理してるんじゃない?」
「何かあったら、私たちに話してよ?」
教師たちもまた、シャルテの変貌に戸惑い、彼女を呼び出しては問いただした。担当教師のエレノア・アークライトは、特に心を痛め、何度も彼女を説得しようとした。
「シャルテ、君の才能は並外れている。どうか、その力を無駄にしないでほしい。何に悩んでいるのか、私に話してごらんなさい。」
しかし、シャルテは誰の言葉にも耳を傾けなかった。彼女の心は、ただ一つ、アークレイを蘇らせるという目的で埋め尽くされていたのだ。彼女は学園を休みがちになり、夫が残した巨大な邸宅に引きこもるようになった。
邸宅の中、シャルテは来る日も来る日も、禁書に記された魔法陣の作成に没頭していた。床には、巨大で複雑な紋様が幾重にも重なり、不吉な輝きを放ち始めていた。魔法陣に必要なのは、己の血。シャルテは、自らの腕に刃を入れ、魔法陣へと血を流し込んだ。
日に日に、彼女の表情から精気が失われていった。顔色は青白く、唇はひび割れ、その瞳の奥には、狂気と消耗の色が宿っていた。白銀の髪は、まるで生命力を吸い取られたかのように、さらに色を失い、毛先のオレンジだけが、燃えるような執念を象徴しているかのようだった。
第二章:暴かれた真実
ある日、シャルテの異変を心配したエレノア・アークライト教師と、アストライア、イグニス、シルヴァン、セフィア、フローラの友人たちが、シャルテの邸宅へと家庭訪問に訪れた。
玄関の扉が開く。現れたシャルテの姿に、皆は息をのんだ。痩せこけ、頬はこけ、目には生気がなく、まるで別人のようだった。その顔に刻まれた既婚者の証である赤い紋様だけが、異様に鮮やかな血の色を帯びていた。
「シャルテ……一体、どうしたの!?」
アストライアが悲痛な声を上げた。
その時、シャルテの背後、奥の広間に広がる光景が、一同の視界に飛び込んできた。 床一面に広がる、巨大な魔法陣。それは、赤黒い血で描かれ、不気味な光を放っていた。鉄の匂いが鼻腔を突き、それがシャルテの血であることは一目瞭然だった。
「これは……! 禁忌の魔法陣! シャルテ、まさか!」
エレノア教師の顔から血の気が引いた。
シャルテは、虚ろな目で友人たちを見つめ、か細い声で呟いた。
「……アークレイが……戻ってくる……。あと少し……あと少しで……!」
「ダメよ、シャルテ! それはあなたの命を犠牲にする魔法よ!」
セフィアが叫び、真っ先に魔法陣へ駆け寄ろうとした。
「止めなくちゃ! シャルテが死んじゃう!」
イグニスが焦って続いた。
友人たちは一斉に、魔法陣を破壊しようと奮闘する。水をかけ、魔法を放ち、必死に血の紋様を消そうと地面をこすった。
「やめて! やめてよ! アークレイが……アークレイが、蘇るんだからぁあああ!!」
狂乱するシャルテは、必死に友人たちに掴みかかった。痩せ細った体からとは思えないほどの力で抵抗するシャルテを、アストライアとヴァレリアン・ストロングハート教師が押さえつけながら、他の友人たちは魔法陣を破壊し続けた。
「シャルテ、落ち着いて! 私たちがいるじゃない! もう、あなたは一人じゃないんだから!」
シルヴァンが涙ながらに叫ぶ。
「目を覚まして、シャルテ! その魔法は、あなたを殺すだけよ!」
フローラが震える声で訴える。
彼女たちの必死な抵抗と、悲痛な叫びをよそに、魔法陣は、少しずつその光を失い、描かれた血の紋様が滲んで消えていった。
「……あ……ああ……! アークレイ……アークレイゥウウウウウウ!!」
シャルテの叫び声が、邸宅に虚しく響き渡った。
第三章:裁きと再生の兆し
禁忌に手を染めたシャルテは、魔法学校の規律に基づき、即座に投獄された。薄暗く冷たい牢獄の中で、シャルテはただ呆然と座り込んでいた。唯一の希望であったアークレイの蘇生は阻まれ、彼女の命は救われたものの、心は再び深い闇に閉ざされた。
だが、彼女の孤独は、以前とは違っていた。
毎日、牢の格子越しに、友人たちが差し入れを持って訪れた。
「シャルテ、これ、君が好きだったお菓子だよ。少しでも食べて。」
イグニスは、いつも明るく声をかけてくれたが、その瞳には隠しきれない心配の色が浮かんでいた。
「体調は、どう? 無理に話さなくてもいいから、私たちはここにいるからね。」
シルヴァンは、ただ静かに寄り添い、シャルテの手を握ろうと差し伸べた。 セフィアは、魔法に関する書物を差し入れ、 「今は読む気になれないかもしれないけど、いつかまた、一緒に議論できる日が来ると信じているから。」 と、未来への希望を語った。
フローラは、花を持ってきて、 「シャルテの周りが、少しでも明るくなればと思って。」 と、笑顔を向けた。 アストライアは、時に厳しい言葉も投げかけたが、その奥には、シャルテを想う深い愛情があった。
「こんなところで終わるあなたじゃないでしょう? あなたには、私たちという未来があるのよ。」
教師たちもまた、彼女を見捨てることはなかった。エレノア・アークライト教師は、何度も面会に訪れ、シャルテがなぜそこまでして夫を蘇らせようとしたのか、その真意を尋ねた。
友人たちの献身的な支えと、教師たちの諦めない姿勢。 ある日、シャルテは、自分が今までいかに孤独に、たった一人で全てを抱え込んできたかを悟った。
彼女の顔に刻まれた既婚者の証である赤い紋様──それを「ファッション」だと誤魔化し続けてきたこと。夫を失った悲しみも、蘇生への執着も、誰にも打ち明けることなく、一人で闇の中を彷徨ってきたこと。
彼女の瞳から、大粒の涙が溢れ落ちた。それは、絶望の涙ではなく、心の奥底から湧き上がる、解放と安堵の涙だった。
「……あの……あの入れ墨は……っ、本当は……っ……」
シャルテは、震える声で、すべてを打ち明けた。
アークレイとの出会い、愛し合った日々、そして彼の死。自分の命を懸けてでも彼を取り戻そうとした、狂おしいほどの愛と、その後の途方もない孤独。禁書に書かれていた「代償」を知った時の、自分を犠牲にすることへの歓喜。
友人たちは、シャルテの壮絶な告白に、ただ静かに耳を傾けた。そして、誰も彼女を責めることなく、ただ強く抱きしめた。 「よく話してくれたね、シャルテ。辛かったでしょう。」 「これからは、私たちも一緒にいるから。もう、一人じゃないから。」 アストライアとイグニスが、シャルテの背中を優しくさすった。
裁判が開かれた。首席裁判官アルビオン・ジャスティアを筆頭に、セラフィナ・ヴェリタス、ガレオン・ストーンヘイブンといった高位の裁判官たちが席に着いた。
学校側からは、エレノア・アークライト教師や、学園長イグナティウス・ルミナスが出廷し、シャルテの才能と、彼女がなぜ禁忌に手を染めたか、その背景にある「狂愛」を証言した。友人たちもまた、シャルテの人間性や、彼女が今、孤独から立ち直りつつあることを証言した。
厳正な審理の結果、判決が下された。 「今回の騒動は、術者の悪意によるものではなく、狂おしいまでの愛情が故の行動であると認められた。
しかし、禁忌に触れた事実は重い。」 首席裁判官アルビオン・ジャスティアの重々しい声が響く。 「よって、シャルテ・フェルヴィスには、無罪を言い渡す。ただし、1年間、魔法学校の保護観察下に置かれることとする。」
シャルテは、刑を免れたことに安堵したが、同時に、アークレイへの執着から解き放たれ、今は友人たちという新たな光を得た自分に気づいていた。彼女の顔に刻まれた赤い紋様は、もはや過去の悲劇の象徴ではなく、愛する夫と過ごした記憶、そして、それを乗り越え、新しい一歩を踏み出す彼女自身の証へと変わっていくように感じられた。
終章:新たな戦いの幕開け
シャルテの物語は、ここで一旦の終わりを迎えた。しかし、彼女の受難は、ここからであった。
魔法学校は、寛大な措置を取ったように見えたが、その裏には、厳しい現実が待ち受けていた。 シャルテは、優等生であったため、学費を免除されていた。だが、今回の事件により、その優遇措置は全て撤回され、過去に免除されていた分の高額な学費が、魔法学校から彼女に請求されたのだ。
夫が残した資産は、すでに今回の事件の賠償や裁判費用、そして邸宅維持費などでほとんどが費やされ、すでに没収寸前の状態だった。 「そんな……! 私に、払えるわけが……!」 シャルテは、再び深い絶望の淵に突き落とされた。
だが、学校は、彼女に救済措置を提示した。 「シャルテ・フェルヴィス。君の才能は、我々学園にとって計り知れない価値がある。しかし、秩序を乱した罪は償ってもらわねばならない。」 学園長イグナティウス・ルミナスは、静かに告げた。
「君は、初学年から魔法学校の学びをやり直すこと。そして、その初学年からの全ての学年において、首席の成績を維持し続けるならば、今までの学費、そして今後の学費を全て免除する。」
シャルテは息をのんだ。首席を維持するだけでも並大抵の努力では不可能だ。ましてや、一度卒業寸前まで行った学年を、初めからやり直す屈辱。 そして、さらに恐ろしい条件が付け加えられた。
