14 マントル マントラ
囲炉裏に屈んでばかりの婆ぁたちの足腰の達者なのはこんな処に潜んでいたのだ。そうと分かってみても佐和子の中のわたしには合点がいかない。
此処を開ける戸口は、秋の暮れから春の先までの冬を挟んだ凍てつくばかりと思っていた。開けると飛んでくる「寒ーめから早よぅ戸ぉ閉めてけろ」の丸っこい声の婆ぁばかりだと思っていた。それが婆ぁのすべてだと思っていたから、ゲートル履いて協和服に身を包んで、えっさほいさと御山を縦に駆けて渡っていく婆ぁのお尻を見ていても、囲炉裏の淵で潰れた饅頭みたいな横座りばかり差し込まれ、目の前の俊敏はいまだに騙さたように映って、わたしとの距離を開けていく。
居る輩は婆ぁたちばかりではない。お山は犇めいている。
ホットスポットなら、二人三人は言うに及ばず五人六人の梯子掛けで肩車している。身支度は協和服の修行の同衾がわんさとお山に掴まっている。
協和服は、13年半だけ存在した傀儡国家だった満洲国で流行らせ、のちに本土にも上陸させ国民服の土台になった服飾だけど、国民服と違って古からのエレガントさは残っているから、満洲国が残した唯一の置き土産といっても過言ではない。
皆んな鞣したキャメル地色した協和服だから誂え先は一緒だろうが、発したのかはいったい何時のことだろう。お遍路さんみたく二人ずつ行儀よく並んでくれたら、肩のいかりや胸尻の肉厚で老若男女の区別は出来るが、ゲートル巻いて髪形もてんでばらばらで、くんずほぐれつの組体操だから、それも極めて怪しくなる。
いまはまだ、すたこらサッサの婆ぁたちにはぐれないようにするのが精一杯だから、コータローや年中さんだったとき一緒の原田靖丈くんを見つけるのは至難の業だ。
そんなことぁない、・・・よ。ミリタリーとプロレスの沼にどっぷり浸かった永遠の5歳児なんてそうそうお目にかかれるものじゃないから、すぐに見つけてもらえる、よ。
と、5歳児の声は、葛が珠になるように、すぐにかたちをもって現れる。
わたしの背を超えるようになってもいつまでも可愛い仔犬のままのメニーズがクぅぉーンと鳴いて、小さな手毬をパラパラつぶつぶ掃き出す。
パッと見てすぐに数えられた素数の193個を零したように、永遠の5歳児の声はすぐに見つかる。声を目当てに修行中の同衾のひしめきから5歳児の小さく弾む刺繡の手毬は見つかる。けれど、2.0より強くなれない裸の眼で凝視しはじめた辺りから、5歳児の小さく弾む刺繡の手毬はありきたりな凡人凡夫の実生に変わる。変わってはいくが、実生であれば、どんな硬さ大きさに変わっも、縁は繋がり、プチっと切れたりしないから、こののち春の小鹿に見つかり喰まれる身の上であっても3000年の悠久までの誰ひとり見通すもののない樹冠を従える巨木であっても、各々のそうそうに異なるものはない。
原田靖丈くんを見つけるのは在り来たりで至難の業でないとわかったから、そんな5歳児に身をやつしたのはほっといて、すたこらサッサの婆ぁの後を懸命に追いかけていく。
そちらに戻る。
メニーズが、わたしが、囲炉裏の廻りでも聞き取りにくい婆ぁたちの声明のお題目のダクダクザツザツの振動をマスキングして、尖った鼻面に張って懸命に追いかける。
言ってる調子ほど素早いわけでない。ゆっくりゆっくり、なんなら動画でなく静止画のように止まってる感じで動いている。
これなら、お天道様の運行や月の運行のほうが速い。
早いはずだ。地球の自転を速度で換算すると、北緯35度の日本だと時速1374キロ、音速を超えている。ただ感じてないだけで、ものすごく早いのだ。
修行の賜物が滲み出している。
佐和子には酔ったり目が回ったりの弊害を伴わずにゆっくりでも早くでもない時速1374キロそのものと一緒に居られる。世間には止まってるとしか見えない婆ぁたちを必死に追いかけるときの先端に向かって伸ばし続ける時速3ミリの小指に汗もかけるようになった。
わたしと婆ぁたちの間には、19世紀のサイエンティストたちが盲信していた宇宙すべてを満たしていたエーテルのように、みっしりと隙間なく六角が敷き詰められている。
硬い紫檀黒檀の柾目に、砺波の彫物師の掌による鋭角な120度角がみっしり繋がる。それだけ硬い六角のゆっくりのたうつミクロンの流れが見えている。
マントラとマントルの相似は、ラッパーたちの目に留まる似通った音の呼び名よりも、それを縁取る亀甲にある。
淵に隙間を作らずに回り続ける六角の、ゆっくりと海を編むようなうねりの奥深くに潜む亀の紫黒柾目の甲羅が、間に入り、形を伴うことで、収斂の真言とこの地球で一番に大きなうねりを持つマントルを結びつけるのだ。




