1 学園裁判開幕
「本人の努力では変えられぬ生まれの差で、相手を侮るなど、視野が狭いと言うしかない。令嬢ならば、婚姻で逆転する可能性がある。
婚約確実と言われている私と君も、どうなるかなど分からないだろう?」
毅然とした表情で、そう言ったのは、この国の王太子アルデミアン。
艶のある短い黒髪は、黒真珠のように不思議な光沢を孕んでおり、赤みのあるオレンジの瞳は切れ長で、いつも穏やかな笑みを浮かべている口、整った容姿と、表情通りの穏やかな性格、成績は1、2位を競う優秀さ。想いを寄せる令嬢は多いのだが、生まれの高貴さに気後れし、多くが遠くから憧れるだけとなっている。
それを言われたのは、アルデミアンの婚約者候補であろうと噂されている令嬢プリメディーナ。
品の良いローズピンク色の髪は、背中で緩やかに波打っており、艷やかな苺を彷彿させる赤い瞳は大きく丸みがあり、平均より控えめな身長で、折れそうな程に細い身体付きに、保護欲を擽られる生徒は男女共に多い。
成績は5位以内を維持していて、人当たりも良く、所作は優雅で令嬢達が憧れる存在で、彼女なら未来の王妃として相応しいと、ほとんどの者が納得している。
2人が居るのは、貴族学園の大ホールの壇上、入学式等で、学長や生徒代表が挨拶したりするその場所に、壇上右端にアルデミアン、壇上左端にはプリメディーナ。
両名共に、小さな机を前に、豪奢な椅子に腰掛けていて、従者が背後に佇んでいる。
そして壇上中央に、長机を前に腰掛けているのは、黒のローブを制服の上から着用している生徒が3人。
それぞれの席は、中央は少し壇上奥の位置にあり、両端は若干真ん中を向くように配置されている。
普段は学園主催の式典やパーティーに使われるそこに、制服姿で緊張を孕んだ空気の中、他の生徒がそこを眺めていた。
今開かれているのは、学園内裁判で、被告はプリメディーナ、原告はアルデミアン。
近々プリメディーナの婚約と、アルデミアンの婚約がそれぞれからが発表される予定があったので、とうとう婚約するであろうと納得していた生徒達は、両名が仲違いしたのか?政情が変わったのか?と、この裁判が告知された1週間前から心配していた。
何より、訴状内容に、首を傾げる者が多い。
黒のローブの生徒達は、学園内の秩序を維持する事を目的とした、生徒執行委員の法務科に在籍していて、学園裁判での判決を決定する権限がある。
それだけの権限があれば、好き勝手に生徒に不利益な事をする者が現れそうだが、卒業生が監査役として就いており、執行委員の執行課が裁判を開く決定権を持っているので、おいそれと悪用する者はいない。
他にも、経理課、書記課、実務課、審理課が存在し、それぞれが独立した組織でありながらも、情報を交換し、互いの規律を監視しあっている。
執行委員の面々は、後に王宮内で重用され、歴代の宰相、大臣達も学生時代に席を置いていた。
つまり、国政を担う者達の登竜門で、手腕を試される組織である。当然、王子は必ず在籍しなければならず、アルデミアンは執行課に在籍する委員長だ。
学園裁判は、滅多に開かれる事はない。
貴族同士、譲れない誇りがあり、意見の合わない者が居たとしても、距離を置くなり、不満を持ちながら相手の意見を受け入れるか、互いに妥協点を見つける事を覚えるのも、学園での学びだからだ。
勿論、多少の揉め事はあるが、それらは社交界でも起こる事なので、大きな問題にならない限りは、黙認されている。
学園裁判が滅多に開かれないのは、その誇りゆえだ。学園裁判の当事者になって、非があると決定されれば、人間性に問題ありだと、公表する事になり、将来に影響してしまうからだ。
裁判の公表があってから、開かれるまでの1週間は、準備期間であると同時に、猶予期間でもある。
告発内容が真実であった場合、被告自らが行動を反省し謝罪すれば、告発が取り下げられる。謝罪したという記録は残るが、自らの過ちを認められる人間であると、一定の評価が得られる為、謝罪する期間なのだ。
相手を陥れる為の虚偽の告発の場合、裁判の結果、虚偽だと判断されてしまえば、卑怯者という不名誉な評価が出回ってしまうので、取り下げる期間でもある。そして告発された側が不服を申し立て、逆告発する期間でもある。
被告、原告共に、その悪質度合いによっては、退学させられる。
貴族学園を退学させられると、社交界では貴族として受け入れられない為、ほとんどが裁判が開く前に解決となる。
過去に、虚偽申告で退学となった事案があるが、生家から追放されてしまっている。それ以降、虚偽申告をする者はいない。
貴族として受け入れられない程度なら、領地で生きられるが、追い出されてしまえば、生きられる場所さえ失う事になるからだ。
その為、生徒間の嫌がらせは皆がギリギリの所で思いとどまっている。私物を盗み、違う所に置いてくるだとか、連絡事項を敢えて伝えないだとか、記憶違いや、思い違いではないかと、言い逃れ出来る程度にするのだ。
多少の悪意ある噂話は、社交界では日常茶飯時。それにどう対処するかを、在学中に学ばなければ、社交界で生きていけない。
それぞれの宣誓から、裁判は始まった。
黒のローブを羽織る生徒3人、その中央に座る生徒が立ち上がり、裁判長を務める事を告げ、公正公平な目と耳と心を持ち、正しい判断をする事を宣誓する。
原告アルデミアン、被告プリメディーナもそれぞれ嘘偽りなく、良心に従って真実のみを述べる事を立ち上がって宣誓し、着席した。
告発内容は、侮蔑され、私物を損壊されたという生徒から、聞き取りをした結果、加害者はプリメディーナであろうと、アルデミアンが推理し、被害者に代わり、アルデミアンが代理告発をしたものだ。
清廉潔白と思われていたプリメディーナが、そのような事で告発されるとは、生徒達は思ってもいなかったので、プリメディーナに限ってあり得ないと憤慨したり、原告がアルデミアンなら本当なのだろと失望したり、一部ではこの状況を遊興のように楽しむ者も居た。
そのそれぞれが、自身の興味のまま、情報を求めてこの1週間は過ぎた。
アルデミアンが立ち上がり、プリメディーナに視線を向ける。
「この場に応じてくれた事に感謝する。見過ごせない案件だと判断し、人知れず解決してしまえば、余計な詮索を受けかねないと思案してね。皆が納得する形にするべきだろうと、告発という形にさせて貰った」
告発に至った経緯を、静かに聞いたプリメディーナは小さく微笑む事で、返事をした。
将来の王妃にと、皆から望まれている彼女だ。家柄も歴史ある高位貴族で、この裁判が不当だと、家を通して不服を申し立て、逆告発する。という選択も出来た筈だ。過去の虚偽申告の被害者が、それで見事勝利を勝ち取っている。
だから、逆告発せず、堂々と被告として現れた事は、生徒達は意外でもあった。