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8 近代軍服は戦(いくさ)よりも修験(しゅげん)の道に向いている

佐和子覚醒前は、ここで終わりますが、今後、佐和子覚醒後を執筆していきます。

 修験のときは、時間も場所も関わらず行われていったが、それでもそうした格好なりを拵えた方が、さまになってる


 御山の頂(おやまのいただき)には(かすみ)はなく、そこだけが晴れ渡り、遠くからでもスモーキングに耽る(ひたる)ふたりが見て取れた。顔の識別が出来ない米粒のときから、ふたりが山本上等兵と父なるひと(とうさん)だと認識できる。山本上等兵は名前さえ知らないひとだったが、修験の中にあっては時間軸による個人の記憶など「打っちゃっておくよう」(しつけ)られているから、臆さずに米粒が大きくなって顔に変わっていく様子だけに集中する。


「コータロー、近代軍服(きんだいぐんぷく)(いくさ)よりも修験(しゅげん)装束(しょうぞく)にこそ、お誂え向き(おあつらえむき)だゾ」 

 大人のそれも知らない男に呼び捨てされるのはあまりいい気はしないが、「これも修験だ」とコータローは我慢する。山本上等兵は他人(ほか)ではないようだ。乳母(めのと)かもしれない。貰い乳(もらいちち)してた赤子(せきし)のわたしを、それを含ませた乳房ごと眺めてた大勢の男たちよりも乳房の女に近い男の気配が始めからしている。 

 

 米粒だから父なる男と乳母(とうさんとめのと)の間はぼんやりしているし、米粒だから頬っぺをくっつけ合ってお正月の福笑いみたいな目鼻口のパーツの位置を変えかたちを変えてお互いを行ったり来たりしている。今生を超えると、仲良しとは違う深い結びつきの男同士とはそういうものなのかもしれない。


 山本上等兵の野太い声は辺り一面に澄み渡るように沁みていく。声が沁みているのかタバコの紫煙が沁みているのか、天空に面々と咲いてるシロツメクサの白は熟したセピア色に染まっている。ここまで高いと、動物も植物も食も光合成も必要ないから、腹に溜まらないタバコの煙とニコチンのヤニで花や葉脈を汚すことくらいしかすることがないのだ。「集中が研ぎ澄まされるほど、雑念は拡がっていくもの」らしい。


 御山は青森にいたときよりも少し高くなったようだ。

 「もっと高くしたかったら、砂を載せるばっかりじゃなくて叩かなきゃ」と、お砂場に太い足首をどっしりと降ろした蒲公英組(たんぽぽぐみ)年中さんの原田靖丈(はらだやすたけ)くんのまん丸顔が教えてくれる。お母さんも聳える一番(そびえるいちばん)は載せては叩きの繰り返しと教えてくれたけど、体験保育で一度しか遊ばなかった靖丈くんの丸顔の方がコータローの芯に響いてくる。

 わたしはこうして大人になってきたけれど、靖丈くんは血汗(ピンイン)に染まった手に包帯を巻いていまでも毎日それをやっている、はずだ。

 霞や雲(かすみやくも)に囲まれる身の上になっても、修験の中だから、父さんや山本上等兵の巻き直したゲートルには岩場を嚙んだ足裏から沁み出た血汗で、グラデーションの茜色に染まっている。

 血の汗は染み出してるのに辛そうには見えない。

 「今生(こんじょう)に居るひとたちでないから」のそれとは違う気がする。修験は快不快を超越しているのだ。いまでも修験中の五歳の靖丈くんは今生のひとだし、痛い掌を痛そうにはしていない。

 

 いまでもじゅうぶん様になる(さまになる)と思うけど「近代軍服が幅を利かす世がまだ続いていた」ら、永遠の五歳児の原田靖丈くんは、房を垂らしボタンを隠す満州国の協和服は似合うだろう。毎日毎晩試合してるプロレスラーのアブドーラブッチャー(ラリーシュリーヴ)並みに、タバコをくゆらせながら血汗に染まったゲートルと包帯を巻いた掌で、金ぴかの四角い土俵みたいに飾り付けたお砂場で綺麗な四角錐の御山を高く高く拵えていくんだろう。

 

 でも、そこにコータローはいない。

 気は優しくて力持ちの靖丈くんが誘えば、とうさんと山本上等兵はずぐに混ぜてもらうだろうが、コータローは羨ましそうに右手の人差し指をなめながら木の陰から見ているだけ。

「コータロー、近代軍服(きょうわふく)(おすなばあそび)よりも修験(いみなさがし)装束(スモック)お誂え向き(おあつらえむき)だゾ」

 今度は、父なるひと(とうさん)の声で催促がくる。真っ白なゲートルを早く血汗(ピンイン)に染めてやろうとうずうずしている。「一丁前(いっちょまえ)になって、あの女(あのひと)と子まで成して(なして)おきながら」と、120センチのルーズソックス見せびらかせてる女子高生を見ている目で、いけずする。意地悪からでなく恥ずかしいのだと思おうとするが、あの女(あのひと)を一滴零したら、ふたりの顔にむかしの男の未練たらたらが見え隠れする。


 「雑念はここまで」と、

 わたしにも銃剣つきの小銃が手渡される。これもふたりの持つ三八式歩兵銃(さんはちほへいじゅう)と違って、切っ先も銃床もまっさらだ。これからの勧業(かんぎょう)の相棒となる錫杖(しゃくじょう)だ。勧業は、三八式歩兵銃に括り付けた銃剣を握り、銃床を御山の岩肌に打ち据えながら千日を廻る荒行(あらぎょう)だ。キツイ練習くらいに何度も廻り続けているふたりの銃床(じゅうしょう)は、もともとの肩にあてがうかたちを留めないほど細く丸く変形している。銃剣の切っ先は、勧業中の不眠の証の象徴だから触れてはならないし、もしも触れて喉笛搔っ切ったら見まみれの死出の旅へ繋がるわけだが、もう今生のひとではないふたりは何度かやらかし、首周りの瘡蓋(かさぶた)と銃剣の舐めた切っ先(なめたきっさき)はそうした因果を物語る。靖丈くん(やすたけくん)もわたしも未だ今生(いまだこんじょう)のひとだから、そこまでのあぶない芸当は真似できないから、ただひたすらに勧業に集中する。ロートルボクサーの甘言(かんげん)に乗った吸いかけタバコを一緒に(ふけ)る真似はしない。


 三八式歩兵銃の銃剣を握りピカピカの協和服に身を包んだ靖丈くんとわたしは、まだわたしの雑念の中にある。


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