1 いまは17歳の女子高校生
この国のかつては、諱しか持ちえず出で得なかった女たちはたくさんいた。出なかった女たちは諱を繋ぐことで、いまの世に生き永らえている。
わたしは山口佐和子、17才の女子高校生。
齢の離れた二人の兄のあとの末っ女で生まれたわたしは、ずっとさーちゃんとかさわちゃんとか、佐和子の一部を切り取ったり間延びさせたりで呼ばれた。小学校高学年になって女子が前に目立つようになったら、男家族たちは打ち合わせたように全員が揃って、ちゃん付けを取った「さーわ」に切り替えた。
学校は、もともとが中高一貫の女子校だったから今でも女子の方が7割も占めているから、どの学年のどのクラスも男子よりも男前女子がいつも真ん中にいて、去年まではずぅーと「さーちゃん」だったのに、クラス替えしてまだ二ヶ月だけど、今度のクラスの真ん中にいる加奈子の使う呼び捨ての「さわこ」に統一されつつある。
かなこは、1年でバレー部のレギュラーだったのにピアノで芸大受けることに決めてスポーツ断ちして後ろを振り向かない男前女子だから、そんな男前女子に気に入られ呼び捨ては私一人だからと何かと近くにいるようにされたわたしは、夏休み前には、「山口さん」でしか読んでくれない男子を含めクラス全員の「さわこ」に統一された。
そんなわたしの揺れ動きに頓着しない天然系の母は、ずっと、さーちゃんのままだ。
きっと結婚して私が産んだ子をとなりにしたときでも、その子と並んで呼ぶのに躊躇いなくさーちゃんと呼び続けるんだろう。
「さーちゃん、たいへん。おっきいおじいちゃん、お午に亡くなったんだって。おとうさん、おじいちゃん家によって一緒に車で青森に向かってる。青森に着いて、段取り出来たら連絡を入れるからって、そしたらわたしたちも青森いかなきゃ」
こうしたときの「わたしたち」の中に同じ都内で別居してる二人の兄が含まれているかは微妙だが、わたしが含まれているのは確かなことだった。今日は火曜日だ。次の次の日曜に公式戦ではないがバレーの対抗戦があるのだ。相手は、同じ女子高のときからの因縁の30対31の勝敗だから「絶対に、負けられない」と一丸でやってきたから、次の次の土曜は東京に戻っていたい。そんなことを巡らせながら、わたしは、昨年生きるか死ぬかのひと悶着あった遠い存在のおっきいいじいちゃんの記憶を引っ張り出す。
おっきいおじいちゃんとは、青森に住んでいる父方の祖父のことだ。
来年で100歳を迎えるその人は、若くして奥さんを亡くし、それから巡礼のような流転の生活を送りながら青森に住み着いついている。ひとりの生活が長いから身の回りから何から器用にこなし、他人の手を借りることなく此処まで生き長らえ、去年ガンが見つかり緊急搬送されるまで病院にいったことはない、そんな人のようだ。
緊急搬送が先かガンが先だったかははっきり覚えていない。曾祖父といっても遠い人だから、一駅先に住んでるジぃーじの浩太朗がその時に両親に話してる会話を要約したものがわたしのもってる曾祖父のすべてだ。
コータローは父方の祖父だ。身内に自分を呼び捨てにするよう強いてくる押しの強さはあるが、おばあちゃんのようなお喋り好きだ。
青森までの車中の7時間、父はコータローの一人しゃべりにずっと付き合わされているはずだ。
わたしの祖母にあたるコータローの連れ合いは父の記憶のない時分に出ていってしまい、それっきりらしい。お喋り好きの同性みたいな男に愛想がついたのか孫に呼び捨てを仕向けるような自分勝手さに嫌気がさしたか、父は祖母のことには触れないし、お喋りなコータローさえそのことだけは話さないから、わたしはその女の気持ちを推しはかるほか寄る辺はない。
中高一貫校のこの学校に入学するまでのその女は、わたしに似た顔立ちの髪型だけはボブというより長い後ろ髪をばっつり断ったおかっぱ頭の瘦せぎすだった。だから身体の方は、小学4年生のとき学校の体育館で見せられた文楽人形のように厚ぼったい着物の中に隠され、その中に3人の大人の男の腕が隠されていても遜色ないよう漆黒の闇に消えていた。
それが、制服を着るようになって、毎朝制服を着たわたしを姿鏡で見るようになると、白のブラウスを前に押し出す胸の膨らみやスカートのホックを掛けたときのドローブから女の丸みを感じると、その女の身体も着物の中に隠れていた棒っきれなんかじゅなく、そこに紙粘土をしげしげ巻いて裸の身体が形作られていく。紙粘土をしげしげ巻いてるのは、わたし。その工作は17歳のいまも続いている。
だからその女を想うときのわたしの両掌はいつも紙粘土で真っ白になっている。