9 大空より青森を眺める
生まれて初めての青森は、それほど遠くには感じなかった。
飛行機のせいもある。上京してから初めて里帰りするコータローがパパの運転する車の道中は、最短の有料な高速道を使っても8時間は掛かったけど、でも、きっと、その間中ずっとこれまでのひととおりをお喋りしてたからそんなたっぷりの時間は感じなかったはず。
むかしの辛くて辛い話って、本人だっていまになれば苦みも含めて蜜の味がするらしい。飛行機の中でそんな辛気臭いお喋りは許されないから、フライト時間の1時間52分は航空機の小さな窓から俯瞰すると、雲を割って要所要所出てくる御山のいただきを、進行に従い、定規を引くよう結んで、時間どおり器械どおり溜まっていく。
経験則の秤に乗せたら、コータローの8時間とわたしの1時間22分はきっと釣り合うはず。
航空機の小さな窓と霞雲に遮られても下空ははじめての景色でないから、1時間52分は時計の長針で刻んだ数を窓の下の景色に落とす。
飛行機周りは裏日本周りだから、こちらは少し遠回り。
立山まで40分、蔵王で60分、鳥海で70分で、降りるために石斧を模したような下北半島の恐山を周遊したのは丁度100分だった。
「曇ってたから 5分遅れるって」
お喋りをずっと我慢してたママが、機長のアナウンスを短く繰り返す。
地質学的にはカルデラ噴火の変遷で誕生した875メートルの頂きを筆頭に何処ぞ誰ぞの指でいい感じに配置された御山をしみじみなめるように見つめる。
17.5センチのサイズのときから自分の足で何度も駆け回り往復したところだもの、分かってる。
地上じゃ経験出来ない音速すれすれの時速660マイルに身体を預けたって、どこからどこまでも正確に巻尺で測っていける。
青森まで運ばれてきた世間一般の常識とやらに少しだけ寄り添う。
これまでもこれからもずっと繋がっていくにせよ、やっぱり肉親との生き死にを巡る一連ははじめてのことだし、じわじわごつごつの肉を割く痛さが伝わってくる。そう、身近な死とは身体の別れだから。
声も顔も直には一度も合わせたことのない人だけど、血を分けた肉親の死別は17歳のほかの女子高生と一緒で、真っ直ぐその重さが来る。居るとしていていた人が亡くなるのは、存るとしていたのが失なったのと同じ重さ。
見たことのない名前さえ知らなかった肘から先の骨が1本ではなく橈骨と尺骨に分かれていて、それが突然に橈骨は失せて尺骨だけになったとしたら。ダイエットの肉や脂肪でなく、今まで知らなかった私の存在が自分勝手にそのかたちと300グラムが消え失せてから知ったときの消失感って半端ないんだろう、きっと。
でも、次にやって来る感じは他のJKとは少し違ってる。
実用よりも表向きなミリタリーを内側に着込んでる私がいる。
これが100年前の大日本帝国の勝手バラバラが巷に溢れてた時代だったら、そんな軽めの女の子なんて往復ビンタものなんだけど、それらしさを一番に言い当てるのは何時だって内側に着込んでるJKだから。
JKを知らないあの時代のそのひとだって、いまのJKのグルーブ感は感じている。
何時の何処の軍服と尋ねると、そのひとは協和服と応える。そのあとに、軍服でなくて満州国民の平時服だと付け加えるのを忘れない。アールがかったボタン隠しのところなんか、やっぱり佐和子みたいな若い女子の方がよう似合ぉとると、私の質問には答えてはくれない。でも、いつも、本当はわたしが尋ねるべきだった肝心を掴かまえ、手渡しして呉れる。
それが繋がり、橈骨や尺骨よりも大切なわたしたちの繋がり。
師匠、先達、コーチ。縦に張ったロープを片手で常に掴んでいるような、当事者でなければ地味だけどその感覚が伝えにくい奥義のようなものでわたしたちは繋がっている。
そう、奥義は辛気臭いのだ。




