13 確からしさ
パパとママとの3人の暮らしも半年が経った。
もともとが3人の暮らしだったが、隣町に住んでときたま逢っていた浩太朗は青森に籠ったままだったり、近くに住んでるのに浩太朗よりも往来の少なかった二人の兄たちとはそのまま音沙汰のないのが続く。
逢わないから記憶が薄れていくものでもない。
逢ってもいないのに、死んでしまってからどんどん膨らむ曾祖父のこともある。兄たちの顔と声は幼かったときのものしか残っていない。幼児よりももっと拙いわたしを真ん中にして写った双子のように似ている年子の二人の兄たちのことは、もうこれ以上は先には往かない気がする。
もうひとつ、身構えの中で佐和子の中で変わってきたことがあった。
17齢のいままで現で囲っていた中にそれとは異なることが混ざってきて、此れからと今までの境目がぬるま湯の湯船に長く浸かり過ぎてふやけた曖昧になったせいか、たくさんな死人の塊を見ても今までのような痛々しい目方の鉛が胃の中に投げ込まれなくなった。
たくさんな死人の塊が、それを目方に換算できるようになった11齢のとき、ホロコーストの虐殺600万人をしって、両腕ががくんと下に落ちそうになったのを覚えている。起こってしまった痛々しいひとの死の数が多くなればなるほど、冷たい鉛は目方を増やしてくる。
東日本大震災の死者行方不明者は2万人を超えた。
ウクライナ戦争の両国合わせての死者数180万人を超えている。
そうしたニュースがある度に、たくさんな死人の塊が目方になって、大きな鉛のガツンが胃の中に投げ込まれた衝撃を受ける。
それが、青森から帰ってきてから、その人たちの顔が見えるようになってから、その人と繋がっていた人たちの顔までも見えるようになってきてから、どのような理不尽不条理により死がもたらされても、現に残されたひとたちの中から、けっしてその存在が消えることのない変わりようのなさを受け止めると、モニュメントが立っていく。
モニュメントは各々なのに、モニュメントは同じだ。
行ったことのない行くことのない遠い外国であるのに、モニュメントになった今でも白いたっぷりしたカーリーヘアの曾祖父を見つめる幼い女の子は、瞳の淵に深海の群青をたたえ、わたしの家のすぐ裏庭に住んでいる。たくさんのモニュメントを並べる広い場所といったら、わたしのしってるのは、いま通っている学校のグラウンド。百メートルを直線で走れるから、百メートル掛ける50メートルでモニュメントは並んでいく。
兵馬俑の彫像のように硬くなった死人が並んでいく。
男でも女でも子どもでも年寄でも白松の大往生でも爆殺され48片に切れ切れでも、此処では同じ大きさ硬さの彫像だ。横にすると死んでしまった感じがするから、縦に並べて、好きな時に好きな相手と交合する。交合といっても男女でやらかすことばかりでない。現ではなくなったから、その時よりも深い交わりが行われるので、交合の文字を当てたのだ。
隠れてすることでないが、キチキチだと優雅さに欠けるから、もうひとつ彫像を立てる分くらいは空いている。それで1メートル掛ける1メートルの1平方メートルに同じ大きさ硬さの彫像が立っていて、知ってる一番に広い場所だと、それが5000並んでいる。
6000000なら、グランドを縦と横に35倍すればいいけど、そんなことしてもしなくても1メートル四方の交合はどこも同じだから、大きさも硬さも同じスケルトンだから。鉛の目方はなくなっている。堅そうに見えても彫像は石や鉄の鉱物無機物で拵えたものでなく、蜜蜂の口から溶け出した蜜蠟で固まったものだから痛さ冷たさとは無縁だ。温んだ日差しで溶け出した蜜蠟はときどき六角の巣穴だった記憶を思い出し、スケルトンなまま六角の仕切りの小部屋を重ねる。一人用、交合用の小部屋が拒むものを何もの持たない茜色をたたえ、優しく佇んでいる。
それが、佐和子の感じてる身構えだ。
パパとママも浩太朗と兄たちのことには触れてこない。はじめっからこうだったように食卓を囲む。
そういえば、食卓を囲むときよりほかに、パパとママと逢うこともなくなったような気がする。三人一緒でというよりわたしが二人の各々に逢うのもこのキッチンを外すとどこにもないような気がする。
それが、青森へ行って帰ってから変わったのか、青森に行く前までのこうした日常を帰ってから気づいてきたのか、佐和子には分からなかった。
ただ、ひとつ、青森に籠ったっきり逢っていない浩太朗の存在が以前よりももっと確からしく感じられるのは、確かなことだった。
学校のある日の昼下がりは毎日逢うようになった婆ぁたちが青森のどこかしらの辺りだから、籠ってる浩太朗の呼吸のような心音のような生身でなければ伝わらない辺りのものが東京の日常とは違うから、そう感じているのだろうと佐和子は思う。
浩太朗と婆ぁたちが近しい類のものなのかまではまだ分からないが、少なくてもそこから戻ったら、異和のある東京の日常よりもわたしに近しい類のものにあると佐和子は思う。
わたしも、その中に含まれている。それだけは確かなことだと思った。