「しかし、もしこの約束を一度でも破った場合、今までの請求額に加え、初学年からの学費も上乗せして全て請求する。その際、君は学園を永久追放されることになるだろう。」
それは、あまりにも厳しく、あまりにも過酷な条件だった。失敗は許されない。完璧な成績を維持し続けなければ、彼女は破滅する。 シャルテは、目の前にそびえ立つ巨大な壁に、呆然とした。
だが、その時、隣に立つ友人たちの顔がシャルテの脳裏に浮かんだ。イグニスの励ましの声、シルヴァンの優しい眼差し、セフィアの知的な助言、フローラの明るい笑顔、そしてアストライアの力強い存在。
「一人じゃない……。」
シャルテは、そっと呟いた。もう、彼女は一人ではなかった。
かつて、愛する夫を蘇らせるために、命を懸けた「狂愛」に突き動かされたシャルテ。しかし、今は違う。友という新たな光と絆を得て、自分の人生を、自分の力で切り開くための「戦い」が、今、まさに始まったのだ。
シャルテの白銀の髪は、決意を秘めた瞳の輝きを映し、力強く揺れていた。 彼女の物語は、ここから、新たな章へと突入する。
運命の出会い
魔法学校での再出発。シャルテは初学年に戻され、以前のような輝きを失っていた。学費のプレッシャーが重くのしかかり、心は閉ざされていた。周囲の生徒たちは、幼い見た目のシャルテがなぜ初学年にいるのか不思議そうな目を向けるが、彼女はそれらに構うことなく、ただひたすら首席の座を目指すことだけに集中していた。
授業は、以前学んだ内容の繰り返しが多く、シャルテにとっては退屈なものだった。しかし、決して手を抜くことはできない。一つでも成績を落とせば、全てが終わる。そんな緊張感の中で、彼女はひたすら教科書と向き合い、魔法の練習に打ち込んだ。
ある日の魔法実技の授業中、思わぬ事故が起きた。初学年向けの初歩的な魔法陣の展開訓練だったが、シャルテは学費問題の重圧からくる集中力の欠如と、過去の禁忌魔法への執着が心の奥底で燻っていたため、僅かに制御を誤ったのだ。彼女が展開しようとした光の魔法陣は、本来の輝きを失い、不気味なほどに膨れ上がり、周囲の生徒たちを巻き込みそうな勢いで暴走し始めた。
「きゃあああ!」
「危ない!」
悲鳴が上がり、生徒たちが慌てて散り散りになる。教師が駆けつけようとするが、間に合わない。その瞬間、一人の上級生が颯爽と現れ、暴走する魔法陣とシャルテの間に割って入った。彼は落ち着いた動作で杖を構え、流れるような詠唱と共に、強力な防御魔法を展開した。暴走していた魔法は、まるで嵐が嘘のように静まり、光の粒子となって消え去った。
「大丈夫かい? 怪我はないか?」
差し伸べられた手を取り、シャルテが顔を上げた瞬間、時間が止まった。目の前に立っていたのは、銀色の髪に、アークレイと同じ色の深い青い瞳を持つ青年だった。その顔立ちは、亡き夫アークレイに瓜二つ。彼は穏やかな笑顔を浮かべ、シャルテの顔を覗き込んでいた。
「僕はスコット・アーレイ・バーク。君は……シャルテ・フェルヴィス、だね? 無事でよかった。」
スコットの声も、アークレイの記憶を呼び起こすように優しく、その落ち着いた口調と、相手を慮るような眼差しは、アークレイが生きていた頃と寸分違わぬものだった。シャルテの心臓は激しく打ち鳴り、凍りついていた心が、瞬く間に溶けていくような感覚に陥った。
まるで、時が巻き戻り、アークレイがそこにいるかのような錯覚に陥った。これが、彼女とスコットの運命的な出会いだった。彼の存在は、シャルテの心に、忘れかけていた温かい光を再び灯したかのようだった。
実技の授業が終わり、ざわめきが収まると、教師がスコットに感謝を述べた。スコットはにこやかにそれに応え、シャルテに再び視線を向けた。
「あの、スコット先輩……ありがとうございました。私の未熟さのせいで、ご迷惑を……」
シャルテが俯きがちに言うと、スコットはそっと彼女の頭に手を置いた。その手の温かさと、どこか懐かしい感触に、シャルテの心臓は再び高鳴る。
「大丈夫だよ、シャルテ。誰にでも失敗はある。それに、君の魔法には並々ならぬ力がある。ただ、それを制御する術をまだ完全に身につけていないだけだ。これからいくらでも練習できるさ。」
彼の声は、アークレイがかつて、新しい魔法を覚えたてのシャルテを励ます時と全く同じ響きを持っていた。優しく、しかし確固たる自信に満ちたその言葉は、シャルテの心を強く揺さぶった。彼の瞳は、アークレイのそれと同じように、深い知識と温かい光を宿しているように見えた。
その日から、シャルテの学園生活は一変した。以前はひたすら図書館に籠り、孤独に研究に没頭していた彼女だが、スコットと出会ってからは、彼の姿を探すことが日常になった。
「スコット先輩、今日の放課後、少しお時間をいただけませんか? 先ほどの実技で、どうしても理解できない部分があって……」
「スコット先輩、この魔法理論について教えてください。先輩の解釈が、一番しっくりくるんです。」
些細なことでもスコットに助言を求め、彼の傍にいることを望んだ。スコットはいつも快く応じてくれた。彼は常に親身になってシャルテに接し、その才能を認め、時には厳しく、しかし温かく指導してくれた。彼の指導の仕方、言葉の選び方、困っている時にそっと手を差し伸べるタイミングまでが、まるでアークレイがそこにいるかのように自然で、シャルテは深く安堵した。
学費問題という重圧は常にシャルテの肩にのしかかっていたが、スコットの存在は、その重荷を一時的に忘れさせてくれる唯一の存在だった。彼と話している間だけは、過去の悲劇も、未来への不安も、遠い幻のように感じられた。スコットにとって、シャルテは亡き夫の「面影」であるだけでなく、頼れる「指導者」であり、精神的な「支え」となっていった。
夜、巨大な邸宅で一人過ごす際、シャルテはよくアークレイの写真とスコットの姿を重ね合わせた。「アークレイが生きていたら、きっとスコット先輩のように優しく、そして時に厳しく導いてくれただろう」。そんな幻想を抱き、スコットの中にアークレイを見出すことで、孤独や学費のプレッシャーから逃れようとしていた。
彼女の表情には、以前よりも笑顔が増えた。友人たちは、シャルテの変化を心から喜んだ。
「シャルテ、最近元気になったね! スコット先輩のおかげかな?」
フローラが天真爛漫に尋ねた。
「ええ……スコット先輩には、本当に感謝しているわ。彼のおかげで、私も少し前向きになれた気がする。」
シャルテはそう答えたが、その言葉には、まだアークレイの面影を追い求める、どこか不安定な響きが混じっていた。アストライアは、そのシャルテの微妙な心の揺れを敏感に察知していたが、今は見守ることに徹していた。
スコットの指導は的確で、シャルテの学業成績はみるみるうちに向上していった。彼はただ魔法の知識を教えるだけでなく、シャルテがなぜその魔法を使いたいのか、どんな未来を望んでいるのか、深い部分まで理解しようと努めているように感じられた。
それは、アークレイがかつて、シャルテの小さな夢や、漠然とした好奇心にも真摯に耳を傾けてくれた時と全く同じだった。シャルテは、スコットがアークレイの生まれ変わりなのではないかとさえ思うようになった。
彼女の心は、学費地獄という現実的な問題と、亡き夫の面影を追う甘美な幻想との間で揺れ動いていた。しかし、スコットの存在は、そんな彼女にとって、抗いがたいほどに魅力的な光だった。彼の傍にいることが、何よりも心を落ち着かせ、彼女に力を与えてくれたのだ。
依存の兆し
スコット・アーレイ・バークは、後輩のシャルテ・フェルヴィスの才能に、純粋な驚きと尊敬の念を抱いていた。彼女は幼い見た目とは裏腹に、魔法の深淵を覗き込もうとするかのような鋭い洞察力と、一度教えたことは決して忘れない驚異的な記憶力を持っていた。
彼女が禁忌に手を染め、その代償として初学年に戻されたという話は学園中に広まっていたが、スコットは彼女の過去よりも、目の前の才能に惹かれていた。
最初は、熱心な後輩としてシャルテを受け止めていたスコットだったが、次第に彼女の言動の端々に、妙な「既視感」を覚えるようになる。シャルテが話す些細な悩みや、魔法に対する質問の仕方が、まるで過去に自分が誰かと交わした会話のようだったり、彼女が自分を見るその瞳に、単なる尊敬以上の、もっと深い、ある種の「求める」感情が宿っているように感じられた。
ある日のことだった。図書館で魔法陣に関する資料を読み込んでいたシャルテが、ふと顔を上げてスコットに問いかけた。
「スコット先輩、この古代魔法の図式……アークレイがよく言っていたんです。『術者の魂の形を模している』と。先輩も、そう思われますか?」
シャルテは、無意識のうちに亡き夫の名前を口にしていた。スコットは一瞬、言葉を失った。彼は、シャルテの友人たちから、彼女が過去に夫を亡くしていること、そしてその夫が自分と容姿が瓜二つであることを聞いていた。しかし、まさか性格や考え方まで似ているとまで、シャルテが感じ取っているとは。
