第六話:名もなき神具
アレックスの拳が黒い影を吹き飛ばし、鈍い音が響いた。
銀の鎧が鈍く光り、崩れる壁にヒビが走る。
「……はぁ、やはり、こうなるか」
アレックスは肩で息をしながら、迫る影に視線を向けた。
「私の交渉も通じないとは、残念だ。
だが、仕事は最後まで遂行するのがプロの流儀」
ハウの声が耳元で響く。
(アレックス、数が増えてる。
無理するな)
「無理をしなければ、命は拾えない」
アレックスは静かに呟くと、再び拳を握りしめた。
一方、美秀は黒いモヤの中心、少年の元へと辿り着いていた。
「……しっかりして!」
少年は虚ろな目のまま立ち尽くしている。
その身体を絡めとるように、黒いモヤが渦巻いていた。
(このままじゃ、取り込まれる)
美秀は腰のホルダーから、ゴールドメイデンを手にした。
かつては、必要な時に自然と現れたこの銃も、今はこうして、自分で取り出さなくてはならない。
クロノスとの戦いのあと、ゴールドメイデンの力は不安定になったような気がする。
あの時、無意識に撃った一撃は確かに未来を変えた。
でも今は、あの時のようには撃てない。
こうして御守り代わりにホルスターに収めるしかなくなった。
因果律を撃ち抜くその力も曖昧なまま。
……これが、運命を撃ち抜く力。
だけど、どう使えば。
本当に、この子を救えるのか......分からない。
「私の力で……どうすれば、助けられるの?」
その時だった。
モヤの奥から声が響く。
「無駄だ。
この子は、既に神具の力に囚われた。
お前にはどうすることもできない」
美秀はギクリと肩を震わせた。
声の主は、黒いモヤの奥から姿を現した。
黒いフードを纏った男。
その手には、不気味な形の黒い刃が握られていた。
「……お前が、この異常の原因か」
男はフードの奥で静かに笑った。
「この街ごと喰らい尽くし、我が完全な器となる。
存在すら与えられぬ者たち。
忘れ去られた神具の欠片が、その礎だ。
だが、この子だけは違う。
特別な欠片……まだ名前を持たぬ神具。
それこそが、我が器を満たす最後の鍵だ」
男の言葉を聞き、美秀は思わず少年を見た。
虚ろな目で立ち尽くす少年の小さな背中が、ひどく遠く感じた。
特別な欠片。
まだ名前を持たぬ神具。
その言葉が胸に突き刺さる。
(違う……そんなもののために......)
美秀の拳が震える。
どうしてこんな形でしか特別を与えられないのか。
あの時の約束、名前を呼ぶと誓った自分の声が、心の奥底から響く。
「ふざけないで!」
美秀は叫ぶ。
「この子は、そんなもののためにいるんじゃない!」
男は小さく肩をすくめた。
「ならば、力で取り戻してみるといい。
神具を持つ者よ。
……できるものならな」
その瞬間、黒い刃から衝撃波が放たれる。
「危ない!」
アレックスの声と同時に、美秀は吹き飛ばされそうになる。
しかし、アレックスの銀の腕が伸び、美秀の身体を引き寄せた。
「……無事か?」
「……あんた」
「無理は禁物だ。
私たちが想像する以上に厄介な相手だ」
アレックスは美秀を庇いながら、目の前の男を見据えた。
「貴様、名を名乗ってもらおうか。
交渉人として、相手の名も知らずに相対するのは不本意だ」
男は手にしていた黒い刃に一瞬目を向けた。
そして、静かに名乗った。
「イクリプスレイスとでも名乗らせてもらおう。
もっとも、もうすぐ名など意味を成さなくなるがな」
アレックスは銀の鎧を強く輝かせる。
「ならば、名に恥じぬ仕事ぶり......見せてもらおう」
「アレックス……」
美秀は、アレックスの背中を見る。
強く、大きな背中だった。
「美秀......背中は任せろ」
美秀は迷いを振り払い、頷いた。
「うん、分かった。
私、絶対あの子を助ける。
絶対に!」
「良い返事だ。
では行くぞ!」
アレックスは、ゆっくりとイクリプスレイスへと歩み出した。
「交渉の余地は、もうない。
ならば、全力でお前を止めるのみ……!」
銀の拳が唸りを上げ、戦いが始まった。