4.レナーテ(4)
私はまだ国を出る気持ちの整理もついていないし心の準備も出来ていない。それなのに国を捨てる決断をしたお父様の行動は早かった。明日の夜には出国する。爵位を手放す手続きもすでに終わっていると言われた。
もう私とリュークが一緒に過ごす未来はない。それでも……私はどうしてもリュークと会って話がしたかった。それが無理なら一目彼の顔を見たい。最後に一度だけでいいから。
翌日、私は心を奮い立たせてブラーウ侯爵邸に向かった。リュークに会わせて欲しいと懇願するつもりだった。だって今日会えなければ本当に二度と会えなくなる。
門が見るところまで着くとちょうど黒塗りの立派な馬車が門の前に止まったところだった。咄嗟に木の陰に隠れ様子を窺がう。家紋はケーマン公爵家のものだ。乗っているのはフェリシア様かもしれない。
御者が屋敷の中に入ってしばらくすると正装姿のリュークが出て来た。
金髪を肩のところで緩く結んでいる。久しぶりに見たリュークの顔を綺麗だと思った。フェリシア様が執着するのも頷ける。リュークは馬車の扉に向かって声を掛けた。すると扉が開きフェリシア様が顔を出した。フェリシア様は嬉しさの滲む弾けるような笑顔をリュークに向けた。なんて可愛らしい笑顔なのだろう。男性なら誰でも魅了されてしまう。私はすぐにリュークの顔を確認した。息を呑み手で胸を押さえる。リュークの表情は他人に向けるいつもの冷たい表情のままで笑みは浮かんでいない。そのことに少しだけ安堵する。
私は祈るような気持ちでリュークを見つめた。
(私はここにいる! 気付いて!)
するとリュークがこちらを振り返った。私たちは間違いなく目が合った。
「リューク!」
私はリュークのもとへ足を踏み出そうとした。それなのにリュークは冷たい表情のまま顔をフェリシア様に戻した。まるで私の存在に気付かなかったような態度に愕然とする。
(気付かなかった? そんなはずない! 絶対に目が合ったのに)
リュークは何事もなかったように馬車に乗り込むとそのままどこかに行ってしまった。
ショックだった……。私はリュークを信じていた。私の顔を見たらすぐにいつものように笑ってくれると思っていた。私の姿を見たら駆け出してきて抱きしめてくれると思っていた。そして一緒に逃げようと言ってくれると……。
でも彼は眉一つ動かさず冷たい表情のままだった。今までその表情を向けられたことがなかった。私にとってそれは彼の気持ちが離れてしまった証明のような気がした。こんな曖昧で悲しい決別が私たちの終わりなの……?
私はどうにか家に戻った。そのままベッドの上で嗚咽を漏らす。
リュークは私を無視しフェリシア様の手を取った。これがリュークの答えだ。落ちぶれた元伯爵令嬢ではなく王に愛されている公爵令嬢を選んだ。確かに今の私ではあなたには相応しくない。でもそれを言葉にして直接説明して欲しかった。貴族の義務でも心変わりでもなんでもいい。あなたの口から聞きたかった。
こんな中途半端な気持ちで別れて私の気持ちはどこに行けばいいの。悔しい。でも憎むことができないほどまだリュークが好きなのに――。
ねえ。リューク。私をお嫁さんにするって……あの約束は忘れてしまった? 私のことは好きじゃなくなった?
これからは私と踊ったようにフェリシア様の手を取りダンスをするの? いつか私の大好きな柔らかい微笑みをフェリシア様に向けるの? あの笑顔は私だけのものだったのに……。
私の心の中にあった僅かな希望が粉々に砕け霧散して、真っ黒な絶望に変わっていった。
私は彼が私を攫って一緒に逃げてくれることを望んでいたのだ。