「アークレイ、というのは……君のご主人のことかい?」
スコットは、慎重に問い返した。シャルテはハッとしたように口元を覆い、顔を赤らめた。
「すみません、つい……。はい、私の夫でした。先輩と、とてもよく似ていたもので……その、外見だけでなく、考え方も、話し方も……」
シャルテは言葉を濁したが、その瞳は、スコットの中にアークレイの面影を必死に探していることを物語っていた。スコットの胸に、複雑な感情が渦巻いた。自分の存在が、彼女の悲しみを癒す一助となっているのなら、それは喜ばしいことだ。しかし、彼自身が「亡き夫の代わり」として見られているのだとしたら、それは健全ではない。自分はアークレイではない。
その日を境に、スコットはシャルテへの接し方を少しずつ変えていった。
「シャルテ、その魔法陣の制御についてだが、僕が答えを教えるよりも、君自身でいくつかの仮説を立てて、試してみる方が良い。失敗を恐れず、試行錯誤してみるんだ。」
以前なら、すぐに具体的な解決策を提示していた場面でも、スコットはシャルテが自力で考え、答えを導き出すことを促した。また、彼女が感情的に助けを求めてくるような時も、すぐに手を差し伸べるのではなく、まずは彼女自身の言葉で状況を説明させ、冷静になるよう促すことが増えた。
それは、シャルテの自立を促し、彼女がアークレイの面影に囚われるのではなく、自分自身の足で未来へ進むことを望む、スコットなりの配慮だった。彼の言葉は、アークレイに似た穏やかな口調でありながら、そこに宿る意志はスコット自身のものだった。
シャルテは、初めは戸惑った。スコットが以前のように無条件に甘やかしてくれないことに、寂しさや不満を感じることもあった。まるで、アークレイが自分から遠ざかっていくような、漠然とした不安に襲われることもあった。しかし、スコットが自分をひとりの人間として、そして独立した魔法使いとして見てくれていることに、次第に気づき始める。
同時に、学費地獄という現実が、シャルテを容赦なく追い詰めていた。初学年から首席を維持するという条件は、想像以上に過酷だった。日々の課題、膨大な量の参考書の読破、実技訓練の反復。少しでも気を抜けば、すぐに他の優秀な生徒に追いつかれてしまう。深夜まで邸宅の書斎に籠もり、魔法陣を何度も描き直すうちに、彼女の体は鉛のように重くなっていった。
ある晩、疲労困憊で机に突っ伏して眠ってしまったシャルテは、翌朝、友人たちからの電話で目を覚ました。
「シャルテ、大丈夫? 昨日から連絡が取れなくて、みんな心配してるのよ。」
イグニスの声が、スピーカー越しに聞こえてきた。その声に、シャルテは初めて、自分がどれほど追い詰められていたかに気づいた。スコットへの依存は、たしかに彼女を支えてくれたが、同時に、彼女自身の内面の脆弱さを隠すための盾でもあったのだ。
彼女は、スコットが意図的に距離を置いていることに気づいていた。それは、突き放されているわけではなく、むしろ、彼女が自力で立ち上がるための「突き放し」なのだと理解し始めていた。アークレイならば、きっと自分の側にいて、慰めてくれただろう。
しかし、スコットはそうしない。その違いが、シャルテの心の奥底に、スコットへの新たな感情を芽生えさせるきっかけとなった。アークレイの面影ではなく、スコットという一人の人間として、彼を認識し始めた瞬間だった。
友人たちは、シャルテの変化を注意深く見守っていた。イグニスは時々、シャルテの顔色を心配そうに覗き込み、「無理しすぎじゃない?」と声をかけた。シルヴァンは黙って温かいハーブティーを淹れてくれたり、シャルテが集中できるようにと静かに隣で本を読んでくれた。
セフィアは、シャルテが学業で行き詰まっていると察すると、関連する難解な魔術書をさりげなく置いていった。フローラは、いつものように明るい笑顔で「シャルテの笑顔が一番だよ!」と無邪気に抱きついてきた。
そして、アストライアは、シャルテとスコットの関係の変化に気づきながらも、今は静かに見守ることに徹していた。彼女たちは、シャルテの心の奥底に、新たな光が灯りつつあることを感じ取っていた。
スコットの「突き放し」は、シャルテにとって苦しいものだった。しかし、その苦しみは、彼女を過去の亡霊から解放し、自らの足で立つ力を与えるための、必要な過程だった。
彼女は、スコットがアークレイに似ているからではなく、スコットという人間そのものに、惹かれていることに気づき始めていた。彼の穏やかながらも芯のある言葉、何事にも真摯に向き合う姿勢、そして、自分自身の成長を真剣に願ってくれるその眼差し。それは、アークレイがいた頃の甘い依存とは違う、新たな感情の芽生えだった。
学費問題は、シャルテを容赦なく追い詰めていた。初学年から全ての学年で首席を維持するという条件は、想像以上に過酷だった。日々の課題、膨大な量の参考書の読破、実技訓練の反復。少しでも気を抜けば、すぐに他の優秀な生徒に追いつかれてしまう。深夜まで邸宅の書斎に籠もり、魔法陣を何度も描き直すうちに、彼女の体は鉛のように重くなっていった。目下の目標は、何よりもまず初学年の首席の座を確固たるものにすることだった。
ある日、難解な古代魔術の論文課題が出され、シャルテは徹夜で取り組んでいた。資料を読み漁り、複雑な図式を解読するうちに、頭の中が痺れるように麻痺していく。疲労と焦りから、手が震え、ペンが滑り落ちた。
「くっ……もう、無理……」
机に突っ伏し、シャルテは小さくうめき声を上げた。このままでは、首席を逃してしまうかもしれない。学園を永久追放され、夫が遺した邸宅まで失う。そんな未来が、鮮明に脳裏に浮かび、絶望感が胸いっぱいに広がった。
その時、コンコン、とノックの音がした。顔を上げると、書斎の扉の前にスコットが立っていた。彼の手には、温かい紅茶のカップと、焼きたてのクッキーが乗った小皿が持たれている。
「シャルテ、まだ起きていたのか。まさかとは思ったが、やはりね。」
スコットは穏やかな笑顔でそう言い、音を立てずに部屋に入ってきた。彼がここまで来たのは、友人のイグニスがシャルテの異変を察し、スコットに連絡していたからだった。イグニスは、スコットがシャルテにとって特別な存在であることを理解し、彼の介入が最も効果的だと判断したのだ。
スコットは、シャルテの散らかった机の上を片付け、紅茶とクッキーを置いた。ふわりと漂う甘い香りに、シャルテの強張った体が少しだけ緩んだ。
「無理しすぎだ。少し休んだらどうだ?」
「でも……時間が……。この課題を落とせば、もう……」
シャルテは、震える声で答えた。スコットは椅子を引き、シャルテの隣に腰掛けた。彼の顔は、疲労で青ざめたシャルテとは対照的に、落ち着きと温かさに満ちていた。
「君が背負っているものの重さは、理解しているつもりだ。だが、体調を崩してしまえば、元も子もない。それに、課題を解決する手段は、決して一つではない。焦らず、別の視点から考えてみることも大切だよ。」
スコットは、シャルテの課題を見ながら、具体的な答えを教えるのではなく、ヒントを与え、彼女自身が思考を深めるよう促した。彼は、アークレイが生きていた頃、シャルテが新しい魔法を学ぶ際に、常に隣で支え、共に考えてくれた時と全く同じように、彼女のペースに合わせてくれた。彼の言葉一つ一つが、まるでアークレイがそこにいるかのように、シャルテの心に響いた。
しかし、その時、シャルテの心に、これまでとは違う明確な感情が芽生えていた。それは、アークレイへの追憶とは異なる、「スコット・アーレイ・バーク」という一人の人間への、純粋な憧れと、温かい感情だった。 彼が自分を信じ、共に困難に立ち向かおうとしてくれるその姿勢が、ただ「似ている」という理由だけでは説明できないほどの、強い引力でシャルテの心を掴んだ。
徹夜明け、課題を無事に提出できたシャルテは、スコットに深々と頭を下げた。
「スコット先輩……本当に、ありがとうございます。先輩がいなければ、私はきっと……」
「頑張ったな、シャルテ。」
スコットは、再びシャルテの頭を優しく撫でた。その手は、アークレイの手とは違う、「スコットの手」の温かさを確かに感じさせた。アークレイの面影を追いかけるのではなく、スコット自身の言葉、笑顔、そして彼が自分を信じてくれるその瞳に、シャルテの心は強く惹かれていった。
真実の愛、新たな誓い
首席の座を維持するという過酷な条件は、シャルテにとって途方もない努力を要するものであり、その過程で彼女は多くの困難に直面した。しかし、彼女はもう一人ではなかった。
スコットは、シャルテの最も近くで、常に彼女を支え続けた。彼は、シャルテが学業で壁にぶつかった時、共に図書館で資料を探し、魔法陣の応用を議論した。体調を崩しかけた時には、温かい食事を差し入れ、無理に話そうとしないシャルテの傍で、ただ静かに寄り添った。彼の存在は、シャルテにとって、学費の重圧から解放される唯一の場所であり、彼女が自身を信じ、前へ進むための揺るぎない支えとなっていった。
