11 青森の婆ぁたち
「寒ぁむかったろぅ、おもて戸ぉ早ょ閉めてこっちさぁ来っ・・・火んとこあたれ」と、何度やってきても東京からの800キロをひたすら歩いてきた小さな赤っ子を迎えてくれる。
肌のチクチク爆ぜる乾燥した東京の空を感じると、その先にぽっかり空いた穴の向こうから婆ぁたちの呼ぶ声が見えてくる。
聞こえるのでない、見えてくるのだ。
湿っとりの囲炉裏端で藁仕事してる丸ぁるい背中を見つけると、コキリコのささらが往って帰ってで奏でるひゃっくり帯びた拍子がうねってきて、我慢できずに手をかけて跨いでしまう。もうそのときの口の中といったら濡れているのにカラカラだ。
そんなべったりの癖が青森から帰った佐和子には付いてしまっている。
チクチク爆ぜるを感じるのは3時から4時の学校帰りだ。
バレー部をさぼってる佐和子は帰宅部の女子がお茶しに寄り道するのと同じような感じで囲炉裏に座る。囲炉裏に座ってあたってに所要する時間に大した嵩はない。囲炉裏に座ると、JKスタイルの膝上20センチの素腿が淵に生え出る。
バレー部のジャンプで膝から股の付け根まで浅いエッジでパラレルしてる太股は佐和子の自慢のパーツだ。
膝上20センチの佐和子の素腿にパラレルやパーツを当て嵌めても、そんなワードは知らない使わない婆ぁたちはただただ順々にいつもどおりに楽しそうに覗き込み、「まぁーたこんな下ぁ|隠さん何んも履いとらん《なんもはいとらん》格好のまんまで」と言ったあと、急に自分らだけのひそひそぼそぼそのケを中心にした津軽弁を廻していく。
カタカナの羅列にしか聞こえないケを真ん中にした婆ぁたちの津軽弁は、囲炉裏が爆ぜる感じとも東京の肌が爆ぜる感じとも違ってる。
が、繋がってる。
眉毛の細さ柔らかさと大差ない佐和子の陰毛と違い、婆ぁたちの爆ぜてエッジの効いたグラスファイバーみたいな男の髪の毛のような陰毛にすり替わっているイメージが湧く。
意味まで付いてない拍子だけが沁みてくる。試したことないけどジムにある1時間3千円の酸素カプセルに入ったらきっとこんな感じになるんだろう。
こんなでも、ううん、こんなだから、でも、やっぱり、こくりこくりはやってくる。
それがブラウスの中のCカップブラに染み込む前に退散しよう。戻るときの向こうからは穴は出てこないから、ブランコを漕ぐようにタイミングを見計らい、穴を拵えて、此方に戻っていく。
帰りの電車でワンドリンク後の彼女たちと一緒になるくらいだから、活動時間は帰宅部とほぼ一緒だ。
バレー部をやめたとまだパパとママに伝えていない。もちろん、その間に青森まで行ってるなんてどこを抓まんでどう伝えていいかわからないから、それはなおざりだ。
青森から帰って次の日からいろいろが変わってしまっている。
学校の友人たちでも街中の景色でもなく、まして佐和子自身のことではない。いつもの毎朝のようにお腹が空いたので目が覚め、遅刻しないまでの時間に追われ、数学だけは得意で、ほかは全然の授業を後にして、バレーコートへ。
準備運動から、コートを使っての練習、先輩からの指導、後輩へのサポート、ハーフタイムのようなバカ話と、どのどれも関わる自分と周りの色合いもリズムも変わらないのに、足元だけがムズムズするようになった。
かゆいのでもおもったるでもなくムズムズ。
履きなれたシューズが急に足に合わなくなったような異和感。
外界と接する一番にデリケートな爪先が「違ってる」と異和を叫ぶのが骨を伝わり耳元で共鳴していく。もうボールなんか抱かないで、と。
コートに入るいつものシューズが履けなくなった。
眠ったベッドで浮かんでるときは、やってこない。
山型のイギリス食パンのトーストにママがバターとイチジクジャムを塗ってくれたのを時計と睨めっこしながら咀嚼し飲み込んでるときは、やってこない。
満員まではいかないけど座れない電車でブルートゥースを使いながらお気に入りを聞きながら朝テストの小テストに備えているときは、やってこない。
超人気のハルヒコをかっさらった大嫌いなサユリの授業だから次の授業の内職と友達とのコミュに充てているときは、やってこない。
寄り道のカフェでお気に入りの飲み物に新しいトッピングが増えててそれが300円を超えてるからどうしようか迷ってるときには、やってこない。
なのに・・・、
普通に、ただ部活してるときに、生まれてくる前のことなんか厚々と持ち込んでなんでやってくるんだろう。見せパン履いて股下ギリの青いチェックのミニワンピでサイダーハウスの推し活してたときは知らんぷりなのに、なんでガードの堅い紺地のショートパンツのボトムズはNGなんだろう。
あんだって、おめぇ、そんぎゃぁ、女子がつび毛わらかしてビぃらビぃらおン出る格好んしてと、中で一番のお喋りの婆ぁが口を尖んがらす。尖んがりの口は在所な感じが一番の名古屋弁がぴたりくる。
顔の奥に引っ込んだ小さく細い眼をパチクリしてるときの婆ぁにはわたしはスケルトンだ。
ミニもパンツも見えてないからそれは蚊帳の外。オッパイの方は、脂肪のない大胸筋だけで乳首だってせいぜいイクラ並みだからどうってことはない、そこまでは及んでくれない。
と、いうより婆ぁたちははじめっから若い女のオッパイに関心はない。暑いからと、襟元広げた鎖骨の先に現れてくるものくらいな感じだ。わたしと違って谷間の現れる女だって、きっと同じように無関心のはず。男と交合って破瓜を経て造りの変わったあとに立ち会えば、イクラの二つ粒だって見つけてもらうのずぅーと待っいた女の顔は現れてくるけど、それまではおしめの取れたボボと大差ない。
あたまでっかちばっかで色づいとらんと早ぅどっかの殿ごに挿すってもらえぇと、デンデン太鼓に似たカラカラしたのが廻っていく。
覗かれるわたしの内のスケルトンは、七十年前の街頭テレビみたいに箱に入ったのを皆んなで見ている。せめて白黒の早送りだったらいいのにと、そっちを構われるのはすっごく恥ずかしい
ちょっかいばっか出して、かわいそうでねえかァ
こんな時分あったのは皆んな一緒だぁ、そないん聞こえたらこっちまで赤ぅなってしまうとォ
お喋りは繋がり、西方へとなびいていく。囲炉裏でお喋りの端々をくっつけ繋げていくのは、角巻に顔半分隠した北の婆ぁよりもおでこが廣いのっぺり顔の南の婆ぁがむいている。




