7 貰い乳(もらいちち)してた男の仔
妻は、母がそのとき以前から母であったように、そのとき以前から妻であった
妻となる女と逢ったのは、東京に来て間もなくだった。
偶然立ち寄った店で働いていた彼女に、わたしは既に繋がっているもの同士のようなお喋りを始める。いつも無口で、青森では必要な用を足す以外の言葉など発したことのないわたしがお喋りをしている。ラジオのスイッチをオンするように、ターンテーブルにレコード針を落とすように、東京に来たらそんな設えがわたしの中に出来ている。
東京のひとになったわたしの日常はこうして妻と二人から始まった。ボストンバッグひとつ以外の荷を持たなかったわたしは身を置いた下宿を引き揚げ、彼女の住まいに転がり込んだ。そこは、今朝までの下宿よりは広かったが、外階段アパートの二階の二間続きで、同棲を始めた学生ような二人が住むにはお誂えのむきの設えだった。奥の四畳半にははじめからわたしの座る場所がぽっかり空いてるようぬ用意されている。すでに性愛を伴う男と女の関係にはなっていたが、押入れに生まれてくる子が男の子だと分かる一式までも収められている。
既になのか此れからなのかの確からしさまで妻の顔は浮かべなかったが、妻の中には男の子がいた。
妻は母に似ていた。
それは、妻が母に似ているというよりは、妻と母が同じように似ているということだ。きっと、父なる男にそれを伝えれば、うなづくだろうことは理解できた。嫌いなことはいまでも変わらないが、それを含めて父なる男とわたしはいまも、死んでしまっても、こうして仲良しは続いている。
妻は息子を産んで暫くもしないまま、消えてしまった。
母の時のような老いて衰えて死んでしまうかたちは残さなかった。が、撚った糸が急にほつれるように消えてしまったのは同じだった。東京のひとになってお喋りの設えは出来たが無口な性は変わらないから、妻なる女がいてその女と仔を拵えてもひとりで居続けるわたしは変わらないから、妻が消えてもお喋りの相手にはまだ不足な息子とだけの毎日は東京のひとになったわたしの風通しが良いいつもの日常だった。
当時はまだ子連れの若い男やもめは珍しかったから、タンチョウ鶴や佐渡のトキのように皆んなで保護するお包みはたくさんあった。時代がそんなだったから、わたしは学生のときも勤め人になってからも、転びそうになるたびに誰かしら何かしらの柔らかな充て布が敷かれ、怪我せずに過ごしてきた。
それでも男の膚身というものの切なさはある。
一歳児をこえて貰い乳から離れ、同じものを咀嚼するようななった息子は、未だ10キロに満たない仔だから健康診断では九千なんびょくグラムと秤でものを量るような呼ばれ方をしている。ついこの間までの貰い乳のときは、部屋には妻のいなくなった肢体の緩みが残っていたから、そうした女の緩んだ充て布を授けてもらったが、他人の情けは続いても妻のときから続いていた女の気配は貰い乳と一緒に消えていく。
貰い乳から離れ、そうした女とも離れた仔の顔は、幼い日に同じ目にあったわたしの顔だった。
母なる女は乳の出ない女だった。
わたしを抱いた母は、老若男女が屯ろしてる渦の中にわたしを放り出し、その中の乳の出ている女の乳房を吸わせる。女はひとりのようであるし、順々に何人ものときもあった。わたしの腹がくちくなるのは、吸った乳よりも乳房に埋めるわたしの顔を覗き込む老若男女の満足の数で満たされていく。
面影は父なる男と繋がりこの子とも繋がっている端々だ。貰い乳する仔の面影は全て男しか描けないから、繋がる端々は大きく重い磁石を下げて集まってくる砂鉄のザシザシだ。砂鉄は蹉跌で止まり、男二人の部屋は動かくなる。
女の気配がなくなると秤で勘定する仔と過ごす部屋の風は吹く風の音しか聞こえさせて呉れない。
青森を出たときのリュックには、万歳三唱で見送ってくれたとうさんと同じ協和服が一揃い入っている。「必ず、それを着る必要が出てくるから」と渡され、リュックの下の仕舞いっぱなしを取り出す。
まじまじ見ると、とうさんが言ってたように戦時中ゲートル巻きの男たちが押しなべて着ていた国民服とは違っている。国民服だってしみじみ見たことはないが、ゲートルとセットの代物だからエレガントは外しているが、協和服のボタン隠しや儀礼章を納めるアールがかった縫い取りまで、場違いだったとうさんの万歳三唱のアンマッチにマッチする。
捨てずにリュックの下で寝かせて育ててきた不可思議さは打っちゃっらかして、わたしはそれに着替える前に、貰い乳していた女の情けにすがり「どうしてもが起こり、ひと月だけ」と子を預ける。肢体の緩みは消えた部屋だったが、女はわたしは兎も角も仔は再び乳房に納めて呉れる。
今日の前の明け方、夕べのうちに協和服に替えたわたしは発つ。
母から受けた下地があるから、誰の目にも触れられないまま夕べのうちに当たりを付けたそこの御山の頂を目指して登り始める。日が昇るとそこに通じる道は途絶えてしまうから、むかし母なる女に鍛えられた早足に戻っている。