友人たちもまた、シャルテの成長を喜び、全力でサポートした。イグニスは学園の最新情報をいち早く伝え、シルヴァンは静かに勉強を教え、セフィアは魔法理論の奥深さを共に探求し、フローラは明るい笑顔でシャルテを励まし続けた。アストライアは、シャルテがスコットに依存するのではなく、彼という一人の人間として慕い始めていることを感じ取り、密かに安堵していた。
シャルテは、スコットと共に過ごす日々の中で、彼の新たな一面を知るたびに、アークレイの面影と彼の姿を重ねるのではなく、スコット・アーレイ・バークという、独立した魅力を持つ一人の青年として彼を愛していることを自覚していった。スコットはアークレイに似ている。だが、彼はアークレイではない。そして、その違いこそが、シャルテの心を強く惹きつけたのだ。
アークレイへの愛は、彼女の命を犠牲にしてでも取り戻したいと願う、狂おしいまでの執着だった。しかし、スコットへの愛は、共に困難を乗り越え、共に未来を築いていきたいと願う、温かく、確かな愛情だった。
ある日の夕暮れ、学園の屋上から街の灯りを見下ろしながら、シャルテはスコットの隣に立っていた。夕焼けに染まる空の下、二人の間には心地よい沈黙が流れていた。
「スコット先輩……」
シャルテは意を決して、彼に呼びかけた。スコットが、優しく視線をシャルテに合わせた。
「私……先輩のことが、好きです。アークレイに似ているから、だけじゃありません。先輩の、その優しさも、厳しさも、私が前に進めるように導いてくれるその全部が……好きです。」
シャルテの瞳は、夕焼けの光を受けて輝いていた。それは、かつてアークレイを蘇らせようとした狂気の輝きではなく、真実の愛を見つけた者だけが持つ、清らかな輝きだった。
スコットは、シャルテの言葉に驚き、そして深い安堵の表情を浮かべた。彼はゆっくりとシャルテの手を取り、その柔らかな指を包み込んだ。
「シャルテ……ありがとう。僕も、君のことが好きだ。君が初めて僕に会った時、君の瞳の中に、悲しみと、そして途方もない強さを感じた。君が過去の悲しみから解放され、自分自身の足で未来へ進もうと努力する姿を、ずっと見ていた。僕の中に、亡き夫の影を追いかける君を見て、どうすれば君を導けるか、ずっと考えていたんだ。君が、僕自身を見てくれる日が来ることを、願っていた。」
スコットの言葉は、飾らない、素直な愛情に満ちていた。彼は、シャルテの依存を理解し、その上で彼女の自立を促し、そして、彼女が自分自身を愛してくれることを静かに待っていたのだ。
二人の関係は、過去の亡霊から解放され、真の愛情に基づいた「恋人」へと変化していった。赤い紋様が刻まれたシャルテの頬に、スコットがそっと口づけを落とした。その紋様は、もはや悲しい過去の象徴ではなく、愛する夫と過ごした記憶、そしてそれを乗り越え、新たな愛を見つけたシャルテ自身の証として、静かに輝いていた。
学費問題は、依然として二人の前に立ちはだかる大きな壁だった。しかし、シャルテはもう、一人ではなかった。スコットと、そして温かい友人たちがいる。彼女は、この過酷な試練も、きっと乗り越えられると信じていた。
「学園を卒業したら、私、首席で卒業して、先輩と一緒に、誰かを救う魔法使いになりたいです。」
シャルテは、スコットの手を握りしめ、笑顔でそう言った。スコットもまた、強く頷き、未来を見据えるシャルテの瞳に、確かな光が宿っているのを見ていた。
彼女の物語は、ここから、新たな章へと突入する。真の愛を見つけた彼女の「無双」は、これからが本番なのだ。
シャルテとスコットが恋人同士になってからも、学園生活の厳しさは変わらなかった。むしろ、首席の座を守るというプレッシャーは、日を追うごとに増していくようだった。初学年の首席を無事に獲得したシャルテだが、それはあくまで始まりに過ぎない。学年が上がるごとに、魔法の難易度は増し、ライバルたちの実力も上がっていく。
朝は誰よりも早く図書館に赴き、閉館まで資料を読み漁る。授業中は一言一句聞き漏らすまいと集中し、放課後は実技訓練に時間を費やした。邸宅に戻ってからも、深夜まで魔法陣の練習を繰り返す。そんな過酷な日々の中で、シャルテの唯一の癒しであり、最大の支えとなったのがスコットの存在だった。
スコットは、シャルテの勉強に付き合い、時には彼女の論文の添削を手伝い、時には共に新しい魔法の応用について議論した。彼は決して答えを安易に教えることはせず、シャルテ自身が考える力を養うことを促した。
「シャルテ、この魔法陣の構造は、もっと効率化できるはずだ。君なら、きっとその答えを見つけられる。」
スコットの言葉は、常にシャルテの潜在能力を信じ、彼女の限界を引き上げようとするものだった。それは、かつてアークレイがシャルテに魔法の奥深さを教え、彼女の好奇心を刺激してくれた時と重なる部分があった。しかし、今はそこに、恋人としての温かい眼差しと、共に未来を築こうとする確かな意志が加わっていた。
二人の関係は、学園の生徒たちの間でも公然の秘密となっていた。幼い見た目のシャルテと、学園で一目置かれる上級生のスコット。最初は好奇の目で見られることもあったが、二人が共に勉学に励み、互いを支え合う姿は、次第に周囲の尊敬を集めるようになっていった。
友人たちも、二人の関係を温かく見守っていた。イグニスは、二人のデートの計画を立てる手伝いをしたり、シルヴァンは、疲れたシャルテのために手作りのクッキーを差し入れ、セフィアは、二人の魔法理論の議論に加わり、フローラは、二人の幸せそうな姿を見るたびに「私も早く素敵な人を見つけたいな!」と目を輝かせた。アストライアは、シャルテが過去の執着から完全に解放され、スコットと共に真の幸福を見つけつつあることを感じ取り、心から喜んでいた。
学園祭の準備期間中、シャルテは学年代表として、複雑な魔法陣の設計を任された。それは、学園の歴史の中でも前例のない規模のプロジェクトであり、首席の彼女にしかできない大役だった。しかし、そのプレッシャーは想像を絶するものだった。連日徹夜が続き、シャルテの顔には疲労の色が濃く浮かび始めた。
「シャルテ、少し休んだらどうだ? このままでは、体がもたない。」
スコットが心配そうに声をかけたが、シャルテは首を横に振った。
「大丈夫よ、スコット先輩。これは、学費を免除してもらうための、私に課せられた試練でもあるから。それに、私にしかできないことだもの。」
彼女の瞳には、疲労の奥に、強い責任感が宿っていた。スコットは、そんなシャルテの真っ直ぐな瞳を見て、彼女の決意を尊重することにした。彼は、シャルテの隣に座り、共に魔法陣の設計図を広げた。
「一人で抱え込むな。僕もいる。君の負担を少しでも減らせるなら、何でも言ってくれ。」
スコットは、そう言って、シャルテの冷たくなった手をそっと握りしめた。彼の温かい手が、シャルテの心にじんわりと温かさを広げた。彼は、単なる指導者ではなく、彼女の苦しみを分かち合い、共に乗り越えようとしてくれる、かけがえのない存在だった。
学園祭当日、シャルテが設計した魔法陣は、見事に成功を収めた。色とりどりの光が夜空を彩り、生徒たちの歓声が学園中に響き渡った。シャルテは、その光景をスコットの隣で見ていた。達成感と安堵感で胸がいっぱいになり、彼女はスコットの腕にそっと頭を預けた。
「先輩……私、やり遂げました。」
「ああ、よくやった。君は本当に素晴らしい。」
スコットは、シャルテの髪を優しく撫で、その小さな肩を抱き寄せた。その瞬間、シャルテは、アークレイの面影を完全に乗り越え、スコットという一人の人間を心から愛していることを、改めて実感した。彼の存在は、彼女の過去の悲しみを埋めるためではなく、彼女自身の未来を照らす光となっていた。
シャルテは、その後も首席の座を揺るぎなく維持し続けた。学年が上がるごとに、彼女の魔法の腕前は飛躍的に向上し、その才能は学園中の誰もが認めるところとなった。彼女は、もはや「禁忌に手を染めた幼女」ではなく、「学園の至宝」と呼ばれる存在になっていた。
学費地獄というプレッシャーは、常に彼女の原動力であり続けたが、それはもはや彼女を縛り付けるものではなかった。むしろ、その困難を乗り越えるたびに、彼女は自信を深め、スコットとの絆を強めていった。
スコットもまた、シャルテの成長を間近で見守り、彼女の努力を誰よりも理解していた。彼は、シャルテが学園の頂点に立つまでの道のりを、共に歩み、支え続けた。二人の関係は、単なる恋人というだけでなく、互いを高め合う、唯一無二のパートナーとなっていた。
卒業を間近に控えたある日、スコットはシャルテを学園の裏庭にある、秘密の場所に連れて行った。そこは、満開の星屑花が咲き誇る、幻想的な場所だった。
「シャルテ、君に渡したいものがある。」
