5 やっとわたしはあの女(ひと)を妻と呼べるようになりました
内地へと戻された諱は受け継がれず、再び修験の旅へと出る。
あの女は亡くなってしまいました。コータローが18、わたしがここに辿り着いてから23年経った年の冬に死んでしまったのです。
撚っていた糸が急にほつれるように、すぅーと命をなくしてしまったのです。こうして死んでしまうのを今朝だと知っていたように、呉音の老若男女たちは次々と家屋敷に入り葬儀の差配をはじめました。この家屋敷で家族のわたしとコータローは棺に収まった亡骸に、燃やして灰になるまでくっついてるだけでした。
死んでしまったら、もうこの女は、これからは何も起こらずに今までの身だけになったのだからと分かったら、やっとわたしはこの女を妻と呼べるようになりました。灰にする最後のお別れにと覗いた棺の窓の中は、老婆の顔でした。山本上等兵から諱を預り、ずぅーと守りを続けて23年が過ぎた老婆の顔でした。
撚っていた糸は急にほつれたのではなく、ほつれるべきしてほつれたのです。親子ほど年の離れた妻は、命が尽きるまで老いて衰えて逝ったのです。
コータローは、かねてより決めていた東京に進学し、そのまま東京の人になっていきました。無口で、話という話を交わしたことのないまま東京の人になったコータローを、あの女を妻と呼べるようになったのと同じように一人息子と呼べる様相は芽生えましたが、わたしはあえてそちらに寄り添おうとはしませんでした。
諱はコータローには渡されてはいなかったからです。
渡されていれば、妻はもっと早く今生の姿に戻って、わたしとは親子ほど離れた年上の身をそこに座らせて、老いて衰えて逝ったでしょう。亡骸を他人にあれこれされ、灰になる前の名残だけ夫と子に今生を見せるお情けのような生涯とならずに済んだことでしょう。
それは、わたしなどよりも敵わなかったコータローが強く感じていることです。私とは異なり、血を分けたコータローなら諱を言葉よりも身近に感じていたはずです。修練と見定めるものはありませんでしたが、ふたりの見たり聞いたり嗅いだりのやり取りがあった夜をわたしは知っています。それなのに一夜明けたコータローを見ても身のどこにも沁みてるものは見つかりませんでした。わたしが諱を抱いていたのは山本上等兵から母君であった妻へと渡すまでの中身を知らぬ飛脚の立ち位置でしたけれど、コータローは血を分けた子でもありますから死を賭して協和服に縫い付けていたときの誠を手繰れば、諱への一途は繋がっていくのです。
うの音を封じたコータローよりほか、あの子は諱に纏わる何も授かってはいなかった。
いままでと同じように話のないまま青森を離れ東京のひとになるコータローを、一人息子の様相など纏せずに送り出すことが、母のなくなったこの子にわたしが父として出来る唯一のことでした。