スコットは、そう言って小さな箱を取り出した。箱の中には、星屑花の形をした、繊細な銀の指輪が収められていた。
「これは……?」
シャルテが息をのんで見つめると、スコットは優しく微笑んだ。
「君が、首席の座を維持し続け、無事に学園を卒業できた暁には、僕と結婚してほしい。」
シャルテの瞳から、大粒の涙が溢れ落ちた。それは、喜びと感動の涙だった。かつてアークレイと交わした「既婚者の証」の紋様が刻まれた頬を、スコットがそっと指でなぞる。
「アークレイとの誓いは、君の心の中で永遠に生き続けるだろう。だが、僕との誓いは、君の未来を共に歩むためのものだ。君が、過去の悲しみを乗り越え、僕という一人の人間を選んでくれたこと、心から感謝している。」
シャルテは、スコットの言葉に深く頷いた。彼女はもう、アークレイの面影をスコットに重ねることはない。スコットはスコットであり、彼自身が、彼女にとってかけがえのない存在なのだ。
「はい……喜んで。スコット先輩と、共に未来を歩みたいです。」
シャルテは、指輪を受け取り、スコットの胸に飛び込んだ。星屑花の香りが二人の周りを包み込み、夜空には満点の星が輝いていた。
数年後、シャルテは学園を首席で卒業し、学費地獄から完全に解放された。彼女はスコットと共に、困っている人々を救う魔法使いとして、世界中を旅するようになった。幼い見た目のままのシャルテと、その隣で常に穏やかに微笑むスコット。二人の姿は、多くの人々に希望と安らぎを与えた。
シャルテの顔に刻まれた赤い紋様は、もはや悲劇の象徴ではない。それは、愛する夫と過ごした記憶、そしてそれを乗り越え、新たな愛を見つけた彼女自身の、そしてスコットとの真実の愛の証として、静かに、しかし力強く輝き続けていた。
二人の物語は、まだ始まったばかりだ。
卒業後、シャルテとスコットは、すぐに「困っている人々を救う魔法使い」としての活動を始めた。巨大なシャルテの邸宅の一部を事務所兼住居とし、看板にはシンプルに「フェルヴィス魔法相談所」と掲げた。初めのうちは、依頼はほとんど来なかった。
学園を首席で卒業したという評判はあったものの、それは魔法界の狭い世界での話だ。一般の人々にとって、幼い見た目のシャルテと、まだ若いスコットに、大事な問題を任せるのは不安だったのだろう。
特に、シャルテの顔にある赤い紋様は、しばしば人々の視線を集めた。学園では「既婚者の証」という共通認識があったが、一般社会ではそうではない。
「あれは何の印だ?」「まさか、何か呪いの類か?」といった陰口が聞こえてくることもあった。彼女が過去に禁忌の魔法に手を染めたという噂は、不思議と広まっており、それがさらに偏見を助長した。
ある日、事務所の扉を叩いたのは、背を丸めた老夫婦だった。顔には深いしわが刻まれ、その瞳は不安と諦めが入り混じっていた。
「あの……こちらで、魔法の相談を承っていると伺いましたが……」
老婦人がおずおおずと切り出した。
「はい、フェルヴィス魔法相談所です。どのようなご用件でしょうか?」
シャルテは、できるだけ穏やかな声で応えた。スコットは、老夫婦のために椅子を引き、温かいハーブティーを淹れて差し出した。
老夫婦が語ったのは、小さな村で長く飼っていた愛犬が、突然姿を消してしまったという、些細な依頼だった。しかし、彼らにとっては、かけがえのない家族だった。警察にも相談したが、取り合ってもらえず、藁にもすがる思いで魔法使いを訪ねたのだという。
「どうか、この子を見つけてやってくださいませんでしょうか。もう、年寄りの私たちには、探す気力もなくて……」
老婦人の言葉に、シャルテの胸に温かいものが込み上げた。かつてアークレイを失った時の絶望を思い出す。小さな命であっても、大切な存在を失う悲しみは、計り知れない。
「分かりました。必ず、見つけ出します。」
シャルテは、力強く頷いた。スコットも隣で、真剣な表情で老夫婦の言葉に耳を傾けていた。
この依頼は、決して高額な報酬が望めるものではなかった。むしろ、交通費を考えれば赤字になるかもしれない。しかし、シャルテにとっては、これが「困っている人々を救う魔法使い」としての第一歩だった。
翌日、シャルテとスコットは、老夫婦の案内で村を訪れた。村はずれの小さな家から、周囲の森へと足を踏み入れる。
「この子は、よくこの森で遊んでおりまして。でも、こんなに奥まで行くことはなかったのですが……」
老夫婦の声は、途中で途切れた。
シャルテは、まず愛犬が最後に目撃された場所を中心に、魔力の痕跡を探知する魔法を使った。空気中に残されたわずかな痕跡を辿ると、犬が森の奥深くへと進んだことが分かった。
「随分奥に入っていますね……何があったのでしょうか。」
スコットは、周囲の木々の様子を注意深く観察しながら呟いた。獣道は次第に険しくなり、日差しも届かないほど鬱蒼とした場所へと入っていく。
その時、シャルテの視界の隅に、微かな光の粒子が瞬いた。彼女は、直感的にその光の方向へと足を向けた。スコットも、シャルテの異変に気づき、すぐに後を追った。
光の粒子は、森の奥深くにある、小さな洞窟の入り口へと導いていた。洞窟の中はひんやりとしており、奥から弱々しい鳴き声が聞こえてくる。
「ここにいる!」
シャルテは、声を上げて洞窟の奥へと駆け込んだ。そこにいたのは、愛犬のルルだった。足に怪我を負い、動けない状態で、小さく震えていた。
「ルル!」
老夫婦が駆け寄り、愛犬を抱き上げた。彼らの目からは、安堵の涙が溢れていた。
「よかった、本当に……ありがとう、ありがとう、シャルテさん!スコットさん!」
何度も頭を下げる老夫婦に、シャルテは優しく微笑んだ。
「無事に見つかって、本当によかったです。」
スコットは、すぐにルルの怪我を手当てする治癒魔法をかけた。傷は見る見るうちに癒え、ルルは元気に尻尾を振り始めた。
邸宅に戻り、老夫婦が心ばかりの謝礼を差し出そうとしたが、シャルテは首を横に振った。
「お気持ちだけで十分です。ルルが無事で、皆さんが笑顔になってくれたことが、何よりの報酬ですから。」
老夫婦は、感謝の言葉を述べ、深々と頭を下げて帰っていった。
初めての依頼を終え、シャルテとスコットは連れ立って夕食の準備をしていた。スコットが野菜を切り、シャルテがスープを温める。穏やかな時間が流れる。
「初めての依頼が、まさか迷子の犬探しとはね。」
スコットが楽しそうに笑った。
「ええ。でも、あのお二人の笑顔を見たら、どんな大きな魔法よりも価値があるって思いました。」
シャルテは、心からそう言った。彼女の顔の赤い紋様が、夕食のランプの光に照らされて、微かに輝いているように見えた。もはやそれは、悲しみの証ではなかった。人々の喜びと、シャルテ自身の成長を映し出す、温かい光のように感じられた。
この小さな成功は、シャルテとスコットにとって大きな自信となった。しかし、世間の目はまだ厳しかった。
「あのフェルヴィス魔法相談所? 迷子のペット探ししかできないらしいわよ。」
「あそこにいるのは、学園から保護観察を受けてる娘なんでしょう? 頼るなんてとんでもない。」
そんな陰口は、町のあちこちで囁かれていた。依頼は相変わらず少なく、時には、彼らを試すような、あるいは侮辱するような内容のものが舞い込むこともあった。
「子ども同然の見た目で、何ができるっていうんだ?」
ある日、面と向かってそう言われた時、シャルテの心は深く傷ついた。学園で首席を極めた彼女のプライドは、現実社会の冷たさによって、容赦なく打ち砕かれていく。アークレイを失った孤独とは違う種類の、心が擦り切れるような苦しみがそこにはあった。
スコットは、そんなシャルテの隣で、常に冷静に、そして温かく支え続けた。
「シャルテ、気にすることはない。人は、見た目や噂だけで判断するものだ。だが、君の力は、必ず誰かの役に立つ。今はまだ、その機会がないだけだよ。」
彼の言葉は、常にシャルテの心に温かい光を灯した。スコットは、彼女が傷つくたびに、優しく抱きしめ、静かに励まし続けた。彼の手は、アークレイの手とは違う、確かな温もりでシャルテを包み込み、彼女が一人ではないことを教えてくれた。
友人たちも、離れた場所から彼らを支えた。イグニスは、噂の出所を探ってくれたり、彼らに有利な情報を流してくれた。シルヴァンは、定期的に温かい手紙を送ってくれ、その文面からは変わらぬ友情が感じられた。
セフィアは、難解な魔法理論の書物を送ってくれ、「いつかきっと、君の知識が必要とされる日が来る」と励ました。フローラは、何も言わずにただ美しい花束を届け、その明るい色合いがシャルテの心を癒した。アストライアは、彼らの活動を遠くから見守り、時に学園の教師たちと交渉し、彼らに有利な状況を作り出そうとしてくれていた。
最初の大きな依頼:心の癒しと過去の影
数ヶ月が経ち、相変わらず大きな依頼は来ない日々が続いていたある秋の日のことだった。事務所の扉が激しく叩かれた。そこに立っていたのは、見慣れない青年だった。彼は顔を真っ青にして、肩で息をしていた。
「魔法使いの方ですか! お願いです! 私の村を、村を救ってください!」
青年は、半ば悲鳴のような声でそう訴えた。シャルテとスコットは、すぐに彼を中に招き入れ、落ち着かせようとした。彼が語ったのは、ゾッとするような話だった。
彼の故郷である「忘却の里」と呼ばれる小さな村で、原因不明の「心の病」が流行しているというのだ。最初は些細な物忘れから始まったが、次第に人々の記憶は深く蝕まれ、やがては自分たちの名前すら忘れてしまう。
家族の顔を忘れ、愛する人の存在を忘れ、ついには自分自身が何者であるかも分からなくなる。村人たちは、まるで生きた人形のように、虚ろな目をして日々を過ごしているという。
「どうか、この病を治してください……このままでは、村が消滅してしまいます!」
青年の瞳からは、絶望の色が滲み出ていた。彼の言葉を聞きながら、シャルテの胸に、かつてアークレイを失った時の、世界の色彩が失われるような感覚が蘇った。記憶を失うということは、その人自身の存在が消え去るに等しい。それは、死にも勝る苦しみではないだろうか。
「分かりました。私たちが行きましょう。」
シャルテは、迷いなく答えた。スコットも頷き、すぐに旅の準備を始めた。報酬は期待できないだろう。しかし、彼らの心は、ただこの悲劇を止めたいという純粋な願いで満たされていた。
翌日、シャルテとスコットは、青年と共に忘却の里へと向かった。村に近づくにつれて、空気が重く、湿気を帯びてくるのを感じた。村の入り口には、花が咲き乱れるはずの畑が荒れ果て、活気が失われているのが一目で分かった。
村の中に入ると、彼らはその異様な光景に息をのんだ。人々は無表情で道を歩き、互いに視線を合わせることもない。子供たちは、遊び方も忘れ、ただ呆然と座り込んでいる。まるで、時間が止まったかのような静寂が、村全体を覆っていた。
「これが……忘却の病……」
シャルテは、思わず呟いた。顔の赤い紋様が、微かに熱を帯びたように感じられた。彼女の心の中に、村人たちの深い悲しみと、失われた記憶の断片が流れ込んでくるような感覚に襲われたのだ。それは、かつてアークレイの死を予感した時と似た、言いようのない心の痛みだった。
スコットは、村の魔力の流れに異常がないか、周囲を注意深く観察していた。
「シャルテ、この村の魔力の流れは、確かに淀んでいる。通常の病気とは違う、何らかの魔術的な要因があるはずだ。」
彼は、村の中心にある大きな広場へと足を向けた。広場の中心には、古びた石碑が立っており、その周囲には、人々の生活の痕跡がほとんど残されていなかった。
シャルテは、村人たち一人ひとりの顔を見て回った。彼らの瞳の奥には、かすかな光すら宿っておらず、まるで抜け殻のようだった。彼女は、かつて自分が深い悲しみと絶望に囚われていた時の自分と、彼らを重ね合わせた。この心を蝕む病は、まさに彼女が経験した「世界の色彩を失う」感覚の具現化に他ならない。
彼女は、直感的に、この病が単なる魔術的な呪いではなく、人々の感情、特に負の感情が魔力と結びついて具現化したものだと感じた。そして、その原因が、かつて彼女が触れた「星辰の書庫」の禁書と何らかの形で繋がっているような予感に襲われた。
「スコット先輩……この病は、もしかしたら、人の心の奥底にある、忘れたいと願う記憶が、形になって現れたものなのかもしれません。」
シャルテの言葉に、スコットは驚いたように彼女を見た。
「忘れたい記憶……?」
「はい。深い悲しみや後悔、罪悪感といった負の感情。それらが、積み重なり、村全体の魔力の淀みと結びついて、人々の記憶を奪っているのかもしれません。まるで、脳が、これ以上苦しむことから逃れるために、自ら記憶を消去しているかのように……」
シャルテの言葉は、単なる憶測ではなかった。それは、彼女自身が経験した、あまりにも深い絶望の淵で、全てを忘れ去りたいと願った心の叫びから生まれた直感だった。禁忌に手を染め、アークレイを蘇らせようとしたあの狂気も、ある意味では過去の悲しみから逃れようとする、極端な行動だったのだ。
「もしそうだとすれば、原因は村人の心にある……しかし、どうやってその感情を解き放つ?」
スコットは、腕を組み、考え込んだ。通常の治癒魔法では、物理的な傷や病は治せるが、心の奥底に根付いた感情を癒すことはできない。
シャルテは、自身の顔にある赤い紋様にそっと触れた。この紋様は、アークレイとの永遠の誓いであると同時に、彼女が経験した悲しみと執着の象徴でもあった。しかし、今は、スコットと友人たちとの出会いによって、それは「乗り越える力」の証へと変わりつつある。
彼女の魔法の特性もまた、変化していた。以前は破壊的な禁忌魔法に傾倒していたが、学園での学びと、スコットとの出会いによって、彼女の魔力は、感情や記憶に働きかける、繊細で強力な力を帯び始めていたのだ。
「私に、できることがあるかもしれません。」
シャルテは、決意の表情でスコットを見上げた。
「私の魔力は、人の心の奥底にある感情に、直接触れることができる気がします。まるで、共鳴するように……」
スコットは、シャルテの言葉に驚きを隠せないでいた。それは、これまで知られている魔法の範疇を超える、新たな可能性を示唆していたからだ。しかし、同時に危険も伴う。もしシャルテの感情が不安定であれば、村人たちの負の感情に引きずり込まれる可能性もゼロではない。
「だが、それは君自身にも大きな負担がかかるだろう。最悪の場合、君まで記憶を失う危険性がある。」
スコットは、シャルテの細い肩に手を置き、心配そうに言った。
「それでも、私はこの村を救いたい。アークレイが……もし生きていたら、きっとそうしたでしょうから。」
シャルテの瞳は、アークレイの面影ではなく、スコット自身の言葉、そして彼の優しさに支えられ、確かに未来を見据えていた。
二人は村の中心にある広場に戻り、最も症状の重い村人を探した。それは、かつて村の長だったという年老いた男性だった。彼は、家族の呼びかけにも応えず、ただ虚空を見つめている。
シャルテは、男性の前に静かに座り、その手にそっと自分の手を重ねた。スコットは、シャルテの周囲に強力な防御魔法を展開し、彼女が村人の負の感情に飲み込まれないよう、細心の注意を払った。
シャルテは目を閉じ、深く集中した。彼女の魔力が、男性の心へと流れ込んでいく。まるで、暗く淀んだ湖の底へと潜っていくような感覚。そこには、深い悲しみと後悔の感情が、重く澱んでいた。村の歴史の中で、何か大きな悲劇があったのだろうか。
「……森が……焼けた……」
男性の口から、微かな呟きが漏れた。シャルテの脳裏に、断片的な映像がフラッシュバックする。燃え盛る森、逃げ惑う人々、そして、その中で聞こえる、幼い子供の泣き声……。
シャルテは、その感情の波に飲まれそうになるのを必死に堪え、自身の心の中で、アークレイと過ごした温かい記憶を呼び覚ました。彼との愛、友人たちとの絆、そしてスコットの存在。それらの温かい光が、シャルテの心を守り、闇に抗う力を与えてくれた。
そして、彼女は、自身の魔力を、優しく、しかし確実に、男性の心へと送り込んだ。それは、記憶を無理やり取り戻す魔法ではなく、負の感情をそっと包み込み、癒すような魔法だった。
数分、いや、数時間にも感じられるような時が流れた。シャルテの額からは、汗がにじみ、顔色は青白い。しかし、彼女の瞳は、決して揺らぐことはなかった。
やがて、男性の瞼がゆっくりと開かれた。その瞳に、かすかな光が宿っている。
「……わしは……誰だ……?」
男性は、まだ完全に記憶を取り戻してはいない。しかし、その声には、確かに疑問と、わずかながら「生きている」という感覚が宿っていた。
「あなたは、この村の長でした。そして、大切な家族と、村を守るために尽力された方です。」
シャルテは、優しく語りかけた。
「……家族……?」
男性の瞳に、さらに強い光が灯る。シャルテは、彼の手を握り、ゆっくりと広場を囲む村人たちの方へと視線を向けた。
「あなたの大切な人々が、ここにいます。」
男性は、広場に集まった村人たちをゆっくりと見渡した。そして、その中に、彼を心配そうに見つめる、彼の娘と孫の姿を見つけた。
「……マリア……トーマ……!」
男性の口から、家族の名前が紡ぎ出された瞬間、彼の瞳に、再び生気が宿った。そして、涙が、そのしわだらけの頬を伝い落ちた。
シャルテは、その光景を見て、深い安堵のため息をついた。彼女の魔力は、ただ記憶を戻すだけでなく、忘却の病に隠された真実、つまり、村人たちが心の奥底に押し込めていた悲しい出来事を浮き彫りにする力を持っていたのだ。
スコットは、シャルテの顔から、疲労の痕を消す治癒魔法をかけた。
「よくやった、シャルテ。君の魔法は、やはり素晴らしい。」
スコットの言葉に、シャルテは小さく微笑んだ。
この日を境に、忘却の里では、少しずつだが、変化が始まった。村人たちは、まるで長い眠りから覚めたかのように、一人、また一人と、わずかながら記憶を取り戻し始めたのだ。完全に元通りになるわけではなかったが、家族の顔を思い出し、自分の名前を呼び、簡単な会話を交わせるようになる。村に、再びかすかな活気が戻り始めた。
シャルテとスコットは、その後も数週間村に滞在し、村人たちの心のケアと、彼らの心の奥底にある悲しみを癒すための魔法をかけ続けた。彼らは、村の長が思い出した「森が焼けた」という言葉から、かつてこの村を襲った大火災が、人々に深い心の傷を残し、それが忘却の病の原因となっていることを突き止めた。
それは、アークレイを蘇らせようとしたシャルテの「狂愛」が、今度は「癒しの力」として発揮された瞬間だった。彼女の魔力は、単に魔術を操るだけでなく、人の感情に寄り添い、その心の傷を癒すことができるのだ。
この経験を通して、シャルテは、アークレイの面影を追い求めることから完全に解放され、スコットとの未来をより強く意識するようになった。彼女の魔法は、過去の悲劇から生まれた力ではなく、未来へと繋がる希望の光へと変わっていった。
忘却の里を後にする日、村人たちは広場に集まり、シャルテとスコットを見送りに来ていた。彼らの瞳には、まだ深い悲しみの影は残っていたが、それでも、以前のような虚ろな光は消え、かすかな希望が宿っていた。
「本当に、ありがとうございました……あなた方は、この村の恩人です。」
村の長が、深々と頭を下げた。シャルテの顔の赤い紋様が、朝日に照らされて、美しく輝いているように見えた。それは、もはや悲劇の象徴ではなく、愛する夫と過ごした記憶、そしてそれを乗り越え、新たな愛を見つけ、人々の心を救う魔法使いとしての一歩を踏み出した彼女自身の証へと、確かに変わっていた。
「私たちにできることがあれば、いつでも呼んでください。」
スコットが穏やかに言い、シャルテも笑顔で頷いた。二人の心には、この成功がもたらした確かな喜びと、魔法使いとしての新たな自信が満ちていた。
社交界と陰謀:偏見と真実の追求
忘却の里での一件は、噂となって魔法界の、そして一般社会の一部にまで広まった。物理的な力ではなく、心を癒す魔法によって村を救ったという異例の報告は、学園の教師陣や、魔法界の権威たちの注目を集めた。特に、エレノア・アークライト教師は、シャルテの成長を心から喜び、彼女の新たな魔法の可能性について、学園長に進言したという。
その結果、シャルテとスコットは、魔法界の最高峰に位置する貴族、アッシュフォード公爵家主催の晩餐会に招待されることになった。それは、学園を卒業したばかりの若い魔法使い、ましてや過去に禁忌に触れた者が招かれることは異例中の異例だった。
「シャルテ、これは私たちの活動を広める、絶好の機会だ。だが、同時に試される場でもある。」
スコットは、晩餐会への招待状を手に、シャルテに言った。
「ええ、分かっています。きっと、私を試すような人もいるでしょうから。」
シャルテは、静かに頷いた。学園で首席を極めたとはいえ、貴族社会のしきたりや、そこに渦巻く陰謀については、ほとんど知識がない。不安がないわけではなかったが、スコットが隣にいるというだけで、彼女は不思議と心が落ち着いた。
晩餐会当日、シャルテは、シルヴァンが選んでくれた淡い水色のドレスに身を包んでいた。幼い見た目の彼女に似合うよう、装飾は控えめながらも、上質な生地が光を受けて上品に輝く。白銀の髪は、編み込みでまとめられ、毛先のオレンジ色が、まるで炎のように控えめに主張していた。そして、顔の赤い紋様は、パウダーで薄く覆ったものの、完全に隠すことはできなかった。
会場に入ると、煌びやかなシャンデリアの光が、ドレスを纏った貴族たちの姿を照らし出していた。華やかな会話のざわめき、グラスが触れ合う音。その全てが、シャルテにとっては初めての経験だった。多くの貴族たちが、幼いシャルテと、その隣に立つスコットに好奇の目を向けた。
「あれが、禁忌を犯したという魔法使いですか。噂通り、子供のようですね。」
「あんな若造に、村一つ救えるものかね。」
そんな囁きが、シャルテの耳にも届いた。しかし、彼女は毅然とした表情で、顔を上げて歩いた。隣には、常に穏やかな笑みを浮かべ、彼女の背中を支えるスコットがいる。彼の存在が、何よりもシャルテの心を強くした。
アッシュフォード公爵は、壮年の男性で、威厳と知性を感じさせる人物だった。彼はシャルテとスコットを温かく迎え入れ、忘却の里での功績を称賛した。
「若いながらも、見事な働きであった。特に、心を癒す魔法など、聞いたことがない。君たちの魔法は、この閉塞した魔法界に、新たな風を吹き込むやもしれぬ。」
公爵の言葉に、シャルテは謙虚に頭を下げた。しかし、その言葉の裏には、彼なりの思惑が隠されていることを、シャルテは感じ取っていた。
晩餐会の途中、シャルテは多くの貴族から話しかけられた。その中には、彼女の魔法に純粋な興味を抱く者もいたが、多くは、彼女の過去や、顔の赤い紋様について探るような質問を投げかけてきた。
「そのお顔の紋様は、珍しいですわね。もしや、何か特別な血筋の方で?」
ある婦人が、親しげな顔で尋ねてきた。シャルテは、かつて友人たちにも「ファッション」だと誤魔化していたこの紋様について、ここでどう答えるべきか迷った。しかし、彼女はもう、過去を隠す必要はないと、スコットとの約束を思い出した。
「これは、亡き夫との永遠の誓いです。そして、私の、過去と未来を結ぶ証でもあります。」
シャルテは、静かに、しかしはっきりと答えた。その言葉に、婦人は一瞬たじろいだが、すぐに興味深そうな表情で彼女を見た。彼女の正直な言葉は、かえって周囲の人々に、彼女の真摯な人柄を印象付けたようだった。
その晩、シャルテは一人の男性と出会った。彼の名は、ゼイン・クロウエル伯爵。物静かで、思慮深そうな雰囲気を持つ男だった。彼は、シャルテの魔法に強い関心を示し、忘却の里での出来事について、熱心に質問してきた。
「記憶を癒す魔法……非常に興味深い。もしや、それは『心の奥底の真実』に触れる魔法なのでは?」
ゼイン伯爵の言葉に、シャルテはハッとした。彼が言ったことは、まさにシャルテが感じ取った魔法の本質だったからだ。彼は、一般的な魔法使いよりも、はるかに深い洞察力を持っているようだった。
「その通りです。忘れたいと願う感情に、そっと寄り添い、光を当てるような……。」
シャルテが答えると、ゼイン伯爵は静かに頷き、意味深な笑みを浮かべた。
「やはり、そうでしたか……。あなたのような魔法使いは、この世界には必要だ。しかし、同時に危険も伴う。この世には、隠された真実を暴かれることを嫌う者も多いからね。」
彼の言葉は、穏やかでありながらも、シャルテの心に冷たいものを感じさせた。それは、まるで、彼女の魔法の深い部分を既に見透かしているかのようだった。
晩餐会が終わり、邸宅に戻ったシャルテは、ゼイン伯爵の言葉をスコットに伝えた。
「彼は、私の魔法の本質を、一瞬で見抜いたようでした。それに、『隠された真実』を嫌う者、と……何か、知っているのでしょうか。」
スコットは、難しい表情で考え込んだ。
「ゼイン・クロウエル伯爵は、確かに高名な魔法理論家だが、あまり社交界には顔を出さない人物だ。彼の発言は、確かに気にかかる。」
その晩餐会を境に、シャルテとスコットの元には、以前にも増して様々な依頼が舞い込むようになった。しかし、その中には、明らかに彼らを試すような、あるいは裏を探るような奇妙な依頼も混じっていた。
例えば、「幻覚に悩まされる貴族の治療」という依頼があった。その貴族は、過去の忌まわしい記憶が幻覚となって現れるという。シャルテは、忘却の里での経験から、この幻覚が彼の心の奥底に押し込められた罪悪感から来ていることを察知した。
彼女が心の癒しの魔法をかけると、幻覚は消え去ったが、貴族は同時に、自分が過去に犯した罪の記憶を鮮明に思い出した。彼は、その場で激しく後悔し、号泣した。
この出来事は、魔法界に大きな波紋を呼んだ。シャルテの魔法が、単に幻覚を消すだけでなく、「真実の記憶を呼び覚ます」力を持つことが露呈したからだ。それは、多くの者にとって都合の悪い真実を暴く可能性を秘めていた。
「シャルテの魔法は、あまりにも強力だ。人の心の奥底に触れることができるなど……それは、神にすら許されない領域ではないのか。」
学園長イグナティウス・ルミナスは、エレノア教師にそう漏らしたという。彼らの間でも、シャルテの魔法の扱いについて、意見が分かれ始めていた。
一方、ゼイン・クロウエル伯爵は、シャルテの魔法への興味を隠そうとしなかった。彼は頻繁に「フェルヴィス魔法相談所」を訪れるようになり、シャルテと魔法理論について議論を交わすようになった。彼は博識で、魔法の歴史や禁忌の魔法についても深く理解しており、シャルテが知りたいと願う情報も惜しみなく与えてくれた。
「禁忌の魔法とは、元々、人の深層心理に働きかけるものが多かったと言われています。死者蘇生も、愛する者の心の形を呼び起こすものだとか……。しかし、それは非常に危険だ。術者の精神を蝕むだけでなく、呼び起こされた魂が、術者の感情に引きずられて歪むことも少なくない。」
ゼイン伯爵の言葉は、まるで過去のシャルテを言い当てているかのようだった。彼の言葉は、シャルテにとって有益である反面、心の奥底に不気味な響きを残した。彼がなぜ、そこまで禁忌の魔法に詳しいのか。そして、なぜそこまで自分に協力的なのか。
ある日、スコットは、ゼイン伯爵に関する調査を友人のイグニスに依頼した。イグニスは、その人脈を駆使し、ゼイン伯爵の過去を探った。そして、数日後、驚くべき情報を持ってきた。
「スコット、ゼイン・クロウエル伯爵は、かつて『星辰の書庫』の研究に関わっていたらしいわ。」
イグニスの言葉に、スコットは息をのんだ。あの禁書が収められていた書庫。シャルテが禁忌の魔法を見つけた場所。
「さらに、学園長イグナティウス・ルミナスや、首席裁判官アルビオン・ジャスティアとも、深い繋がりがあるみたい。彼らは皆、何らかの秘密を共有している可能性がある。」
イグニスの情報は、シャルテとスコットの周りに、見えない糸が張り巡らされていることを示唆していた。ゼイン伯爵の言葉、学園側の不可解な寛大さ、そして、シャルテの魔法が持つ「真実を暴く力」。これら全てが、一つの大きな陰謀へと繋がっているのではないか。
特に、ゼイン伯爵が、死者蘇生魔法について語った言葉が、シャルテの脳裏をよぎった。「呼び起こされた魂が、術者の感情に引きずられて歪むことも少なくない」。アークレイを蘇らせようとしたあの時、もし成功していたら、アークレイの魂は、シャルテの狂愛に引きずられて、歪な存在になっていたのだろうか? シャルテは、背筋に冷たいものが走るのを感じた。
彼らの周りでは、目に見えない知的な駆け引きが繰り広げられていた。それは、かつて学園で成績を競っていた頃とは比べ物にならないほど、複雑で危険なものだった。しかし、シャルテはもう、一人ではない。スコットが隣にいる。そして、信頼できる友人たちがいる。
彼女は、この新たな戦いに、怯むことなく立ち向かおうと決意した。彼女の顔に刻まれた赤い紋様は、その決意を映し出すように、静かに、しかし力強く輝いていた。
家族の誕生と深まる愛
数年の月日が流れ、シャルテとスコットは、魔法相談所の活動を通して、王国中で確固たる信頼を築き上げていた。彼らの元には、心を病んだ人々、過去のトラウマに苦しむ人々、そして、解決不能と思われた心の闇に光を求める人々が、次々と訪れるようになった。
シャルテの魔法は、もはやアークレイの面影を追い求めることはない。スコットと共に、彼女自身の足で、未来を切り開いていた。彼らの名前は、単なる「迷子探し」の魔法使いではなく、「人々の心を救う魔法使い」として、広く知られることになった。
ある晴れた日の午後、シャルテは、いつものように魔法相談所で依頼人と向き合っていた。しかし、その日の彼女は、どこか浮かない表情をしていた。朝から続く体の倦怠感と、微かな吐き気が、ここ数週間、彼女を悩ませていたのだ。
依頼人との面談を終え、シャルテが深く息をついたその時、スコットが温かい紅茶を持って現れた。
「顔色が優れないようだが、無理をしていないか、シャルテ。」
スコットは、心配そうにシャルテの額に手を当てた。その優しい手つきに、シャルテの心は安堵に包まれた。彼女は、ここ数週間の体調の変化を、正直にスコットに打ち明けた。スコットは、じっとシャルテの話を聞き、やがて、その瞳に驚きと喜びの光を宿した。
「もしかしたら……」
スコットは、そう呟くと、すぐさま治癒魔法の専門医に連絡を取り、シャルテの診察を手配した。
翌日、専門医の診断結果は、二人に喜びと感動をもたらした。
「おめでとうございます、シャルテ様。ご懐妊です。新しい命が、あなたのお腹に宿っています。」
医師の言葉に、シャルテは思わず息をのんだ。そして、隣に座るスコットの顔を見上げた。彼の瞳は、感動と、そして深い愛情に満ちていた。シャルテの顔の赤い紋様が、涙で濡れ、きらきらと輝いている。それは、悲しみではなく、純粋な幸福の涙だった。
その夜、二人は邸宅の庭で、満点の星空を見上げていた。シャルテの膝の上には、まだ小さな、しかし確かな命が宿っている。
「信じられない……私が、母親に……」
シャルテは、そっと膨らんだお腹を撫でながら、震える声で言った。アークレイを失って以来、彼女の心は、ずっと凍りついていた。新しい命を育むなど、想像もしていなかったことだ。しかし、スコットと出会い、彼との愛を育む中で、彼女の心は、少しずつ癒され、温かさを取り戻していった。そして今、その愛が、新しい命として形になろうとしている。
スコットは、シャルテの手を優しく握りしめた。
「君は、きっと素晴らしい母親になる。僕たちが、この子を、たくさんの愛で包み込もう。」
スコットの言葉は、いつもシャルテの心を温かく包み込む。彼は、アークレイの面影を追うシャルテを、決して見捨てることなく、ありのままの彼女を愛し、導いてくれた。そして今、二人の愛が、新しい命として結実しようとしている。
「この子が生まれたら、アークレイの分まで、たくさんの愛を注いであげましょうね。」
シャルテは、スコットに微笑んだ。アークレイへの愛は、彼女の心の奥底に、温かい記憶として残り続けるだろう。しかし、その悲しみは、スコットとの真実の愛、そしてこれから生まれてくる新しい命によって、完全に癒され、昇華されたのだ。
彼らの物語は、悲しみから始まり、愛と成長、そして癒しを経て、新たな生命へと繋がった。シャルテの顔の赤い紋様は、もはや過去の悲劇の象徴ではない。それは、アークレイとの愛の記憶、スコットとの真実の愛、そして、これから生まれてくる新しい命へと繋がる、温かい希望の光の証となっていた。
この世界に、シャルテとスコットという二人の魔法使いがいた。彼らの魔法は、決して争いを生まない。ただ、人々の心を癒し、未来への希望を灯し続けるだろう。そして、彼らの愛は、新しい家族の誕生と共に、さらに深く、強く結ばれていくのだ。
数ヶ月後、フェルヴィス邸に、小さな産声が響き渡った。シャルテは、その腕の中に抱かれた、温かく小さな命の重みに、深い幸福を感じていた。スコットは、涙を浮かべながら、その愛おしい我が子をそっと抱き上げた。
「……可愛い……」
シャルテの顔の赤い紋様は、その輝きを増し、まるで新たな生命の誕生を祝うかのように、美しく輝いていた。それは、もはや悲劇の象徴ではない。アークレイとの愛の記憶、スコットとの真実の愛、そして、これから生まれてくる新しい命へと繋がる、温かい希望の光の証となっていた。
彼らの生活は、新しい家族と共に、さらに豊かなものになった。夜中に子供が泣けば、スコットは慣れた手つきでミルクを用意し、シャルテは優しい歌を歌ってあやした。魔法相談所の仕事は変わらず忙しかったが、二人は協力し合い、家族との時間も大切にした。
時に、友人のアストライアやイグニス、シルヴァン、セフィア、フローラが、赤ん坊の顔を見に訪れ、賑やかな笑い声が邸宅に響いた。彼らは皆、シャルテが心からの幸福を掴んだことを、心から喜んでいた。
シャルテの魔法は、母親になったことで、さらに深みを増したように感じられた。人々が抱える心の傷や悲しみに、より強く共感できるようになり、彼女の癒しの魔法は、以前にも増して温かく、力強いものとなっていった。スコットもまた、父親になったことで、その冷静な分析力と温かい包容力に磨きがかかり、シャルテと二人三脚で、より多くの人々を救っていった。
ある日の午後、シャルテは、眠る我が子の小さな手をそっと握りしめながら、窓の外の庭を眺めていた。スコットが、温かい紅茶を持って隣に座る。
「この子が、大きくなったら……私たちが救った、たくさんの人々の話を聞かせてあげたいわ。」
シャルテがそう言うと、スコットは優しく頷いた。
「ああ。この子は、多くの人々の笑顔に囲まれて育つだろう。そして、君と僕が、どれほど彼らを愛し、この世界を愛しているかを、きっと理解してくれるはずだ。」
彼らの物語は、悲しみから始まり、愛と成長、そして癒しを経て、新たな生命へと繋がった。シャルテの「無双」は、物理的な力によるものではなく、心の奥底に眠る真実を呼び覚まし、人々を救う、愛と希望に満ちた物語だった。そして、その物語は、まだ始まったばかりだ。
この世界に、シャルテとスコットという二人の魔法使いがいた。彼らの魔法は、決して争いを生まない。ただ、人々の心を癒し、未来への希望を灯し続けるだろう。そして、彼らの愛は、新しい家族の誕生と共に、さらに深く、強く結ばれていくのだ。彼らの築く未来は、きっと光に満ちたものとなるだろう。
(旧ツイッター):神宮寺 結衣/フォロバ100/ヤンデレ認定済みのアカウントにケモ耳娘が大好きな小説家として活動しております。